第41話 反撃の時

 夜になり、柴進の部屋に全員集合した。


 燕青を中心とし、左右に魯智深、安道全、曹正が立っている。三人とも燕青が呼んだ。ガラスの向こうでは柴進が椅子に腰掛けている。


「頼みがある、って、なんだよ」


 自殺を図ったことをいまだに怒ってるのか、魯智深はぶっきら棒に尋ねてきた。


「明日の朝、滄州城へ行く」

「行く、って、何をしに?」

「もちろん――戦いに」

「おお⁉」


 一転、喜色満面の笑みを浮かべて、急に魯智深はソワソワし始めた。



「やんのか! 攻め込むのか! よっしゃ、そういうことなら協力してやってもいいぜ!」



 やたらと燃え上がっている魯智深を放って、柴進とガラス越しに向かい合った。彼女は穏やかな笑みを浮かべて、静かに佇んでいる。


 ただひと言だけ、聞いてきた。


「それがあなたの選択なのですね、燕青さん」

「うん。戦うのでも、逃げるのでも、死ぬのでもなく――」


 拳を強く握り、しっかりと頷いた。


「――守る。それが俺の選んだ道だ」

「守る?」

「あいつの大事な姉貴だ。林冲だけは死なせない。絶対に」


 今度は安道全の方を向いた。


「安先生、これからの戦いのために、教えてほしいんだ。仙人が一度死んでも復活出来る仕組みを。正確に理解しておきたい」

「長い話になるから、ちょっと覚悟してちょうだい」


 あらかじめ断ってから、安道全は話し始めた。


「人間のエネルギーとなる『気』は、通常は体内を常に駆け巡っているの。でも、もうひとつ、貯蔵庫となる場所がある。それを『気海』と呼ぶわ。まずは、表面的な部分を流れる『気』と、貯蔵されている『気』、二種類があるってことを理解してちょうだい」

「それで? どういう時に、その『気』を消耗するの?」

「まず表面的な『気』は、何かの術を使う時、宝貝を操る時、怪我を治す時――また、仙姑が特有の力を開放させる時等、色々な局面で消費されるわ。それが不足してくると、今度は『気海』に貯蔵された『気』が流れ出てきて、補充される。『気海』の『気』は、基本的には自然界のエネルギーを取り込んで自動的に蓄積されていくから、時間が経てばまた充満するわ」

「仙人が――一度死んで――復活する時は?」

「『気海』の『気』を使い切る。つまり、貯蔵庫に溜まっているエネルギーを全放出する、ってこと。一度死を迎えた体を復活させるのだから、それだけの生命力が必要なのも当然の話ね」

「あとひとつ教えて。『気海』の中が空っぽになると、表を流れる『気』も無くなるの?」

「関係ないわ。『気海』が空になっても、体内を普通に駆け巡っている『気』は無くなったりしない。復活した直後でも、たとえば宝貝を数回使ったりするくらいなら出来ると思う」

「それを聞きたかった」


 これで考えはまとまってきた。


「魯智深。正直に言って。俺達二人だけで滄州城の奴らと戦えると思う?」

「ぶっちゃけキツい。陸謙は、あまり戦闘が得意じゃないのか、都で戦った時はすぐに逃げたけど、隊長クラスは別物だ。そいつらが二人以上いたら、それだけで苦戦するだろうな」

「……俺の武器は、せいぜい身に付いた戦闘のカンだけ。戦い方も、経験してきたことも、何も憶えてない。だから、圧倒的に不利なんだ。それでも確実にあいつらをやり込めるには――賭けに出るしかない」


 それから燕青は全員の顔を見た。


「俺の考えてる作戦を説明する。全くダメだと思ったら、指摘して」


 続けて、その内容を話し始めた。


 まさに奇策――皆が目を見張り、固唾を飲んで、燕青の話に耳を傾けていた。


 ※ ※ ※


 明け方が近くなってきた。独房の窓から、淡い光が入ってきている。


「出ろ」


 格子戸を開け、兵士が乱暴に促してきた。


 さすがに暴れないようにと、手枷と足枷をつけられて、林冲は牢屋の外に出された。


(いよいよ最期か……)


 死ぬことは怖くない。ただ気懸かりなのは、小倩だ。陸謙の言う通り、妹は自分のことを強く慕ってくれている。そんな妹が、もしも自分が殺されたことを聞いたら、どうなるだろうか。


(まさか私を助けに来ようなんて、そんなバカな真似はしないでくれよ)


 牢獄から外へ出ると、冷たい風が頬に当たった。降り続けている雪が、頭や肩に積もってくる。靴を履かされていないから、素足で雪上を進んでいく。足の裏が引き裂かれそうなほど痛くなってきたが、これから死ぬのだから、凍傷になろうと関係ない。


(不思議だ――綺麗に見える)


 殺風景な城内の様子。牢獄の前には処刑台が設けられている。どこもかしこも雪で覆われている、そんな寒々しい光景が、なぜかこれまでの人生で一番美しいものに見えた。


(せめて死ぬ前くらいは、思い出に浸ろう)


 少しばかり、小倩のことを考えた。


 林冲には妹が生まれてくるはずだった。七歳の時のことだ。


 母のお腹の中でスクスクと育っている赤ちゃんの姿を想像しては、自分が姉になる瞬間を夢見て、毎日が楽しくて楽しくて仕方がなかった。


 だが、妹が誕生することはなかった。


 母も命を落とした。流行り病にかかった直後で、体力が弱っていたせいもあった。


 大好きな母と、待ち望んでいた妹、両方とも失った林冲は、しばらくの間塞ぎ込んでいた。ただ息をしているだけで憂鬱だった。


 そのような日々を過ごしていたから、父から武術を習い始めたのも、当然の成り行きであった。体を動かしている間は嫌なことを忘れられる。それに、自分が強くなるのを実感する度に、この世界から悲しみを消し去ることが出来るような気になり、生きる自信にも繋がっていった。


 そして一四歳の時、小倩が家にやって来た。


 最初は慣れなかった。正直、所詮は義理の妹、という思いの方が強かった。


 だけど、ある武術大会で、男達を相手に圧倒的な強さで勝ち進んでいる自分の姿を見て、小倩が無邪気に手を叩いて喜んでいたのを見た時から、気持ちは変化していった。大会で優勝を果たした後など、小倩は興奮気味に色々と質問を浴びせかけてきたものだ。


 新鮮な驚きと感動がそこにはあった。


 周囲からは、「女のくせに生意気だ」とか、「もっと女らしく生きればいいのに」とか言われている中で、小倩は全面的に自分のことを肯定してくれた。


 何て可愛い妹なのだろう、と思った。


 ――いつしか、こう考えるようになっていた。


 小倩は、かつて生まれることのなかった妹が、ちょっと遅れてこの世に現れた存在なのだ、と。自分の本当の妹であることに変わりはないのだ、と。


 それが、妹にも話していない、林冲の秘めたる想い。


(伝えたかったな、私の気持ち)


 処刑台に上げられたところで、急に後悔の念がこみ上げてきた。妹への愛を伝えられないまま死んでゆくのが、たまらなく辛かった。だけど、刻一刻と死の時は近付いてきている。


 毛皮を着た首切り役人が処刑台に上がってきた。筋骨隆々とした体格で、あの太い腕で剣を振り下ろされたら、一撃で首は吹っ飛ぶだろうと思われた。


 処刑台の周りには柵が作られており、次第に人々が集まってきた。この滄州城内に住む一般市民だ。大方、世間を騒がせている仙姑が処刑されるというので見物に来たのだろう。


「聞け! 滄州城の者達よ!」


 陸謙が現れ、処刑台の前で高らかに声を上げた。


「こいつは禁軍の槍棒師範を務めていた女、林冲だ! しかしその正体は仙姑――国を滅ぼす魔女の一人だ!」


 民衆は静かになった。いざそうだと告げられると、気味が悪くなったのだろう。


「これまで我々は苦戦を強いられてきたが、ついに初めて仙姑を捕らえることが出来た! 他の仙姑達への見せしめとして、まずはこの林冲を処刑するつもりだ!」


 首切り役人が刀を確認し始めた。間もなくその時は訪れる。


「だが――ここであえて、私はひとつの道を、彼女に与えようと思う」


 不意に、陸謙の語調が変化した。


 何も知らない林冲は、何を言い出すのかと陸謙の方に注目する。


「国に従順であろうとするならば、寛大な心で受け入れよう――我々はそう考えている」


 ほんの少しの間喋るのをやめ、陸謙は処刑台の上へと上がってきた。ひざまづかされている林冲の隣にしゃがみ込み、小さな声で囁いた。


「交換条件を出した。お前の身柄と、巻物とでな」

「な……⁉」

「さて、燕青は来るかな?」


 陸謙は立ち上がると、両腕をバッと広げて大声で刑場全体に呼びかけた。


「昨日より城内でも触れ回っているのを、聞いた者もいるだろう! この女の仲間が滄州に潜伏している! 我々より奪った機密書類を持ったままで、だ! もしも、仲間が奪った物を返すというのであれば、処刑を取りやめるのもやぶさかではない!」


 嘘だ、と林冲は見抜いていた。皇帝の命令は絶対だ。仙姑を生かしておくはずがない。


「何を言ってる! そんな心にもないことをよくも――」


 最後まで言わせてもらえなかった。首切り役人が後ろに回り込んできて、猿ぐつわを噛ませてきた。「むぐっ!?」と呻いた時には、もう言葉らしいものは何ひとつ発せなくなっていた。


(ダメだ! 燕青、小倩、来るな!)


 誘き出す気だ。林冲を見捨てられず、巻物を持ってきた燕青達を騙し討ちにするため。民衆の前で宣言した以上は、おそらく気付かれないよう、城門のあたりで殺すつもりなのだろう。そうして「結局仲間は助けに来なかった」と言って、予定通り処刑を実施するのに違いない。


 林冲は、無力な自分を呪った。自分のせいで危険な目に遭わせようとしているのに、それを止めることが出来ない。とにかく燕青達が敵の罠にかからないことを祈るばかり。


 だが、この時にはすでに、燕青は城門前に到着していた。

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