21 中編06:ノー・サレンダー




(泣き声、だと……?)


 憤怒と怨嗟の声ではなく、後悔からの泣き言でもない。ただの哀しみがあった。

 悲哀自体は陰陽で言えば、陰の感情だ。なので、今、負の感情の集合体から感じ取れるのは不思議ではない。

 しかし、ヴォルレウスは腑に落ちなかった。意識に届くその哀しみの声が、どうにも幼い。


(……子供の……?)


 気になってヴォルレウスは、耳ならぬ意識をその声に傾ける。確かに子供の泣き声だった。

 戦いの中で自身が劣勢となって追い込まれている状況下で、他のことに意識を割く余裕など本来はない。が、この時は奇しくも集中するという単純な行為が、闇の集合体に呑み込まれかけていたヴォルレウスの意識を、かろうじて押し留めることに役立っていた。


(何故……、子供の泣き声が……?)


 ここで、ヴォルレウスは自身の抱く違和感の正体に気がついた。

 悪意が無い。まったく感じられないのだ。

 悪意は害意とも言い換えられる。つまり、他者に対する攻撃性だ。悲哀の感情は他の負の感情と違い、そのままでは他者への攻撃性を誘発することはない。時を経て、やがて怒りや恨みや嫉みに変化するまでは、内へとこもるだけである。


 ならば自身を含み、外の世界へと手を出してきたのは一体何だったのか。

 群生体とはいえ、意思統一がなされていないのか。ヴォルレウスはそこが気になった。


(……まさか……!?)


 哀しみは、確かに子供の、しかも幼く、或いは物心というものを得たばかりのものであった。

 ヴォルレウスは、もし彼が未だに普通の人間体であったならば胃の腑よりこみ上がってくるものを我慢しなければならないほどに、胸糞の悪さを感じた。


 からくり・・・・が解けたからである。

 通常、謎解きを独力で成し遂げれば胸のすく思いが去来してしかるべしだ。それが全く逆の結果をもたらすほどに、その内訳は腐臭を放っていた。


 悪意というもの、則ち他者に対する害意を抱かせるほどの憤怒、怨み、復讐心は、程度の差こそあれ永遠に持続するものではない。

 復讐心が良い例だ。たとえ全てを奪われたとしても、奪った相手、またはそれに連なる者を滅せば解消される。不特定多数に向けられた無差別な暴力性であろうとも、攻撃が達成するごとに、更に時間の経過と共に次第と発散され弱まっていく。

 前述の感情を材料と考えれば解り易い。業火を維持するためには常に燃料となる焚き木を必要とし、くべ続けるものが無くなればやがて消えてしまう。


 理由が、原動力が必須なのである。しかしそれらはいずれ解消され、薄れゆくもの。永遠ではない。

 では、元からその理由が無ければどうなるか。


 そもそも幼子が弑される事実に理由は無い。それは異常者の、敢然たる証明の結果に他ならない。

 虐待によるもの、虐殺によるものは無論のこと、事故や病に起因する死も彼らに責任など無い。未成熟な肉体と精神では抵抗する術も無く、身にかかる不幸な災厄以外の何物でもないのだ。


 にもかかわらず、幼子たちは考える。どうすれば良かったのか、と。

 どうすれば生きられたのか、どうすれば守ってもらえたのか。或いは愛してもらえたのか。

 自分の何が悪かったのか、と。


 答えなど出る筈は無い。元々存在していないのだから。智者がどれだけ理屈をこねくり回そうと、全ては机上の空論。仕方のない出来事、幼子に全うさせるような責任など無いのだ。

 しかし、実際に死んだ彼らにとっては仕方のない出来事では済まされない。ずっと考え続けるのだ。肉体を、思考を維持するための器官を失っても。


 堂々巡り、正に賽の河原である。

 その哀しみの心と記憶が彼ら自身を苛み、次なる生への始まりを遅らせてしまう。そして、運悪く負の感情に誘われた闇の精霊に捉われ、集合体の一部としてコアとして取り込まれてしまえば、大人たちの無念と復讐心の温床として利用される。


「ふざっ、けんじゃあっ、ねぇぞッ……!」


 つまりはブースターとしての役目を果たすための囚徒である。自分たちの存在と力の維持、目的の成就がために答えの無い牢獄に閉じ込めて利用していた。

 この構造に気がついた瞬間、ヴォルレウスは敵が如何に巨大な存在であろうと、己が如何に劣勢に追い込まれていようとも関係はなくなった。


「子供たちの魂に! 夢破れたか何だか知らねえが! 大人のクソみてえな怨念どもが、悪意が、魂が、いつまでしがみついていやがるんだあああああ!!」


 最早どれほど己が消耗しきっていようとも関係ない。ヴォルレウスの内から、新たな闘気が後から後から溢れてくるからだ。

 大人の男として生きるに足る使命を果たす機会だとヴォルレウスは確信する。自身が今の時代に、巨大な力を持って転生した理由でもあると直感したからであった。


 ここからヴォルレウスと闇の集合体との、真なる削り合いが始まった。




   ◇ ◇ ◇




「ええっと……、どうして……?」


 盛り上がりだと思えたハークの話に、水を差すような言葉を放ったのはよりにもよってヴォルレウスの母であるヴァージニアであった。

 ふと見ると、同じ龍族であるアレクサンドリアも不得要領の顔をしている。隣のガナハでさえ、完全にピンときた表情はしていなかった。


「つまりは相手の構造、弱点が判明したということで、勝機も見出すことができた……。……という訳でもないらしいな」


 アレクサンドリアの言葉である。


「今になってようやく全力を? 自分が消滅すかもしれないって時じゃあなくって?」


 ヴァージニアは増々首を傾げているかのようだ。幼子を脅威から救わんとする、男であるならば、いや、漢であるのならば誰もが意気上がる展開だということが、まったく理解の外であることが視てとれた。


「ほ~~~らな! だから、話したくなかったんだよ!」


 理解がされないというのは、本当に悲しきことである。そんな想いの詰まったヴォルレウスの嘆きが上がった。

 ハークと肉体を共有するエルザルドから、どこか申し訳ないという気持ちが流れ込んでくる。


 龍族には、所謂知能ある生物の大半には備わっていることの多い力弱き我が子、或いは同族を護るがための底力、これが実に理解し難いらしい。

 というのも龍族は、エルザルドやアレクサンドリアを始め、この場にいるヴァージニアやガナハなどの成体にまで達した存在からすれば確かに生まれたばかりのドラゴン達は明らかな弱者であろうとも、その他の生物からすれば生まれ落ちた直後でもない限り、かなり高確率で周囲環境上の圧倒的な強者であることが多いのだ。レベルで上回っていたとしても、多人数で挑まねば、人間種では討伐困難と言われるドラゴンの真骨頂がここにある。


 ゆえに龍族には人間種と同等、もしくはそれ以上の知能を備えるも、子を護り養う概念が無い。なので、理解が及ばないのだ。例外は、居なくもないが。


「ボ、ボクはちょっと理解できるよ。護ってやらなくちゃ、って思ったんだよね?」


 その僅かながらの例外が、生来の優しさからそう声をヴォルレウスにかけているのだが、正解には近いものの完璧な補足からは遠い。残念無念な感情がハークとヴォルレウスの内部に時を全く同じくして浮かび上がったと理解したのは、お互いしかいなかった。


 ガナハは幼き時分、エルザルドに面倒を見てもらった過去がある。ところが、その本人の記憶にアクセスできるハークには解るのだが、護り養ったというのには納得できるものの、はぐくんだという部分においては些か首を縦に振って同意を示すことはできない。安全は確保していただろうが、印象としてはガナハが勝手に育ったに近かった。

 ドラゴンは、育成に手間がかかることはほぼない生物と言える。だからこそ、一体一体の気質や価値観、能力や実力の差に繋がっているのだろう。


「……もう良いよ。ハーク、先を頼むぜ」


「……了解したよ」


 気持ちは解るよ、などと言って肩を抱き慰めたくなる衝動に駆られるが、ハークも我慢した。この後も完全には理解されぬであろう事柄が、1つ2つ考えられるからだ。




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