第32話 橋上の散華

 森の中を馬で駆け抜けているうちに、地面に白いものがチラホラと見えるようになってきた。辺りが薄暗くなってきている中、目を凝らした燕青は、それが雪であることに気が付いた。


「林冲、雪があるけど」

「滄州は冷たい空気が流れ込みやすい土地だから、冬になると豪雪地帯となる。これはまだ積もっていないほうだな。どこかの村にでも入ればマシになるだろうから、辛抱してくれ」


 その言葉は燕青に対してより、むしろ小倩に向けて言っているようだった。彼女は毛皮の外套を着ているけれども、気候の変化に耐えられないのか、元気がなくなっている。


 先を進んでいた林冲の馬が、急に止まった。


「吊り橋だ」


 谷川の上に吊り橋が架けられている。落ちたら一巻の終わりだ。かなりの高さがあり、川の中には岩も突き出ているため、あれに頭でもぶつけたらまず助からない。仮に水の中に落ちたとしても、流れは激しいため、なす術もなく下流へと運ばれていってしまうだろう。


 かといって、日はほとんど落ち、東の空には闇が広がり始めている。完全に夜になってしまえば危険は増してくる。迂回路を探している余裕はない。


「馬はここに置いていこう。徒歩で渡ったほうがいい。それと、渡り切ったら、橋を落とす。この辺りの住人には申し訳ないが、そうするしかない。あとは――」


 馬から降りた林冲は、燕青と小倩も地面に降り立ったのを見届けてから、おもむろに槍を構えて、橋の袂で仁王立ちした。


「殿は私が務める。お前達は先に橋を渡るんだ」

「姉様!? 何言ってるの、一緒に渡ってよ!」

「渡っている最中に、敵が追いつくかもしれない。その時三人とも橋の真ん中にいれば、もう終わりだ。橋を落とされれば、全員死んでしまう。誰かがここで食い止めないといけない」

「そんなの、さっさと渡り切っちゃえばいいじゃない!」

「問答をしている時間が勿体ない。早く行け」


 頑として動こうとしない林冲に、小倩はこれ以上食い下がってもしょうがないと判断したか、出かかっていた言葉をグッと飲み込んで、吊り橋を渡り始めた。燕青もすぐに続いた。


 橋の半ばまで来て、あと少しで渡り切れる、というところで――奇妙な音が聞こえてきた。


「なんだ……?」


 燕青は歩を進めながら、音のする方向を見た。


 追っ手がやって来る音かと思ったが、聞こえるのは森の方ではない。上だ。なぜか上空の方から、風を切るような甲高い音が聞こえてくる。


(まさか矢か!?)


 念のため一旦立ち止まり、剣を抜いた。橋の袂にいる林冲も異変に気が付いてか、こちらの方を向いて、槍を構えている。


 違った。矢ではない。


 キイイインと金属質の音を鳴らしながら、天空より飛来してくるのは――白い人影だ。


「あいつは!」


 燕青が声を上げた瞬間、人影から光線が放たれ、林冲の胸を貫いた。


「ぅあ……!」


 叫び声を上げ、林冲は仰向けに倒れた。その様を見ていた小倩は、横で小さく悲鳴を上げた。


 敵の攻撃を避けるべく、燕青は飛び退いた。が、林冲の方に気を取られていたせいで、動き出しが遅くなってしまった。


 脚を、光線が貫いた。


「あぅっ!」


 橋の上に倒れる。


「燕青!」


 小倩が駆け寄ってきて、助け起こしてくれた。しかし脚の神経を射貫かれたようで、全然力が入らず、立とうとした燕青は、ガクンと崩れ落ちた。


 吊り橋の外、目の前の空中で、上から飛んできた白い少女が急ブレーキをかけて制止した。


 討仙隊第二隊の隊長、凌雲だ。


「ハァイ」


 にこやかに挨拶してくる。


 凌雲の装いには、新たにいくつかの物が加わっている。まず体の周りに浮かんでいる六個のリング状の物体。唸り声のような駆動音を立てながら、緑色の光を放っている。


 また、都で狙撃部隊が使っていたのと同じ武器を持っている。しかも両手で二挺。


「どお? どお? 新しい宝貝をもらってきたの! この火尖槍は第四隊から借りた物だけどね、完全おニューはこっち、風火輪! すごいでしょお、これね、力の方向を制御出来るんだけどね、周りに並べることで相互に作用し合って人間の体を浮かせることも――」

「もうやめて、凌雲ちゃん!」

「んー?」


 小倩の叫びを受け、凌雲は無邪気な仕草で首を傾げた。


「お願いだからこれ以上ひどいことしないで! 凌雲ちゃんはそんな子じゃなかったよ!」

「それ、私が私になる前の、『私』の話だよね」


 ニコリと凌雲は微笑む。


「だったら知らないよ、そんなこと。別の人のことだもの。いまの私にとって大事なのは、こんな自分を、もっと完全にすること。それだけ」

「何、言ってるの……?」

「嬉しかったんだ。温かかったんだ。『私』が死んで、私に生まれ変わった時は、まだ私の中には何もなかった。『私』がポッカリ抜けちゃったから。楽しいとか、悲しいとか、怖いとか、そういうものは一切なくって、けど、それが私にはごく当たり前のことだったの」


 でも――と凌雲は自分の胸を抱いた。


「ある日、姉様が、私の中に入ってきた」

「姉様……?」

「そ、姉様。『私』の姉様じゃないよ、私が勝手にそう呼んでる姉様。燕青姉様のこと」

「わからない……全然、あなたの言ってること、わからない……」

「そりゃそうだよぉ。だって、自分の中身が空っぽになったことってある? 思い出も、感情も、魂も、全部がないの。ただ生命活動を維持しているだけ。私は一度そうなった。それでも構わないと思っていたところに、失ったもの全部が戻ってきた時の喜び――あなたにわかる?」


 張り詰めた空気が流れている。


 笑顔で語り続ける凌雲だが、いつ何時、引き金を引くのかわかったものではない。それこそ話している最中に撃ってくるかもしれない。


 と、凌雲の目が、ほんの一瞬横へ動いた。橋の終着点の方向だ。そのちょっとした動きを見逃さなかった燕青は、彼女が目を動かした方に、顔を向けた。


 ブウンという音とともに空間が歪み、黒衣の男が、橋の袂に姿を現した。


 陸謙だ。


(姿を消して、先回りしてた……!? )


 運河で戦った時のことを思い出す。あの時、陸謙は突然現れた。奴もまた姿を消す宝貝金霞冠を使えるのだとわかったが、それを知ったところでもう遅い。


 陸謙が剣を振りかぶった。


(熱波……!)


 あの剣は、運河で戦った時と同じ物だ。おそらく宝貝。ということは、船上から魯智深を弾き飛ばした、あの攻撃が来る。


「くっ!」


 燕青は立ち上がろうとしたが、脚をやられているので動きようがない。


 剣が振り下ろされた。ゴウッと空気を巻き込み、熱波がこちらに向かって飛んでくる。


「だめえ!」


 タンッ、と橋の上を誰かが跳んだ。


 燕青の目の前に、ふわりと小倩の体が着地した。


「小倩!? やめろ――!」


 両腕を広げて、かばうようにして、燕青の前に立った小倩は――真っ向から熱波を受け、その体を吹き飛ばされた。しかも飛ばされた方向は、あろうことか、吊り橋の外だった。


「小倩ッ!!」


 燕青は身を乗り出して、手を伸ばした。


 届かない。力を失った小倩の体は谷底へと落ちていき、川の中に消えた。


 その間も容赦なく、陸謙は剣を振り上げ、第二撃を放とうとしてきた。凌雲もまた火尖槍を構えて、燕青に狙いを付けてくる。


「ウァァァアアア!」


 剣を無茶苦茶に振り回して、橋のロープを切りまくった。


 ある程度切ったところで、ブチブチと吊り橋は千切れ始めた。その音が耳に入ってきた瞬間、火尖槍から放たれた光線が燕青の額を貫いた。


 吊り橋は崩壊し――命を失った燕青の体は、力なく、下の谷川に向けて落下していった。

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