第45話 凌雲の秘密
キイイイと風火輪が駆動音を放ち始める。まずい――と燕青が思った時には、首を掴まれ、空中へと持ち上げられていた。そのまま凌雲は飛行を開始する。
防壁を越え、城内の建物の間を縫うように飛んでいく。低空飛行なのは、制御装置たる風火輪のひとつが破壊されたからか。高所まで持ち上げられることがないのは助かるが、しかし宙に浮いているせいで喉に凌雲の指が食い込み、「かっ――!」と息が出来なくなる。
「んー! 上手く飛べなあい!」
イライラした様子で凌雲は喚いた。さすがに燕青を持ったまま飛ぶのは限界があるようで、一旦手を離した。放り捨てられた体が、どこかの建物の壁に叩きつけられた。衝撃で息が止まりそうになったが、まだ生きている。
燕青は、近くの扉を蹴破り、建物の中に入った。
何かの工場のようだ。溶接する音や、プレスする音が聞こえる。動き回っている作業夫達が、燕青のことを不思議そうに見てきた。構わず、奥へと進んでいく。
「はーい、みんなぁ。ここはもうすぐ戦場になるからすみやかに脱出してくださーい」
続けて工場内に入ってきた凌雲が、警告を放つ。しかし作業夫達は顔を見合わせるだけで、なかなか動こうとしない。「もう」と凌雲は頬を膨らませ、混天綾を近くのタンクに向かって飛ばすと、絡みつかせて超振動を発生させた。
轟音とともにタンクは破裂した。中に入っていた水が噴き出す。
さすがにこうなれば仕事どころではない。作業夫達は口々に叫びながら避難を開始した。その中を、悠々と凌雲は歩いていく。
鉄骨で出来た足場の上で、燕青は待ち構えていた。カンカンと小気味よく音を立てながら階段を上ってくる凌雲を見ながら、ここから先の戦い方を何度も脳内でシミュレーションする。
「ダメよお、姉様。こんなところを戦場に選んだら、みんなに迷惑かかるでしょ」
「この工場は……何なんだ?」
「兵器を作ってるの。宝貝とかじゃない、普通の兵器ね。でも機械設備の類は宝貝の技術を応用してるから、世界で一番最先端の工場じゃないかしら」
そして、実に楽しげに凌雲は笑みを浮かべた。
「ねえ、そんなことより、早くしようよお。私ウズウズしてるの」
「俺を殺したくって、か」
「うん。いよいよその時だよ、姉様。覚悟は出来てる?」
「どうしてそんなに俺を殺したい?」
「んー、殺したいというより、その体が欲しいの」
「俺の体?」
「一年前――私の中に、星が入ってきた」
ためらいもせず凌雲は襟を外し、胸元を開いた。豊かな乳房が外にこぼれ出る。何をするのかと燕青はギョッとしたが、彼女の胸の谷間に浮かび上がっている文字を見て、理解した。
白く輝く「巧」の字。
それは、魔星録では燕青に割り当てられている星、「天巧星」の証。
「星を宿した時から、空っぽだった私の中に、姉様の記憶が入ってきた。いっぱい怒ってて、いっぱい笑ってて、いっぱい泣いてて――それは私にとって、とても素敵なものだったの」
襟を直してから、凌雲は自分の胸に手を当てて、心地良さげに目を閉じる。
「私はね、姉様。何でもない存在だった。ただの機械だった。そんな私に思い出と感情を与えてくれた。だから私にとって姉様は『姉様』なの。私より先に色々なことを経験してて、私にその全てを与えてくれた愛しい人……いつか会えたら、って、ずっと夢見てた」
「だったら何で殺そうとしてくるんだ」
「欲しいの。姉様の全てを」
熱っぽい目で見つめてくる。その瞳に宿るのは愛情。狂おしいほどに強い偏愛。
「大好きなの。愛してるの。私、我慢が出来ない。この記憶は、こんな私みたいな偽物の体に収まってていいものじゃない……! だから、移したいの。本当の体に。その姉様の体に」
「俺を殺して――体を乗っ取るつもりか!?」
「そ。いまの私の中身を、そっくりそのまま姉様の体に移植するの。いいよね? 本来あるべきところに戻るんだし、どうせいまの姉様は以前の私と同じで、空っぽでしょ」
「……空っぽじゃない」
「へ?」
「俺は、空っぽなんかじゃない!」
記憶をほとんど失っている。自分が何者だったかも人から聞いてやっと知ったくらいだ。
それでも、
「いままでのことは全部失っても、俺には新しい思い出があるんだ! 小倩や、林冲――それに、魯智深や――凌雲、お前のことだって!」
指を突きつける。かすかに、凌雲はピクンと体を震わせる。
「記憶をもらった⁉ 感情を教わった!? そんなの、俺からの借り物じゃないか!」
「……うるさい」
「お前の、いまの凌雲として生まれ変わってからの記憶があるだろ! どうしてそっちを大事にしないんだよ! 記憶なんか無くても――お前はお前だろ!」
「うるさァァい!」
激昂した凌雲は肩にかけていた火尖槍を構え、間髪入れず引き金を引いた。
飛んできた光線に対して、すぐに燕青は懐から魔星録を抜き出し、バッと広げた。破壊不能の巻物による絶対防御。光線は弾かれ、霧消した。
「姉様にはわからない! 私のことなんて、絶対にわからない!」
凌雲は、もう一挺の火尖槍を撃つ――と見せかけて、混天綾を飛ばしてきた。巻物を広げていたせいで視界が遮られていた燕青は、相手の行動を見落としてしまい、反応が遅れる。
左右から包み込むようにして伸びてきた混天綾は、燕青の体にグルンと巻き付いてきた。
「いい加減、私のために死んで!」
振動音が聞こえる。何とかほどこうと燕青はもがいた。だが、締め付けるように巻かれている混天綾を引き剥がすことはかなわない。
「く、そ!」
グシャッ――肉体の砕ける音が、無慈悲にも響き渡った。
燕青は血を吐き、崩れ落ちるとともに、あえなく絶命した。
「……姉様、死んだ?」
興奮冷めやまぬまま、凌雲は窺い顔で、燕青に声をかける。全く反応はない。
「うふ……ふふふ」
そのうち笑みがこぼれてくる。ついにこの時が来た、とばかりに。
体に組み込まれた機能を使い、陸謙の通信機へと連絡を入れた。
「陸謙? 私、凌雲。聞いて聞いて! やっと死んだの! 姉様が死んだの!」
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