第31話 不可視の敵

 きっちり三時間経ったところで、燕青は起こされた。


「交代だ。見張りを頼む。私が起きたらすぐ出発するから、支度もしておいてくれ」


 口早に指示を出すと、林冲は茣蓙の上に寝転がり、目を閉じた。小倩のことは起こさなかったようで、いまだ彼女は寝台の中でスヤスヤと寝ている。


 燕青は宿から出た。夕暮れ時で朱に染まった谷間の中、白い息を吐きながら空を見上げる。


 燃えるような赤から、静けさを感じさせる紫まで、色鮮やかなグラデーションが空一面に展開されている。記憶は無くとも郷愁を呼び起こす色鮮やかな夕景に、少し、心が洗われた。


「綺麗だねー」


 小倩の声がした。見れば、宿から出てくるところだ。


「まだ寝てればいいのに」

「ん、でも、けっこう元気になったから大丈夫」


 そう言いながら、そばに寄ってきた。村で買った毛皮の外套を上に羽織っている。本来は男性用の物なのだろう、大きな毛皮にくるまっている小倩は、やたらと小さく見える。


 なぜか、衝動的にギュッと抱き締めたくなった。


(まずいまずいまずい……)


 宿の二階を見る。窓の向こうに林冲の姿は見えない。しかし、おかしな真似をしたらすぐに槍が飛んできて、串刺しにされてしまうような気がしていた。


「やんなっちゃうよね」

「え?」

「みんなが、ちゃんと話し合って、お互いのことを尊重し合ったら、絶対に争いなんて起きないはずなのに、どうして誰もそれが出来ないんだろうね」

「不可能だから、だろ」

「そうかなー。私、実はすごい簡単なことだと思うよ」

「簡単なものか。一人でも従わない奴がいれば、その時点で成り立たなくなる。全員が手を取り合って、なんてこと――出来るはずがない」

「出来るよ」


 顔を上げて、夕焼け空を眺めながら、小倩は短く言った。その言葉に込められている強い意思を感じ、思わず燕青は彼女を見た。その横顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。


「出来る……きっと、出来る」


 ありえない理想論のはずだった。一笑に付されてもおかしくない。


 だけど――本当に実現可能なのではないかと思えてしまう、不思議な魔力が――彼女の言葉には宿っていた。


「……戻ろう。ここは冷える」

「そうだね」


 燕青は宿に向かって歩き始める。小倩も後に続いてきた。


 が――三歩進んだところで、足を止めた。


「どうしたの? 燕青」


 小倩に尋ねられても、燕青は答えない。ちょっとの物音も聞き逃すまいと耳を集中させる。村の人々は夕飯の支度に入っているのか、誰も外を歩いていない。


 静かなのが幸いした。聞こえる。草を分ける音、土を踏む音。


「ねえ、燕せ――」

「静かに」


 周りに目を配る。音はするが姿は見えない。谷間の村だからそれほど広く展開出来るとは思えないが、建物の陰に隠れて移動することは可能だ。気を抜けば、すぐに囲まれてしまう。


(もう追っ手が来たのか……!)


 腰の鞘から剣を抜いた。船に乗る時、曹正から貰った物だ。なかなかしっかりした造りをしており、切れ味も良さそうだ。


 さあ来い、と構えたはいいが、なかなか敵は現れない。


(妙だな)


 足音も気配も少しずつ近付いてきている。感覚的にはもう姿が見えていてもおかしくない。なのに、どこにも見当たらない。


 ほんの僅かな違和感から、意識を切り替えた。――すでに敵は、自分達の近くにいる。


 ザリッ……と小石を踏む音が、すぐそばで聞こえた。


「小倩、悪い!」

「きゃ!?」


 燕青は、小倩が羽織っている毛皮をひったくると、音のした方に向かって投げつけた。何も無いはずの空間に、毛皮がバサリと引っかかった。人の頭の形が浮き出る。


 即座に燕青は跳躍し、剣でもって斬り下ろした。


 毛皮ごと、何か硬い物を断ち切る感触が手に伝わってきて、「ガ、ギ、ギ」と異様な悲鳴が聞こえた。


 バチバチと火花を散らしながら、切り裂かれた毛皮の向こうから、胸を割られた人型の物体が姿を現した。人型、であるが、決して人間ではない。兵装をしているから一見人に見えるが、全身は木製で、黒い艶があることからおそらく黒檀のような物で出来ているのだろう。胸の裂け目からは、切断された人工の神経が覗いている。凌雲と同じだ。


 ツルンとした仮面のような顔には赤く輝く人工の瞳がくっついている。が、その赤い瞳は、キュウウンと何かが止まるような音がした後、光を失った。


 機械仕掛けの兵士はそのまま力を失って、前のめりに倒れた。


(こいつも人造の……!?)


 驚く間もなく、背後で足音が聞こえた。燕青は振り返り、剣で斬りつけようとする。


 その時、倒れていたはずの機械兵が、再び動き始めた。ガシッと燕青の足首を掴んでくる。強い握力で押さえられて、身動きが取れなくなる。


「こ、このー!」


 小倩が機械兵の頭を蹴り飛ばした。が、その程度ではビクともしない。


 そのうち、燕青の目の前に、ブウンと音を立てて――虚空から新たな機械兵が姿を現した。槍を構えて、狙いを定めてくる。


 燕青は上体だけでも相手の攻撃を避けようと、呼吸を整えて、身構えた。


 だがその必要は無かった。空を切って飛んできた槍が、機械兵の頭部を貫いたのだ。ズガンッと派手な音を立てて、中のパーツを撒き散らせながら、横倒しに機械兵は倒れた。


「大丈夫か、燕青!」


 宿の二階から飛び降りた林冲が、急いで駆け寄ってきた。地面に突き刺さっている槍を引き抜くと、燕青の足首を掴んでいた機械兵の頭も、ドスンッと刺し貫いた。完全に機能を失い、機械兵の手から力が抜けた。


 自由になった燕青は、周りを見回した。さっき聞こえた足音は、最低でも五体分はあった。


「こいつら何なんだよ! 何もないところから急に現れたぞ!」

「聞いたことはある。金霞冠という宝貝だ。理屈はよくわからないが、光をねじ曲げることで相手から姿を見えなくさせる効果があるらしい」

「光をねじ曲げる? それで、どうして見えなくなるんだよ」

「私に聞くな。そういう物だとしか教わっていないし、現物を見るのはこれが初めてなんだ」

「この様子だと、大量生産してるみたいだぞ」

「わからない。こんな機械仕掛けの兵士がいるなんて知らなかった。人造仙人の技術で作ったようだが……何体いるのかわからないが、全員に金霞冠が装備されているとなると――」


 ゴトッ、と建物の陰から音が聞こえた。


 林冲は地面を蹴り、一足で音のした方へと飛びかかると、渾身の力で槍を突き出した。ドズンッと重い音が響いた後、バヂンという火花とともに機械兵の姿が浮かび上がってきた。


「姿の見えない、敵……」


 小倩は怯えた声を出し、燕青の服をギュッと握ってきた。敵の出す微少な物音などわからない彼女にとっては、どこに敵が隠れているかわからないから、生きた心地がしないのだろう。


「林冲、荷物は?」

「もちろん持ってきた」


 いつの間にか地面に三人分の袋が置いてある。


「たしか村の外れの方に馬小屋があった。そこから馬を借りよう」

「そうだな。ただ、二頭しかなかったぞ」

「どっちかに二人乗りになればいいだろ」

「なら小倩は私の方に乗せる。異論は認めない」

「好きにしろよ」


 馬小屋に着いてからは、打ち合わせ通り、一方の馬には燕青が乗り、もう一方の馬に林冲と小倩が相乗りとなった。借り賃分の銅銭はわかりやすい所に袋に入れて置いておいた。


「馬の脚なら夜には滄州に着く。急ごう!」


 言うやいなや、林冲は鞭を鳴らし、駈足で馬を発進させた。


 乗馬の技術があるかどうか不安だった燕青だが、手綱を持ったら、自然とコントロールすることが出来た。記憶を失う前は相当乗りこなしていたらしい。


「頼むよ」


 馬に囁きかけ、それから鞭を振り、弾けるような音を鳴らした。


 たちまち馬は全速力で走り始めた。あっという間に村の外へと飛び出す。この調子なら敵の追っ手を振り切りつつ、滄州へと逃げ込むことが出来そうだった。

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