第50話 蘇生
燃え上がる工場をバックに、燕青を背負った凌雲がヨロヨロと雪の上を歩いている。
「んしょ……もう少し……」
爆発の影響がない所まで退避してから、燕青を下ろした。
両腕が無いから、どうやって燕青を外へ運ぶか頭を悩ませたが、ちょうどそばに混天綾が落ちているのを発見した。靴下を脱いだ足の指先で触れてみれば、なんとか操ることが出来た。こうして、何とか燕青の体を持ち上げて、自分の背に乗せることが出来たのである。
見た感じ、燕青は怪我をしている様子はない。心臓が止まるほど頭を強打したわけでもなさそうだ。ということは副次的な被害。煙でも吸ってしまい、窒息してしまったのだろう。
「よ、っと」
胸の上に素足を乗せる。そして、肋骨を折らないよう力加減に注意しながら、拇指丘で心臓をマッサージする。一歩間違えばあっさりと殺してしまうので、非常に神経を使う。足でやるなど、本来なら絶対にすべきではないが、両腕が千切れ飛んでいる以上、この方法しかない。
何度か繰り返してから、足を下ろし、しゃがみ込んだ。
女同士とはいえ、これをするのは少し躊躇したが、迷っている状況ではないので、凌雲は身を前に乗り出すと、燕青の唇に自分の唇を重ねた。息を三回吹き込んだが、反応はない。
また胸の上に足を乗っけた。が、やはり手でやらないと無理だ。
「よせ! 何をしてる!」
林冲が駆けつけてきて、槍を構えた。傍から見れば、トドメを刺そうとしているように見えたのだろう。誤解されるのも無理はない。
「ちょうど良かった! 手伝って!」
弁解よりも先に出た言葉が、それだった。
その必死な様子に、林冲は何が起きているのかを悟ったようだが、なお逡巡している。
「お前……どうして、燕青を助けようと……?」
「事情はどうでもいいじゃん! 姉様を助けたいの⁉ 助けたくないの⁉ どっち!」
「……わかった、手を貸す」
林冲は近くに来てひざまずくと、両手を重ね合わせて、燕青の胸に当てた。手慣れた動きでリズム良く心臓に刺激を与えていく。
三十回ほどやったところで、凌雲は再び唇を重ね合わせた。が、まだ息を吹き返さない。
(やめてよ……死なないでよ!)
何度も繰り返す。凌雲は自分の息が荒くなっているのを感じた。林冲も額から汗を流している。もしかしたら、もう手遅れなのだろうか。
(ダメ、そんなの、認めない!)
身勝手な理由で燕青を殺そうとした自分を――小倩を死に追いやった自分を――国に騙されていいように操られていた、こんな愚かな自分を、燕青は見殺しにせず救ってくれたのだ。
このまま死なれたら、自分で自分が許せなくなる。
そんな思いを抱えたまま、これから先を生き続けたくはなかった。
「お願いだから――起きてよお!」
涙がこぼれた。
機械仕掛けの体なのになぜ泣くことが出来るのか、凌雲はよくわからないが、自然と目尻からポロポロと大粒の涙が落ちては、燕青の顔に当たっている。
また唇を重ねて、息を吹き込んだ。今度はさらに念を込めて、力強く。
ダメか――と諦めの気持ちが芽生え始めた瞬間、
「う……げほっ」
燕青は呻き、咳き込んだ。
「やった!」
圧迫運動を中断し、林冲は喜びの声を上げた。
「脈が戻ってきている! 蘇生したぞ!」
意識を取り戻した燕青だったが、視界はまだ霞んでいる。右側には凌雲らしい白っぽい陰が、左側には林冲らしい緑色の影が見えるが、シルエットで辛うじて判別出来る程度だ。
(二人が……助けてくれた……?)
ぼんやりと、自分の身に何が起きていたのかを考えていたが――不意に、足下の方に、誰かがやって来た。
(誰……だ?)
まだ目はあまり見えない。それなのに、相手の姿形はクッキリと見える。
「燕青。よく頑張ったね。でももういいよ」
どこか懐かしい面影のある少女は、穏やかな笑みを浮かべて、燕青のことを見つめている。
「私の簪も大事に持っててくれて嬉しいな。けど、忘れてくれて、構わないんだよ」
「お前……誰だよ?」
「あ、ひどい。忘れてくれていい、って言ったけど、本人前にしてそれはないでしょ」
少女はほっぺたを膨らませて、燕青の眼前に顔を近付けてきた。
「その様子だと、大事なことまで忘れちゃってるみたいね」
「大事な、こと……?」
「わかった。私が思い出させてあげる」
前屈みになり、コツン、と自分の額を、燕青の額に当ててきた。
その瞬間、これまでと比較にならない、息が止まるほどの激痛が、頭蓋の内側を駆け巡った。絶叫を上げながら、燕青は頭を抱え、身を縮める。
やがて、大量の記憶が戻ってくるのを感じながら――意識は闇へと飲み込まれた。
※ ※ ※
次に燕青が目を覚ました時、焚かれた香の薫りが鼻をくすぐってきた。
(ここ……は……?)
すぐには頭が切り替えられず、瞳だけ動かして周囲を見回してみる。
寝台の上に寝かされており、華美な装飾を施された天井が目の前に見える。ぼんやりとした頭を少しずつ覚醒させていくうちに、ようやく、柴進の屋敷であることに気が付いた。
無事に戻ってくることができたのだ。
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