第55話 そして水滸ストレンジアへ

 ※ ※ ※


「……はっ⁉」


 北京大名府へと向かう、護送馬車の中、燕青は目を覚ました。


 長い、夢を見ていた。


「おや。やっと目覚めたようじゃな。随分とうなされておったが」


 同じ檻の中に入れられている西洋の美姫スカアハが、クスクスと笑いながら声をかけてきた。


「……ちょっと、前の世界の夢を、見ていた」

「寝る前に話していた、そなたの秘密じゃな。色々な世界を渡り歩いてきた、という話じゃが」

「ああ。その内の一つのことを思い出していた」


 燕青は、ため息をつき、檻の外へと目をやった。


 曇天の下、馬車はゆっくりと進んでいく。遮るものがほとんどない平原の中、道はどこまでも続いている。


 「いまの世界」での出来事を、振り返ってみる。再びほとんどの記憶を失い、新しい世界で目覚めた燕青は、少数民族スーミン族の村にいた。そこを、高俅によって捕えられ、無理やり崑崙宮と呼ばれる場所へと押し込まれることとなった。この国の皇帝が趣味で作り上げた庭園にある、一種の後宮である。


 そして、燕青は、何人かの仲間達と共に脱出を試みた。


 けれども、その試みは失敗に終わってしまった。


 結果、流刑となり、帝都から北京大名府に向けて護送されている状態なのだ。


「いったい、どうして、そんな不思議な力を宿すことになったのか」

「俺の出身であるスーミン族自体、時や世界を超越する力を持っているんだ。それによって、俺は、ずっと異なる世界を移動してきた」

「なんとも不思議な話じゃが、わらわは信じるぞ」

「それについて、ひとつ、大事なことを思い出したんだ」


 燕青が夜見るものは、夢、というより記憶の断片だ。燕青は夢を見ない。常に他の世界での記憶が蘇っている。それは、いまの世界ではすっかり忘れてしまっている内容。かろうじて、寝ている間に記憶を呼び覚ますことで、なんとか少しずつ思い出しているような状態だ。


 今回見た記憶は、長いものだった。何度目に到達した世界での出来事かは、わからない。


 だけど、重要な情報が出てきた。


「異なる世界を渡り歩く存在は、俺だけじゃないみたいだ」

「他にもいると?」

「おそらく……高俅……奴は、俺の記憶の中では、俺と一緒に別世界から移動してきた、ということだった。もしも、それが本当なら、この世界にいる高俅もまた、世界を飛び越える能力を持っている、ということになる」

「であるならば、他もまたしかり、というわけじゃな。誰が『夢渡り』であるかわからない、と」

「『夢渡り』?」

「仮に名付けてみた。そなたは、いまここにはない世界からやって来た。それは、目に見えぬ夢のようなものじゃ。ゆえに、夢渡り。風流じゃろ?」

「そうか……俺は、夢を渡ってきたのか……」


 燕青は、ジッと自分の手の平を見つめてみた。


 確かにここに存在する。けれども、それは本当の自分と言えるのだろうか。


 結局、前の世界ではどんな結末を迎えて、いまの世界へと移動することとなったのか。それはわからない。


 ある記憶では、「天命の巫女」と呼ばれる存在が国を牛耳っていた。その「天命の巫女」と激しい戦いを繰り広げ、梁山泊に居を構えて、これからだ、というところで、その後どうなったのかはわからなくなっている。


 ある記憶では、国に反旗を翻すまでもなく、スーミン族の村を滅ぼされ、各地を放浪しているものもあった。


 どれが正しい自分なのか。どの世界の自分が、本当の自分なのか。


 しかも世界によっては、性別が女性ではなく、男性になっていた。林冲の妹と恋仲になる世界もあった。それもあってか、恋愛の対象に、異性である男性は含まれていない。同じ女性に対して、熱い気持ちを抱いている。身体的には女性ながら、精神的には男性のようなものだ。


 考えれば考えるほど、本当の自分がわからなくなってくる。


「何か、難しいことを考えておるようじゃの」

「ん……」

「いまは、これまでの過去は全てなかったこととするのがよかろう。この世界こそが、いまのそなたの生き場所じゃ。ここで、どのように生きてゆくか、そのことだけを考えておればよい」

「これもまた夢の一部だったら?」

「ふむ」

「夢渡りとして見ている夢……ただの記憶のかけら……だとしたら? もう、運命は決まってるようなものじゃないか?」

「ははは、面白いことを言う。まるで哲学者じゃのう」

「笑い事じゃないんだけど」

「すまんすまん。しかし、心配には及ばぬ」


 そう言って、スカアハは身を寄せてくると、いきなり燕青の唇に、自分の唇を重ねてきた。


「んぐ⁉」


 驚いた燕青は、慌てて唇を離し、檻の端へと退避する。


「な、なにするんだよ!」

「わらわは、すっかり、おぬしに夢中じゃ。おぬしの抱えている苦しみから、わらわが救ってやりたい」

「それでどうして、口づけしよう、って発想になるんだ!」

「愛じゃよ、愛」


 スカアハは微笑んだ。


「人は愛されていると実感するとき、自分の存在を強く感じることができる。わらわは、おぬしが自分自身を取り戻すことができるその日まで、変わらぬ愛情を注ごうではないか」

「な、なんだよ、それ……わけわかんない……」


 燕青は顔を真っ赤にしながら、目を逸らした。


 しかし、悪い気はしなかった。


「さて、これからどうするかの。わらわ達はこの通り、虜囚の身。ここから、どのような一手を打つか、じゃが……」

「機を待つしかない」

「なるほど。来るかの、その機とやらは」

「どの世界でも、必ずそれは訪れた。今回だって、きっと同じだ」


 燕青の瞳に、強い意志が宿る。


「俺は戦い続ける。自由を手に入れる、その日まで」

「ならば、わらわはその手伝いをしようぞ」


 スカアハもまた、力強く頷くのであった。




 これは、百八人の美姫達の内、ほんの一人にまつわる物語……


 天命に導かれし美姫は、あと百七人……


 やがて、全ての者達が水滸の地へと辿り着き、世界の命運をかけた戦いへと挑むこととなる。


 果たして、夢渡りである燕青が、その呪われた宿命から解放される時は来るのであろうか。


 それはまた別のお話――。

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ドリームウォーカーは夢を見ない~水滸ストレンジア異聞~ 逢巳花堂 @oumikado

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