第34話 裸の触れ合い
まどろみの中、温かい海の上をプカプカと漂っている夢を見た。
どこまで流されていっても、海は赤く、その色は血のようだ。だが気味の悪さよりも美しさを感じる。母親の胎内を思わせる安心感。心地良さに目をつむり、潮の流れに身を任せていく。
背中に柔らかいものが当たった。浅瀬にでも辿り着いたのかと思ったが、その柔らかさは土のものではない。それこそ胎内のような、肉に触れている感じが――
「!?」
ここで、燕青の意識は現実へと引き戻された。
端が霞むほど広い湯船の中に、裸で浸かっている。気を失う前は凍えていた体は、そんなことがあったのも忘れてしまうほど、すっかり温められている。
胸の辺りに、後ろから、腕が回されている。筋肉質ではあるが、女性の腕だ。おかげで背中に押し当てられている柔らかいものの正体がわかった。乳房だ。何者かが、一緒に風呂に入っており、後ろから燕青のことを抱き止めているのだ。
「な、な、な!?」
あまりのことに仰天した燕青は、慌てて腕をほどこうとして、バシャバシャとお湯を撥ね飛ばしながら暴れたが、結局力任せに押さえ込まれてしまった。
「ったく、落ち着けよ。何も変なことをしようってわけじゃないんだから」
耳元から聞こえてきたのは、まさかの魯智深の声だった。
燕青は後ろを向いた。
湯気に包まれる中、短い髪をしっとりと濡らし、ほんのりと頬を朱に染めた魯智深の顔が、すぐ目の前にあった。体を密着させているから、あとちょっと顔を近付ければ、相手の鼻と自分の頬が触れてしまいそうだ。
起きていきなりのとんでもない状況に、頭の中は大混乱している。なぜ魯智深がこんなことをしているのか、という疑問もあるが、それ以前の問題で、同じ湯船に裸で抱き合って入ってるなど、いくら女性同士とはいえ、この密着度合いは、もう恋人かといったレベルの大変な状況だ。
「ど、どうして、何で!?」
「説明すんの、かったりーんだけどな……長風呂で、頭もボーッとしてるし」
「ここは、どこなんだよ!」
「柴進の館――って言えば、わかるか?」
わかるも何も、目的地ではないか。いつの間に辿り着いていたのかと、目を丸くする燕青に対して、魯智深はフッと微笑んだ。
「苦労したぜ。機械兵どもが森の中うろついてたからな。てめーのこと探して、やっと見つけたんで、担いで、ここまで運んできたってわけだ」
「なんでお前がそんなこと……」
「オレの狙いは巻物だけだ。だからぶっ殺してでも奪おうとはしたけど、それだけの話。別にてめーに恨みはねえし、討仙隊に巻物を奪われるのも困る。助けるのは当たり前だろ」
「ずっと俺のことつけてたのかよ」
「どうやって巻物をもらおっかなー、ってのと、あとはまあ……個人的興味かな」
「興味?」
「お前のこと、けっこう気に入ったかもしんない」
燕青はマジマジと魯智深の顔を見つめる。天井から滴が落ちてきて、ピチャンと湯の撥ねる音が聞こえた。
風呂場の扉が開いた。魯智深は頭をのけぞらせて、「来たか」と呟いた。
白衣を着た、眼鏡の女性が中に入ってくる。湯気でレンズが曇るのも厭わず、湯船の近くまで寄ってくると、「ここから先はあたしの仕事よ」と言ってきた。
「助かったぜ、安先生。これ以上風呂に入ってたら角煮になっちまうところだった」
魯智深は燕青から腕を放すと、ザバッと勢いよく立ち上がった。色々と見てはいけないものが見え、「うおわっ⁉」と燕青は顔を背けた。それを見て、魯智深はアハハハと大笑いする。
「可愛いな、お前。オレ達、女同士じゃねーか」
「す、少しは、恥ずかしがれよ!」
「別に燕青だったら構わねーさ。強い奴はキライじゃない」
そう言って颯爽と風呂場から出て行った。
交代で、安先生と呼ばれた眼鏡の女性がさらに近寄ってくる。湯気に隠れてよく見えなかったが、気のせいか、唇の端をペロリと舐めたように見えた。
「うふふ、待たせたわね。次はお姉さんの番よ」
禍々しいものを感じた燕青は、「ヒッ」と小さく悲鳴を上げた。
※ ※ ※
「まったく、こうも毎回無茶をされては、薬がいくらあっても足りんわい」
安道全はぶつくさと文句を言いながら、燕青の腕に包帯を巻いていく。相変わらずの手際の良さに、燕青は惚れ惚れとしてその動きを眺め続けた。
「孫子の兵法でも言っておるじゃろうが。最上は戦わぬことだと。少しは命を大切にせい」
※ ※ ※
眼鏡の女性は、この屋敷お抱えの医者だった。名前は安道全という。
彼女もまた仙姑だ。別に、本人がそう名乗ったわけではないが、先ほど風呂から出る直前に同名の老医に関する記憶が戻ってきたので、自分に触ったかどうかを聞いてみれば、意識を失っている間に応急処置を施してくれた、とのことだった。
「はい。あなたのでしょ」
安道全の部屋に入ったところで、魔星録を返してもらったので、中を開いて確認してみれば、やはり「第五六位 地霊星 神医 安道全」と記載がある。
「中……読んだ?」
「興味はあるけど、見てないわ。他の誰も読んでないから安心して」
「ほんとかよ」
魯智深はあの性格だから、こっそりと読むなんてことはしないだろうし、安道全も何となく信じてよさそうだけど、ここの主である柴進が興味を示さないとは思えない。
「本当よ。柴進の指示で、その巻物は私がずっと管理していたわ」
「その柴進は読んだんじゃないの?」
「ほら、それはどうでもいいから、そこに横になって。診てあげる」
「……わかったよ」
言われるままに、白いシーツがかけられた診察台に寝転がった。
「切り傷、擦り傷くらいで、大した怪我は負っていなかったから、応急処置程度で済んでよかったわ。あとは、体が凍えてたのと、気が不足していたから、あのお風呂に入れてみたんだけど――その様子なら、もう大分回復したみたいね」
こちらに背を向けて、すり鉢で薬草を粉状に砕きながら、安道全が話しかけてくる。
診察代に仰向けに横たわっているうちに、燕青は、次第に気分も落ち着いてきたので、意を決して尋ねてみた。
「小倩は……?」
「うん?」
安道全は振り向いて、首を傾げた。
「俺と一緒に、森の中で倒れてたはずなんだ。同い年くらいの女の子で、その……」
そこから先を言えず、口をつぐんだ。核心の部分は自分から言いたくなかった。
「遺体は魯智深が運んできたわ。隣の部屋に安置してる」
安道全は淡々と教えてくる。彼女なりの優しさなのだろう。変に気を遣われるよりは楽だが、それでも容赦なく心をえぐられるのは辛かった。
小倩は死んだ。どんなに認めたくなくても、その事実は変わらない。
「案内して」
その要求に、さすがに安道全はちょっとだけためらったようだが、ややあって「……いいわ」と頷いた。
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