第35話 小旋風 柴進

 隣の部屋は窓が開け放たれ、冷気が取り込まれている。香が焚かれていて、いい香りが鼻をくすぐった。


 寝台の上に、冷たくなった小倩が安置されている。死に化粧を施されており、服も新しいものに着替えさせられている。負っていた傷もパッと見にはわからないように繕われている。


 頬に触れてみた。瑞々しさが無くなっており、生気を感じさせない。もうここにいるのは小倩ではない。いまにも目を覚ましそうだが、二度と小倩として動くことのない、ただの物体だ。


(ごめん……)


 あの時、小倩は動けない燕青をかばって、熱波を受けてしまった。もしも自分が動けていたら、あんなことにはならなかったはずだ。そうでなくても、いまから考えれば、他にも色々な選択肢はあった。小倩が死なずに済む道はいくらでもあった。なのに、彼女を死に至らしめる、最悪の流れを選んでしまった。


「失礼します」


 コンコンと扉の辺りを叩いて、召使いの女性が現れた。


「御主人様より、燕青様をお連れするようにとのことです」

「ちょっと待ってて。いまは――」


 安道全が止めようとしたが、これ以上この部屋にいたくない燕青は、「大丈夫」と頷いた。


「会うよ。会わないと」


 そのためにここまで来たのだ。


 国と仙姑の争いを激化させかねない、危険な巻物「魔星録」。これを処分するために、危険を冒して、犠牲を払って、柴進に会いに来たのだ。彼女が何でも知っているという、ただそれだけの情報を頼りに。


「それではどうぞこちらへ」


 召使いの女性に連れられて、屋敷の中を進んでいく。


 さすがに貴族の家だけあって、内部の造りは瀟洒なものだ。廊下の天井に至るまで種々様々な瑞獣の装飾が施されている。


 昇降機があり、そこへ乗り込んだ。家の中にこんな設備があることに燕青は驚いたが、さらに、召使いの女性が鍵を取り出して、昇降機の中にある鍵穴に差し込んだのを見て、何をしているのかと様子を見守った。


「御主人様の居室は少々特殊になっております。外来の者が自由に出入り出来ないよう、鍵を持つ一部の者のみ行けるよう、昇降機に細工を施しているのです」


 説明しながら、ボタンを押す。昇降機は下降を始めた。


(ここ、一階だよな……?)


 ということは地下へ向かっているようだ。


 昇降機が止まったので、降りる。小部屋に出た。別の召使いの女性が、椅子に腰掛けて本を読んでいる。見張りをしているのだろう。燕青達を見ると、軽く会釈をしてきた。


 扉を開けると、短めの廊下があり、その奥にまた扉がある。何の装飾もない殺風景な廊下だが、扉だけは朱塗りで目立っている。直感的に、あの向こうに柴進がいるのだとわかった。しかしなぜこんな地下に部屋を構えているのか、その理由がわからない。


 先導していた召使いはノックした。そして返事を待たずに、扉を開いた。


 涼しい空気が流れ出てきた。


 壁も、床も、天井も、全面がほのかに青く輝いている。目にうるさくなく、心を落ち着かせる色合いだ。水の底にいるような錯覚に陥る。


 部屋の真ん中はガラスで仕切られている。こちら側は椅子以外の調度品はないが、向こう側には寝台や本棚、机といった家具が置かれており、ちゃんとした居住空間になっている。


 そのガラスの向こう側で、雅な服装に身を包んだ少女が、椅子に座っている。見たところ十代前半、燕青よりも若そうだ。


 少女はフワリと柔らかな笑みを浮かべた。


「初めまして。私が柴進です」


 ガラス越しだが、何か仕掛けがあるのだろう、音声は鮮明に伝わってくる。


「このような形でのおもてなしとなること、お許しください。私はここを出るわけにはいかず、また外からの人をこの中に入れるわけにはいかないのです」

「どうして……こんな……?」

「生まれつき私は体が弱く、外の空気を吸っただけで大病を患うほどなのです。だから私の叔父が、こうして清浄な空気の部屋を造ってくれました」

「じゃあ、外に出たことないのか」

「はい。でも、寂しくはありませんよ」


 柴進はパンと手を叩いた。


 たちまち青かった室内の様子は一変し、天井には空、壁にはどこまでも広がる草原、床には草地が映し出された。ここが屋内であるとは信じられないほど、その風景は自然なものだ。風の通り抜ける音や、遠くに見える羊の群れの鳴き声など、聞こえる環境音も現実そのもの。


「これは宝貝です。見ての通り、映像と音を流すだけのものですから、それほど仙気は必要としません。だから私でも扱えるのですが――」

「仙気?」

「あ、まだよくわかっていないのですね。ではどこから説明しましょうか」


 再び手を叩いた。草原の風景は消え、部屋の中はまた青い空間に戻る。


 柴進は、確かになんでも知ってそうな雰囲気はある。なにせ、宝貝まで所持しているのだ。彼女なら魔星録をどうすれば処分出来るのか、わかるかもしれない。


「先に、教えてくれ。俺はこいつを消し去りたい」


 懐から魔星録を出し、柴進に見せた。


「ここには仙姑の一覧が載っている。もしも討仙隊や、他の仙姑の手に渡ったら、大変なことになってしまう。だけど、燃やしても、粉々になるほどの衝撃を与えても、絶対に壊せない。お前なら処分の仕方を知ってるかと思って、ここまでやって来たんだ」

「何をやっても壊せない巻物……ですか」


 訳知り顔で、柴進は頷いた。


「それは――絶対に壊せません」

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