第39話 意外な訪問者

 次に目を覚ました時、燕青の体は診察台の上に寝転がらされていた。


 血が足りなくなっているからか、頭がぼんやりしている。わずかに首を傾けて自分の腕を見てみると、脈のところに管が突き刺さっており、新しい血がどんどん流し込まれているのがわかった。


 管の先には、透明な袋が置いてあり、その中には真っ赤な血が溜まっている。


「久々に仙姑の力を使ったわ」


 ちょっと怒った口調で、枕元の椅子に座っている安道全が話しかけてきた。


「それでも血が足りなくなっていたから、輸血しないといけなかったけど。まあ、この際、貴重な血を使わされたのは許すとしても――どうしてあんなことしたの?」

「……わからなかったから」

「わからない?」

「自分が何をすべきか、何者なのか、どう振る舞うのが正解なのか……わからなかった。そうやって悩んでたら、気が付いたら剣を持ってて……」


 やれやれと安道全はかぶりを振った。


「疲れちゃったのは同情するけど、お願いだから、そんな短絡的なことだけはやめてちょうだい。少なくともここに一人、あなたのことを心配している人間が一人いるのよ」

「どうして……」

「はい?」

「どうして、昨日会ったばかりの俺を、心配出来るの……? 別に、俺を助けたところで、あんたには何の得も無いじゃないか……」

「まったく不愉快なこと言ってくれるわね。そんなの決まってるじゃない。私は医者よ。さらに言うなら、それ以前に――」


 そこで安道全は優しく燕青の頭に手を添えて、ゆっくりと撫でてきた。


「――私は、人間よ。死にそうになっている人を見捨てられるわけ、ないじゃない」

「見捨てるわけ……ない……」

「難しく考えすぎよ。もっと素直に、自分の気持ちに従って。そりゃもちろん冷静になるのも大事だけれど、後先考えていたら何も出来なくなるわ」


 燕青は黙って聞いていた。安道全の言葉は、かつての小倩の行動と重なるものがある。彼女はもっと広い範囲の人々を心配していた。国と仙姑の争いが激化すれば、より多くの民が巻き添えになる。それを懸念していたであろう小倩は、巻物を処分することを決意したのだ。


 成功するか失敗するかは、それが正しいか間違っているかは、後に回して。自分がやるべきと感じたことに、小倩は従っていた。


 ある面では真理だと燕青も思っている。動かねば、何も変えられない。


 けど――自分の中に、生まれてしまった。


 失うことの恐怖心。何かのために戦って、それでも報われなくて、結局周りの人々が死んでしまうこと。その時に自分を襲ってくる喪失感は、自身が命を失うことよりも遙かに恐ろしい。


(きっと、俺は前の世界でも、何も出来なかったんだ……)


 滲み出た涙を、安道全に見られないよう、腕で顔を覆って隠した。


「おとなしく寝てなさい」


 気を遣ってか、安道全は部屋の隅に行って別の作業を始めた。それでも声は聞こえてしまうので、燕青は嗚咽が漏れそうになるのをひたすら我慢し続けた。


 しばらくしてから、扉の開く音がした。


「失礼します。燕青様にお目にかかりたいという客人が――」

「あら。柴進の許可はもらったの?」

「ええ、すでに御主人様との面会は済ませております」


 召使いと安道全のやり取りの後、別の人間の足音が聞こえ、誰かが部屋の中に入ってきた。


「もうお昼アルよ! 寝ているのはよろしくないネ!」


(え……?)


 一度聞いたら忘れようがない独特な喋り方と、愛嬌のある声。燕青は腕をどかして、声の主を確かめた。


 満福楼の料理長にして、仙姑の一人、曹正がそこに立っていた。


「どうしたんだよ!? お前、店は!?」

「んー……副料理長に譲ったネ」

「譲ったァ!?」

「燕青達を船に乗せたのバレたネ。それで都を脱出して、とりあえずはここへ来たわけヨ」

「……迷惑、かけたんだな」

「気にすることないネ。いつ仙姑と気付かれてもおかしくなかったから、私としても潮時だったアル。それに、小倩のおかげで、私、気が付いたヨ」

「小倩の?」

「料理の道を極めるのに、場所は関係ないってネ」


 曹正は寂しげに笑った。柴進と先に会っている、というのなら、もう小倩がどうなったのかは聞いているのだろう。


「もう彼女に会ってきたの?」


 安道全に尋ねられて、曹正はコクンと頷いた。それから燕青のそばに寄り、ソッと額に手を当ててきた。指先の温もりを感じる。


「……体から陽の気が抜けているネ。よくないアル。私が何か温まるものを作ってくるネ。厨房は使ってもいいカ?」


 召使いの女性の方を向き、尋ねる。


「構いませんが、いまは屋敷の者達の昼食を作るので、使っておりますが……」

「それなら今日は私が全員分作るネ。厨房を貸してもらうヨ」

「え!? 曹正さんが、作ってくださるのですか!?」


 落ち着いた雰囲気だった召使いの女性は、急に目を輝かせて、小さく飛び跳ねた。満福楼の名はこの滄州まで伝わっているらしい。


「任せるアル。力を開放すれば、ここの人数分くらいわけないネ」


 そして燕青の方を向き、曹正はニコッと笑った。


「どうネ? せっかくだから、私の本気の料理、見てみてアル」

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