第52話 失われた記憶

 村の裏手にある山へ遊びに行っていた燕青は、帰り道の途中で異変に気が付いた。


 夕日に照らされた村が眼下に見える。そこから幾条もの煙が立っている。


 食事の支度だろうか、と燕青は思ったが、煙の大きさが尋常ではないことに気が付き、胸の奥にざわつくものを感じた。


 家々から火の手が上がっている。耳を澄ませば、剣戟の音や鬨の声、悲鳴が聞こえる。


 山を駆け下り、何とか麓に到着した時には、すでに村はほぼ全滅の状態だった。燃え盛る炎の中で、倒れている村人達。年寄りであろうと赤子であろうと関係ない。等しく命を奪われている。中には首から上が無い死体や、焼け焦げている死体まで転がっている。


 敵に見つからないよう、遮蔽物に身を隠しながら、自分の家へと向かう。


 村の中央広場が見える所で立ち止まり、建物の陰から様子を窺う。広場には村長を始め、村の主立った大人達が後ろ手に縛られて、跪かされている。


 その間を、官服を着た高俅が鼻歌を歌いながら、剣を振り回して歩き回っている。


「なぜ……このようなことをする!」


 父の声が聞こえた。並んで跪いている大人達の真ん中で、やはり拘束されている。


「なぜかって?」


 高俅は酷薄な笑みを浮かべた。そして、


「自分の胸に聞いてみるんだな」


 そう言って、無造作に剣を振った。


 父の首が飛ぶのを見て、絶叫を上げそうになるのを、燕青は必死で堪えていた――。


 ※ ※ ※


 燕青の生まれ育った所は、スーミン族と呼ばれる少数民族の村だった。民族名には、古代語で、「運命を司る一族」という意味がある。


 争いのない、平和な村だった。


 不安な点が無かったわけではない。中華の地を治める、宋国の存在だ。だが、村は不思議な結界の力で守られているので、長い歴史の中で侵略に晒されることは一度もなかった。


 けれども――ある一人の男の裏切りにより、村は全滅した。


 高俅という男だ。


 元々、高俅もスーミン族の村に暮らす、同じ一族の者だった。その役目は、村と外界との折衝。時に侵入を試みる不届き者どもの前に現れて、釘を刺すのが彼の務めだった。


 その立場を利用して、高俅は宋国に寝返った。国の重要なポストを得るのと引き替えに。


 結界は破られ、村は滅ぼされた。生き残ったのはごく数名だった。


 その後、各地を転々とする中で、様々な人間との関係を深めていった燕青は、ついに反乱軍を結成した。頭領となったのは、元禁軍の武術師範である王進という男だ。


 反乱軍のメンバーは、頭領の王進を始めとし、宋国の悪政に憤りを感じて反旗を翻した者達で構成されていたが、特に高俅に恨みを抱いてる者が多かった。権力を手にした高俅は、この国を自分の思い通りに動かそうとし、そのために多くの人々を犠牲にしていたのだ。だから、高俅を倒すのは、燕青だけではなく、反乱軍全体の悲願でもあった。


 何度も国と戦った。一進一退の、終わりの見えない戦争が続いていた。その中で王進は戦死し、リーダー交代となったこともあるが、新たに誰が就任したかまでは燕青は憶えていない。


 ある時、禁軍の総大将を務めていた高俅が、和平を申し出てきた。戦いに疲れていた反乱軍は正常な判断力を失っており、迂闊にもその申し出を受けてしまった。不穏なものを感じた、燕青を始めとする一部の者達が、再三に渡って止めたにもかかわらず。


 案の定、高俅は和平の会場に仕掛けていた爆弾で、反乱軍の幹部達をまとめて爆殺した。


 主要な幹部を失った反乱軍は、その後の戦争や仲間割れ等で、どんどん勢力を削がれていった。だから二代目頭領は、最後の手段として、長けていた燕青に高俅暗殺の命令を出した。


 しかし、それは失敗に終わった。返り討ちに遭った燕青は、捕まってしまったのだ。


 牢獄に囚われている間に、反乱軍と国の全面戦争が始まった。どちらも犠牲者を多く出したが、最後はやはり数で勝る国が勝利を収めた。その戦いの中で燕青は仲間達に救い出され、何とか都を脱出出来た。だけど、他の仲間達はほぼ全員、命を落としてしまった。


 何もかもが、高俅の思惑通りに進んでいると思われた。


 ところがそこで異変が起きた。


 国が疲弊したところを見計らって、北の草原地帯を支配している、少数民族の国が攻めてきたのだ。反乱軍との戦いで宋国が弱ったところを狙い、漁夫の利を得ん、とばかりに。


 あっという間に都は落とされ――宋国は滅んだ。


 戦いは、虚しい結末をもって、終わりを迎えたかに見えた。


 ところがまだ高俅は諦めていなかった。


 運命を司る民、スーミン族。


 不思議な力を身に宿していた村の大人達は、全員が、強力な秘術を会得していた。


 ある者は人の生き死にを自在に動かし、ある者は国家の趨勢を左右していた。天候を自在に操る者もいれば、時間の流れを速めたり遅めたりする者もいた。


 そんな大人達でも、「禁断の秘術」――異なる世界へと移動する術については、習得を許されていなかった。あまりにも効果が絶大すぎるので、古より禁じられていたのだ。


 そのため、術を行うために必要な手順を記した木簡は、村の裏にある洞窟の奥深くに封印されていた。それを、高俅は村を襲った時に、洞窟の封印も解いて、奪い取っていた。


 だから宋国が滅んだ後、高俅は再起を図った。


 もうこの世界では何も出来ることはないが、新しい世界ならやり直せる、と。


 燕青は仲間を全て失った。


 故郷も無くなり、自分と繋がるものは何もかも消えてしまった。


 だが、このまま終わっていいはずがない。自分達の人生を狂わせた、あの男が、罰を受けることなくして手の届かない遠くへ逃げてしまうのを、許すわけにはいかない。


 そんな思いを胸に、決戦の場へと向かった。世界を移動するため、術の発動に必要な祭壇が築かれた霊山へと。


 祭壇で呪文を唱えていた高俅は、一度術を中断して、燕青を迎え撃った。


 戦いの途中の、細かいやり取りは思い出せない。だが、苦戦していたことは憶えている。それでも燕青は、相手に致命傷を負わせることに成功した。


 高俅は首から噴き出す血を押さえながら、このまま死ぬよりはと、開きかけの時空の門へと飛び込んだ。燕青はそれを追いかけて、自分もまた時空の門を通った。


 時空の狭間を漂っていきながら、燕青と高俅は最後の最後まで戦いを繰り広げた。


 そして燕青は、高俅から魔星録を奪うことに成功した。


 反乱軍の幹部百八人の名が記された巻物。元の世界では禁軍の手による、単なる記録書に過ぎないものだったが、新しい世界では大変な意味を持つことになる。


 別世界でも同じ人間がいて、同じ歴史が繰り返されることがある、ということを燕青は知っていた。絶対に、高俅に魔星録を持たせたまま、新しい世界へ行かせてはならなかった。


 だから奪取した。


 捨て身の覚悟で向かっていき、剣で胸を貫かれながらも、高俅の懐から巻物を引きずり出した。相手は慌てて手を伸ばして取り返そうとしたが、その時には、燕青に蹴り飛ばされていた。


 新しい世界で何よりも必要となる魔星録を奪われ――高俅は初めて燕青の前で激情を露わにしながら――なす術も無く時空の狭間の奥へと消えていった。


 燕青はニッと笑い、懐に魔星録をしまうと、目を閉じて流れに身を委ねた。


 こうして目を覚ました時には、一切の記憶を失っていたのである。

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