第42話 突入

 雪に覆われた森の中を、フード付きの外套を羽織った小柄な人間が歩いてくる。


「誰か来るぞ!」


 最初に発見した兵士は、すぐに鉦を鳴らした。


 城内の屋根の上に配備された弓兵達は、鉦の音を捉えて、中央の方に向かって次の兵士へと引き継ぐように、連続して鉦を鳴らしていく。


 やがて、刑場や牢獄のある敷地を囲んでいる防壁上へも、その音は伝わってきた。


「――お嬢様。来たようです」


 討仙隊第四隊の副官葉清は、白い手袋をキュッとはめ直し、火尖槍を手に取った。スラリとした長身の青年だ。隊長である瓊英と同じように、西洋のゴシック調の服に身を包んでいる。異国では執事と呼ばれる者達の格好だ。


「葉清、私のことは『隊長』と呼べといつも言っているのです」

「ああ、失礼しました。ですが二人きりの時くらいはご容赦ください」


 ゴスロリの格好をした瓊英と、執事の衣装を着た葉清は、防壁上に並んで屈み込み、揃って火尖槍を構えた。呼吸を一定のリズムに整え始める。白い息が細く吐き出された。


「『お嬢様』と呼ぶのがたまらなく好きなのです。愛ゆえに」

「黙るのです変態執事」


 二人とも、銃口を、城門から通じている道の方へと向けた。


 ※ ※ ※


「止まれ!」


 早朝なので城門は閉まっている。門前で待ち構えていた五人の兵士達のうち、警備隊長が進み出て、剣を突きつけた。


「雪の中、こんな時間に怪しい奴。名を名乗れ」

「……俺は、燕青だ」


 フードを取った少年の顔を見て、警備隊長は自分の鼓動が早くなるのを感じた。指令は聞いていたが、まさか本当にやってくるとは思わなかった。


(ということは……だ)


 ここから先のことも、指示通りに行わなければいけない、となる。


 すなわち、燕青の抹殺。


(おいおいおい、俺に出来るのかよ!?)


 部下四人の顔を見ると、全員すっかり怯えている。一人は、小さく首を横に振ってる。


(ムリだ! 絶対ムリだ! 奥にいる討仙隊の化け物連中ならともかく、俺らはただの田舎兵だぞ!? それを、高太尉を殺しかけて生き延びてるような奴相手に、勝てっこ――)


「ねえ、案内してくれないの?」


 燕青がジロリと睨んできた。


「せっかく巻物持ってきたのに、通してくれないんだったら、帰ろうかな」

「わ!? 待て、待て待て、帰るな! いま中に入れる、入れるから!」


 警備隊長は慌てて門のところへ駆けてゆき、ガンガンと門扉を叩き、向こう側にいる仲間に合図を送る。すぐに横木が外される音がして、門が開き始めた。


「さあ、開いたぞ! 来るんだ!」


 手招きすると、素直に燕青はこちらへ向かって歩いてくる。


(ふ、ふふふ、バカめ!)


 思いのほか事が上手く進んでいるので、警備隊長は内心ほくそ笑んだ。


 門の上には落とし格子が仕掛けられている。無防備に潜り抜けようとした相手を押し潰したり、閉じ込めたりするトラップだ。あと燕青が四歩踏み出せば、落とし格子の真下に来る。そうなれば、城壁の上に合図して、罠を発動させるだけだ。


「いまだ!」


 燕青が仕掛けの真下まで来たところで、警備隊長は上に向かって手を振り上げた。


 ガリガリガリと凄まじい摩擦音を立てて、落とし格子が落ちてくる。轟音とともに地面が揺れた。雪が舞い上がり、城門の辺りはしばし視界が悪くなる。


(やった! 仕留めた!)


 タイミング的にかわせなかったはず。警備隊長はガッツポーズを取った。


「甘いよ」


 目の前を覆う雪煙が二つに割れ、中から、燕青が飛び出してきた。


 ガッ、と警備隊長の顔面を掴むと、足を払い、後頭部から地面に思いきり叩きつける。


「ぇが――!」


 一撃で警備隊長は昏倒してしまった。


 ※ ※ ※


「え、燕青が現れました! 城門を突破し、こちらへ迫ってきているとのことです!」


 刑場に飛び込んできた兵士の報告を受け、見物に訪れていた民衆は動揺し始めた。やがて、襲撃による巻き添えを食らうことを恐れて、こぞって刑場から逃げていく。


「ククク、実に理想的な展開だ」


 一帯の空気が張り詰めていく中、陸謙だけは楽しそうに笑っている。


「ここまで短絡的な男だとは思わなかったが、我々にとっては都合がいい」


(燕青……!)


 林冲は猿ぐつわのせいでまともな言葉が放てないが、出来ることなら、大声を出して止めたかった。もういい、やめろ、これ以上自分なんかのために命を投げ出さないでくれ、と。


「いかがされますか、陸副官。滄州城の兵士達では荷が重いかと」

「及ばずながら、我らも第四隊の補佐を致したく」


 陸謙の部下二人が寄って進言をしてきた。陸謙は頷くと、刑場に待機していた兵士達二〇名を招き寄せた。彼らは滄州城の兵士の中でも、選りすぐりの精鋭達だ。


「指揮は董超と薛覇に任せる。ここへ立ち入らせることなく仕留めろ。せめて一殺」


 自らの喉元を掻き切るような仕草で、言わんとしていることを伝える。


「奴は一度では死なないが、二度なら殺せる。だから、せめて一回は仕留めるんだ。いいな」

「はっ!」


 部下二人は兵士達を率いて、防壁の方へと向かっていった。


「さて、この布陣を相手に、どこまで切り抜けられるか」


 楽しそうに陸謙は呟いた。その顔を、林冲は鋭い目で睨み続けている。


 不意に、ズン――と振動が伝わってきた。


「……なんだ?」


 音のした方を、陸謙は見た。防壁からだ。


 上に立っている弓兵達が叫び声を上げて、次々と矢を放ち始めた。


「何かいるのか……?」


 目をすがめて、事態を把握しようと陸謙が耳を澄ませた時。


 壁が粉砕され、土砂と雪を巻き上げながら一気に崩壊した。


 その向こう側から魯智深が突入してくる。


「なるほど、燕青は陽動か!」


 陸謙は剣を抜き、振りかぶった。刃に熱気が溜まり、落ちてくる雪が触れてジュッと溶ける。そして、まっすぐに猛進してくる魯智深目掛けて、熱波を放とうとした瞬間。


「うおおおらあああ!」


 雄叫びとともに、魯智深は禅杖を振りかぶると、力一杯上体を回して――放り投げてきた。禅杖は回転しながら、宙を滑空してくる。


「くっ!?」


 いきなり得物を捨てるとは、予想外だった。陸謙は攻撃を中断し、処刑台から飛び降りる。


 飛んできた禅杖は、処刑台に激突し、木組みを滅茶苦茶に破壊しながら、反対側まで一気に貫通した。たちまち処刑台が崩れ始める。まだ上に残っていた首切り役人は悲鳴を上げたが、なす術もなく、バラバラになった木材に巻き込まれていった。


 処刑台のところへ駆けつけた魯智深は跳び上がると、林冲の体をキャッチした。そのまま不安定な足場の上を軽やかに伝ってゆき、地面へと降り立った。


 ゴシャアと処刑台は潰れてしまった。


 禅杖を拾った魯智深は、林冲を拘束している物を全て破壊した。猿ぐつわや手枷足枷だけでなく、彼女の力を抑えていた宝貝緊箍児も外してやる。


「すまない」

「いいってことよ。礼は後で燕青に言ってくれ」

「しかしこれはどういうことだ? なぜお前が? 私とは面識もないのに……」

「細かいことはまた教えてやる。当面の問題は、ここをどう切り抜けるかだ」


 と、そこで林冲の耳元に口を近付け、作戦について簡単に説明してきた。敵を前にして余裕もないので、これまでの経緯は一切飛ばして、作戦の要点だけ伝えてくる。


 内容を聞いた林冲は目を丸くした。


 その間に陸謙は剣を構え、いつでも戦えるような体勢を作っていた。


「まさかお前が力を貸すとはな、魯智深。おかげでまんまと攻め込まれた――」


 最初こそ悔しげに言っていた陸謙だが、そのうち、顔に笑みが浮かんできた。


「――などと、言うと思ったか?」


 林冲と魯智深の周りからブウンと音が聞こえる。


 唐突に、漆黒の機械兵達が次々と姿を現した。姿を見えなくして待ち構えていたのだ。


「伏兵か!?」


 魯智深は禅杖を振って、近くにいる機械兵の頭を殴った。ブヂッと配線の千切れる音がし、頭部が吹き飛ぶ。が、まだ機械兵達は、七体もいる。


 さらに石造りの牢獄の屋上から、白い影がフワリと舞い、雪の上にザンッと着地した。


「もーう、待ちくたびれちゃったよお」


 凌雲だ。羽衣状の宝貝混天綾を身に纏い、周囲には風火輪を浮かべて、両手には二挺の火尖槍を持っている。完全装備。人造仙人の彼女ならではの凶悪無比な兵装。


「お前達の作戦は、奇策とも呼べぬ愚策だ。この程度のこと、私が予想していないとでも思ったか? 己の浅はかさを呪いながら――死ね」

「ちっ……参ったな。ここで俺がやられるわけにはいかねーんだけどな……」


 魯智深は舌打ちし、武器を持たない林冲をかばうようにして、敵の一団と向かい合った。

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