第38話 死ぬための条件

「逃げる、というのもひとつの手よ」


 触診を続けながら、安道全は別の選択肢を提示してくれた。


 診察台にうつぶせになって体の調子を診てもらっている最中に、ふと燕青は相談した。同じ十代とは思えないほど大人びている安道全は、案の定、落ち着いた回答を返してきた。


「気にすることないわ。決めるのはあなただから。後悔しないような道を選択しなさい」

「逃げても……いいのかな」

「自分がそれでいいと思ったら、その道だって間違いではないわ」


 ひと通り確認した安道全は、「よし」と呟いた。


「体の調子は問題なさそうね。仙気の流れも順調よ」

「仙気……?」

「仙人や、仙姑は、普通の人間とは比較にならない生命力をその身に宿している。それを仙気と呼んでいるわ。仙人が宝貝を使ったり、仙姑が本来の力を開放したりする時には、仙気を消耗する。怪我や病気も、仙気さえあれば早くに回復出来るわ。ただ、不足している状態で致命傷を受ければ、そこで一巻の終わりね」

「だから林冲は助かったのか……」

「あなたもよ。この屋敷に連れ込まれた時、あなたの仙気はほぼゼロに近かった。一回命を落としたけど、蘇生のために体内の仙気を全部使い果たしたんでしょうね」

「それが、仙人が不死だっていうことの、正体か」

「もちろんいま話したように、厳密には不死ではないわ。一回蘇生するのに仙気を完全に消費する必要がある。だから、息を吹き返した直後にもう一度致命傷を受ければ――そこでアウト」

「だったら、死ぬ時は、二回自分を殺せばいいってことか」

「……何を言ってるの?」


 安道全の表情が強張った。


「医者の私を前に、まさか、死にたいと言ってるわけ?」

「どんな道を選ぶのかは、俺次第、なんだろ」


 燕青は冷たく笑う。もう投げやりな気分だった。


「それなら、自ら死ぬ、っていうのもアリだよな」

「何も思い出せないまま、命を断てるの? 記憶を取り戻せば希望だって――」

「あるわけないだろ。俺は高俅を殺そうとして、きっと失敗したんだ。だから奴はまだ生きてて、こっちの世界へ逃げ込んで、また同じことを繰り返そうとしてる。何もかも、相手の思い通りじゃないか……!」


 最後の言葉は、低く押し殺していながらも、叫びに近い声になった。


 何か言葉を探している様子だった安道全だが、結局諦めたのか、何も言うことはなかった。ただ不機嫌そうに黙ったまま、薬を作り始めた。


(戦う……服従する……逃げる……)


 様々な選択肢がある。どれを選んだとしても、先には未来など無い。ただ絶望しか見えてこない。その中で、「死ぬ」ということだけは、唯一全てを終わりに出来る道だった。


 これ以上苦しまなくて済む。そのことが、燕青にとっては何よりの救いに感じられた。


 ※ ※ ※


 雪かきをしていた人々は、そろそろ昼飯の時間ということもあり、家の中へと戻っていった。それでもまだ雪は降り続けているから、日が落ちる前に、もう一度雪を除かないといけない。


 魯智深は窓際で椅子に座り、雪景色を眺めながら、独りで酒を飲んでいる。かなりの量を飲むので、屋敷の者に頼んで甕を部屋に置いてもらっていた。一回瓢箪を傾けて、あっという間に全部飲むと、また甕の中の酒をすくって補充する。コップで水を飲むような感覚だ。


 十回ほど瓢箪の中身を空にするのを繰り返したところで、安道全が部屋の中に入ってきた。


「国によっては、あなたの年齢で酒を飲むのは法律違反になるそうよ」

「知るか。ここは宋国だ」

「医者としての警告よ。あなたの年齢でそんな酷い飲み方してると、将来必ず後悔するわ」

「うるせーな。ムシャクシャしてんだ」

「燕青のことかしら」

「さっき柴進から聞いた。あいつ、仙人なんだってな」

「そのようね」

「ぶっちゃけ、前の世界で何があったのかどうかなんて、あいつ自身が憶えてないんだったらどうでもいい。だけど、小倩って奴を殺されたんだろ。それでショック受けてるんだろ」

「みたいね」

「だったら、あいつは、何で戦わねーんだ!」


 ドンッと机を叩き、魯智深は声を荒らげる。


「悔しくねーのかよ! 敵にいいようにされて、それで泣き寝入りなんて――!」

「それぞれ生き方はあるわ。みんながみんな、あなたと同じではないの」


 安道全はキッと睨みつけ、厳しく言い放った。


「噂は聞いているわ。お友達を町の有力者に殺されたそうね。当時警備隊長をやっていたあなたは、その有力者を逮捕しようとしたけれど、相手は役所と癒着していた。だからあなたは職を捨てて――」

「うるせー。くだらない昔話、すんな」


 鼻じらんだ様子で、魯智深は酒を飲むのをやめ、窓の外へと目をやった。瞳に、かすかに悲しみの色が宿る。


「昔から、国ってのはそうだ。まるで得体の知れない化け物さ。だけど、どいつもこいつも考えることを放棄して、それに従う。いつだって、誰も、オレと同じ目線で物事を見てない」

「あなたには仲間がいるじゃない。二竜山の」

「……オレの星の名前、何だか知ってるか?」

「天孤星、だったわね」

「『孤独』の『孤』だ。きっと、それがオレに与えられた天命なんだよ。どこまで行ったって、本当の意味でオレとわかりあえる奴はいない。ずっと独りぼっちだ」

「あなたが心を開かないからでしょ」

「どうなんだろうな。とにかく、他の仙姑達とつるんでても、結局はオレ一人で活動してるようなもんだった。誰も本当の意味で一緒になってくれない。……そう思ってたんだけどな」


 ふう、とため息をつく。


「最初はさ、仙姑のことを詳しく知ってる奴が現れる、そいつの持ってる巻物には仙姑の一覧が載ってる、って情報手に入れて、そのことの興味しかなかったんだ。だけど、都の手配書を見て、そいつが――燕青が、高俅に立ち向かったんだって知った時、すごい嬉しくなってな」

「自分と同じ……と?」

「それも見込み違いだったかな。あんな風にヘタレてるようじゃ」


 あーあ、と声を上げて、魯智深は背伸びをした。そして何気なく窓の外を見て、「ん?」と首を傾げた。


「燕青……? あいつ、何やってるんだ」


 その言葉に不穏なものを感じた安道全は、窓辺に駆け寄った。


 外庭の木陰に、抜き身の剣を持った燕青が立っている。足元の雪には赤いものが飛び散っており、剣も赤く染まっている。すでに一度、何らかの惨劇が起きたことが窺える。


「ダメ――!」


 安道全が小さく悲鳴を上げた直後、剣を自分の首に当てた燕青は、ザンッと刃を引いた。

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