第49話 決着
林冲は、透明化した敵の微かな物音も聞き逃すまいと、全神経を集中させて待ち構えていた。
しかしいくら経っても気配すら感じない。
(まさか――)
刑場の外に向かって駆け出す。
すでに雑魚敵は魯智深が一掃していた。彼女は陸謙の部下二人と渡り合っているが、他に敵はいない。おかげで林冲は邪魔されることなく、外へ出られた。
防壁を通り抜けてから、ザザッ、と雪を散らせて急ブレーキをかける。誰もいない。だが、城門へと通じる道を注意深く見てみると、積雪が規則正しく跳ね飛んでいるのがわかる。
「見つけた……!」
林冲が呟いた瞬間、金霞冠の効力が切れたか、虚空から、城門に向かって馬を走らせている陸謙の姿が現れた。
逃がすわけにはいかない。
槍をまっすぐに構え、呼吸を整える。全身から青い光を放出し、仙姑本来の力を開放させる。その有効時間は、もって十秒。それを過ぎれば一時的に力を失ってしまう。
(いまこの場で決着をつける!)
雪を蹴り、林冲は勢いよく駆け出した。
雪風が激しくなる中、陸謙は馬の腹をひたすらに蹴り続けている。
(無理は禁物だ)
まともにやり合えば、身体能力では仙姑には敵わない。仙姑と互角に戦えるのは同じ仙姑か、仙人くらいだ。だから陸謙は逃走を選んだ。
凌雲が切り札だった。彼女さえ燕青を倒していれば何も問題は無かった。そんな彼女と通信が出来なくなった時点で、陸謙は退散を決意した。自分はどちらかといえば頭脳戦を得意とする方であり、斬った張ったは不得手としている。宝貝があっても勝ち目は薄い。
やれる限りの最善の手は尽くした。相手を甘く見たつもりは決してない。事実、どちらが勝ってもおかしくない状況であり、流れによってはこちらが勝利を収めていたはずだ。しかしあの時、燕青が死んだと誤認した。そのたった一回のミスが、最大の転換点となってしまった。
「ちっ、雪が――」
目に飛び込んでくる雪が鬱陶しい。前がよく見えず、腕で払う。
不意に、背後から殺気を感じた。
振り向けば、林冲が、馬の脚にも追いつかんばかりのスピードで駆けてくる。全身に青い光を纏っていることから、彼女が仙姑の力を開放したのだと知った。
だが、あの状態はいつまでも継続出来るものではないと、陸謙は知っている。時間さえ稼げば問題なく逃げ切れる。
「猪みたいにまっすぐ突っ込んでくるとは……この単細胞が!」
馬上から振り返りざまに、剣を振った。
宝貝太陽刀――名前の通り刃が高熱を帯びており、振れば熱波を飛ばせるという武器だ。
放たれた熱波は真正面から林冲に激突した。ドンッと爆発音のような轟音が響き、林冲は弾き返されて転倒する。
「城門を開けろ!」
門を守る兵士達に大声で叫んだ。吹雪の音で聞き取りづらいかと思ったが、ひと目見て状況を察したようで、兵士達は、馬が通過出来る分だけ、門を開けてくれた。
「私が通ったら、すぐ閉めろ!」
駆け抜けながら指令を出す。
言われた通りに、陸謙が抜けるのと同時に、兵士達は門を閉め始めた。
熱波を喰らって倒れた林冲は、素早く起き上がったが、その時にはもう陸謙は城門を抜けてしまっていた。
(間に合わない!)
このまま進んで門を突破するには、もう残り時間が少ない。最善の一手を瞬時に判断した林冲は、進行ルートを変えた。
横の建物に向かって跳躍し、屋根の上に飛び乗る。
そこから、隣の屋根、その隣の屋根へと、城壁を目指して跳び伝ってゆく。青い妖光を放ちながら高所を猛進する自分の姿を見て、滄州城内の人々が驚きの声を上げた。
城壁に隣接した、高い建物の上に飛び移ったところで、林冲はさらに脚に力を込めて、屋根を蹴って跳び上がった。城壁上の兵士達がその姿を捉え、口々に騒ぎ始める。
「と、止まれェ!」
矢が放たれ、林冲の左肩に突き刺さった。が、その程度では怯まない。
城壁に激突する寸前で、上体を大きく回転させ、槍を振るった。
「ヤァァァ!」
仙気を込めた一撃が城壁に叩きつけられ、ズシンッと地響きが鳴り響く。
爆砕。ただの槍による薙ぎ一閃で、城壁の上部がごっそりと吹き飛ばされた。ガラガラと足場が崩れる中、兵士達は悲鳴を上げながら地上へと落下していく。
林冲は、崩れた城壁の上へと乗った。吹雪の雪原を馬で駆けてゆく陸謙の姿が見える。
槍を逆手に持ち、投擲の体勢に入る。
(あの世で小倩に詫びろ――ッ!)
仙気を全身に漲らせる。そこから右腕により多くのエネルギーを投入すると、上体のバネを活かして、思い切り、憎き陸謙の背に向かって、林冲は槍を投げつけた。
雪と風に煽られる中、雪原をひたすらに進んでいた陸謙は、背後から聞こえてきた風切り音に気が付き、馬上で振り返った。
槍が、飛来してきた。
バスンッと胸を貫き、体を突き抜けた槍は、そのまま雪の上へと刺さった。
ゴプッ――陸謙は口から血を吐き、胸に空いた風穴に手を当てると、口の端を歪めた。遠く離れている、半壊した城壁の上に、林冲が立っているのが見える。
「クク――ククク、ククククク」
静かに笑う。グラリと体が傾き、馬から転落した。乗り手を失った馬は、所在なげに近くをうろついていたが、そのうちどこかへ去っていってしまった。
やがて林冲がこちらへ近寄ってきた。
雪から槍を引き抜き、林冲は、陸謙の喉元に穂先をピタリと当てた。
「長話をするつもりはない。だがせめてもの情けだ。最後に言いたいことはあるか」
「……天命、という言葉がある」
「知っている。天の定めのことだろう。それがどうした」
「人の生き死にとは、所詮、我々人間の意思ではどうにもならないものだ。今日こうして私がお前に殺されようとしているのも、とどのつまり天命」
「負け惜しみか?」
「いいや、忠告だ」
ギシイイイと軋む音が聞こえそうなほどに、口元を歪めて、陸謙は笑った。
「せいぜい気を付けるんだな、燕青に」
「何を言ってる……?」
「私にはわかる。奴が前の世界で何を見てきて、何のために戦ってきたのか。その全ての記憶を取り戻した時――それでも、奴は、お前の味方でいられるかな」
「前の世界⁉ 待て、ちゃんと説明しろ!」
林冲の言葉には応じず、陸謙は、不気味に笑みを浮かべ続けたまま、背中の下に隠れている太陽刀に手を触れた。
「さらばだ、林冲。冥府で待っているぞ」
ボンッと炎の柱が上がり、陸謙を包み込む。断末魔を上げることもなく、数秒でその体は炭となり、溶けた雪の上にボロボロと崩れ落ちてしまった。
残された林冲は、ひたすらに困惑している。
「いまの話は……何だったんだ……?」
その時、滄州城の方から爆発音が聞こえてきた。
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