02 The Immortal
ガナハは視界の端で何かが海より飛び上がるのを見た。
ただ、おかしい。視界どころか今、ガナハとアズハの飛行する下一面は何も無い海面の筈である。そこから飛び上がる、或いは飛び立つのならば、水飛沫を伴うのが当たり前なのだ。
ところが、海面には何かが飛び立った形跡はおろか、飛沫が散った痕跡でさえ発見することはできなかった。
『アズハ! 南東の方角! 何か飛び立ったよ! 見える!?』
『見えない! どこ!?』
ガナハは鼻の良さには自信があった。
実際、彼女の嗅覚は龍族の中でも1、2を争う。
その分、視力にはあまり自信が無かった。無論、他の種に比べ、圧倒的アドバンテージを持つ龍族の中での話である。
逆に、アズハの鼻は龍族の中でもかなり利かない方だが、視力は上から数えて圧倒的に早いくらいに良い。そんなアズハが影も形も捉えられなかった事実に驚愕し、ガナハは必死に可能性を探って、彼女でも発見できなかった理由を知ることになる。
見る角度が違ったのだ。
『もうあんな上空に……。もしかして、ボクより速い……?』
『龍族の中でも最速のガナハより速いなんて有り得……ない』
ガナハの独白に対して否定の言葉を吐いたアズハの台詞が尻すぼみとなっていく。アズハもようやく視界に捉えたからだ、凄まじい速度で上昇していく光点を。
既にガナハもアズハも追いつけるような距離でもなければ、到達可能な高度でもなかった。
追走を諦め、両者はほぼ同時に眼下へと視線を送る。そこには目ぼしいものは特に見当たらず、大海原がただただ広がるばかりであった。
ガナハとアズハはまたもほぼ同時に顔を上げた。
『とっ、とにかく! ここら一帯を重点的に探ろう! きっと何かあるに違いないよ!』
『うん。絶対、見つける』
両者の眼の色が変わった。
もし、この場に事情を知らぬ別の最古龍が突然現れたなら、彼女たちの様子を視て、何が起こったのかと訝しがることであろう。
◇ ◇ ◇
赤い龍人はまじまじとこちらを、ハークを観察しているようであった。ハークのような仮面状ではなく、より生物的であるからか些かに表情が解り易い。
恐らくはハークのように鎧状態ではなく、地肌に龍皮や甲殻が直接貼りついているものと思えた。
赤髭卿と目される赤き龍人は、急にハッとした表情となった。
本当にフレキシブルである。
『おっと、不躾な視線を向けてしまったな。イキナリで申し訳ない。許してくれ』
頭も下げそうな勢いである。ハークは首を横に振った。
『お気になさることはない。儂も同じようなことをしておったさ』
相手を観察していた、というのならばお互い様である。この状況で好奇心を抑えるとか酷な話と言えた。
『まずは君らの疑問を解消しないとな。お察しの通り、ヴォルレウス=ウィンベルだ。ヴォルと呼んでくれても結構だよ』
『ふむ。ハーキュリース=ヴァン=アルトリーリア=クルーガーだ。では、儂もハークでお願いする。こちらは儂の相棒、虎丸だ』
虎丸が右前脚をぴょこっと上げた。それを見て、ヴォルレウスの甲殻に覆われた顔が明らかにほころんだ。
『よろしく頼むよ。ところで、ハーク。君の中に複数の存在を感じるのだが……』
『おう。我だ、エルザルドだ。久しぶりだな、ヴォルレウス。いや、我が友よ』
止める気も無かったが即座にエルザルド自身がヴォルレウスの質問に答えた。余計な工程をすっ飛ばした形となる。
直後、赤き龍人の眼が広げられる。虹彩や瞳孔も見えたが、軟らかそうではない。ハークの『天青の太刀』であっても、龍人としての
『何っ!? エルザルドだと!? 一体何があったんだ!?』
驚愕を素直に表すヴォルレウスの姿に、ハークは若干の違和感を覚える。同族の
『ん? ヴォルレウス殿。貴殿、『
どうもおかしな話だった。今のハークの
眼の前の赤き龍人は、明らかにハークよりも身体能力が上であった。
最早ハークやヴォルレウス、そして虎丸でさえも、スキル『鑑定』が効くような存在ではないが、無理矢理にでもレベル換算しようとすればハークはレベル120半ば。対して、眼の前の存在は恐らくレベル150にすら達するかとも思われる実力を、その赤い甲殻に包まれた身体の内に閉じ込めている。
まるでモログと己の関係性のようだと思い起こさせられもした。
ただ、実力の低い者が本来のものよりも高く見せようとするのならば解るし、理にも適う。が、そもそも実力が下の者が何をしようとも今のハークを誤魔化せる術はない。だから、おかしな話であるのだ。今のハークより実力が上の者が、ハークが既に得ている能力を所持していないなどとは。
『ああ、俺は『龍言語魔法』を他の連中の約半分ほどしか習得できなかった。たぶん、半分混ざっているから、だな』
半分? そう念話で発しようとした瞬間、エルザルドから必要な記憶が流れ込んできた。
そうしてハークは、ヴォルレウスが『龍言語魔法』を半分しか使えない理由を悟る。
『もしや、父方の鬼の血が
『お? エルザルドにでも聞いたのか? まァ、そういうことなんだろうな。鬼の特性はほぼ受け継いでいやがるクセによォ』
『であれば、『
『そっちが発動できてなけりゃあ、300年前にあれほど苦労はしなかったかも知れないな』
どうやら習得してしまっているらしい。
『
常時発動型で、龍の魔力を触れている武器や防具に浸食させ、破壊を容易にする能力である。
身体が巨大で、強力な牙と爪、柔軟性の高い尻尾、それらを包む堅牢な龍皮と龍麟を持つ通常のドラゴンからすれば、最強種たらしめる特性の1つとして機能するだろう。
しかし、大きさと肉体構造的に人類の武装を扱える龍人からすれば、痛し痒しの微妙な能力だった。どうしても素手か、或いは魔法での戦闘を強いられることになるのだから。
しかもヴォルレウスの場合、後者だけでの戦闘はまず不可能であった。
『そういう訳で、こっちは君ほど察しが良くない。まずはエルザルドの身に何があったのか、教えてくれないか』
『解った。では我から直接話そう』
『頼む、エルザルド』
申し出を了承すると同時にエルザルドがヴォルレウスの知らぬ経緯を伝え始めていく。
正気を失ったこと。モーデル王国の古都ソーディアンにて自滅したこと。そしてハーク達との旅路。
念話なのでそれほどの時を必要とはしないが、ハークはエルザルドの話にも意識を留めつつも、別の重要な事柄を考察していた。
それは、赤髭卿ヴォルレウス=ウィンベルの真なる実力である。
先程感じたように、ヴォルレウスの基本能力はかなり高い。ほとんど全ての面でハークや虎丸を上回ることだろう。
しかし、彼はそれ以外で相当な抜けがある。
言わば限定的だ。ハークにできて、ヴォルレウスにはできないことが、幾つか存在するのである。
『
ヴォルレウスは龍人と鬼族のハーフ。龍鬼人とも呼べる存在であった。
鬼族は圧倒的なフィジカルを持つ代わりに、魔法が非常に不得意で、特に属性魔法が壊滅的に苦手である。
これは、肉体の内部とその周囲にだけに魔力を循環させて自身を強化するには得意な一方で、その魔力を外へと放出し、自らの意志を精霊へと発信することが極端に難しい肉体構造の所為だった。
言うなれば、鬼族はエルフ族とはコンセプトが逆の種族である。
いや、後年に産み出された以上、エルフ族は鬼族を反面教師として設計された可能性もある。
いずれにせよ、この特性の所為でヴォルレウスはモログの師匠でありながら、彼の最大最強の技である『星覇・絶掌・方天破』を真なる意味で放つことはできなかったのだ。
飛んで行かないのである。
『
つまりは実戦に於いて、彼はハークのように遠距離でも近距離でも戦うことができるが寄った方が強い、のではなく、寄らねば話にならないのだ。更には身も蓋も無い言い方をしてしまえば、寄らなければ無能とさえ言える。完全なるインファイターだ。
とはいえ、同様の戦い方と特性を持つフーゲインが、モーデル王国でも今や3指に入る実力者であることを考えれば、近距離攻撃力を突き詰めた者を寄らせずに勝つなどとほとんど夢物語に近い難しい方策であると理解できるだろう。
寄らせなければ勝てる、ということは翻って、寄られたら負けということに繋がるのだから。
総評すると、彼とハークの実力差はそれほどかけ離れているものでもないのかも知れない。
基本的な身体能力ではボロ負けだが、ハークは今や至近距離だけでしか力を発揮できない訳ではない。遠距離戦、中距離戦もお手の物だ。更に『
対してヴォルレウスは鬼族の血が混ざっていることでそのしぶとさ、特に継戦能力はハークや虎丸の比にはならないであろう。
となれば、実際に戦った場合に……。
そこまで考えて、ハークは未だ残る人間であった残滓に苦笑を漏らしかける。
ヴォルレウスと自分が本気で戦うことなど、未来永劫有り得ない。両者本気でなくては実戦は本当の意味では実戦足り得ない。そして、有り得ぬことに労力を割いても仕様が無いのだった。
それに丁度、エルザルドの話も完了したところであった。
『そんな事があったのか。俺が子育てに専念している間に、どうやら下らねえことを考えたヤツがいたようだな。よし、次は俺が君の質問に答えよう。……と言いたいところだが、もう君らに解らねえことは無いんだっけな』
『いや、そんな事はないよ』
ハークは首を横に振った。彼の『
幾つかのそういった事柄の中から、ハークはまず1つを選んだ。
『……そうだな。まずは、レベルという概念と、『鑑定』というスキルを創ろうとした意味を教えてくれ』
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