第28話 記憶にまつわる謎

「『刺客』?」

「要は暗殺者だ。時には正面から堂々と乗り込んでいき、ターゲットを抹殺する者もいる。職業にしている者もいれば、たまたま行った殺人でそう呼ばれた者もいる。実際に、高俅に反発する宮中の一派が、闇組織から刺客達を雇っては、高俅を何度も襲わせているそうだ」

「……なんで俺は、その高俅とかいう奴を殺そうとしたんだろう」


 開いた手の平をジッと見つめて、燕青はつぶやいた。


「その名前を聞くと、怒りとか、憎しみとか、そういう感情が湧いてくる。確かに、俺は高俅に殺意を抱いていた。けど――その理由は思い出せないんだ」

「君自身が、殺したいと望んでいたのか?」

「だと思う。誰かに雇われてのことなら、こんな感情は湧かないはずだ」

「他に思い出せることはないか?」

「ほんのちょっと記憶が戻ってきたのは……大勢の人達が死んでいる光景……だけど、それがどんな場所なのか、どういった人達なのか、肝心なことはまるで思い出せないんだ」

「高俅の手で殺されたのだろうか……?」

「わからない。でも、倒れている人達は、みんな俺の知っている人みたいだ。死んでるのを見て、悲しかったり、悔しかったり、そういう気持ちが湧いてきてた……そんな記憶」

「難しいな。どうすれば、君の記憶は完全に戻るんだろうか」

「……ひとつ、気が付いたことがあるんだ」

「なんだ?」

「初めて林冲と会った時、倒れそうになったところを、抱きかかえられたじゃんか。あの時、実は――記憶が戻ってきてたんだ」

「それは、どういうものだ?」

「説明するのがややこしいんだけど――」


 燕青はありのままに話した。


「私と同じ名前の、男、だと……!?」

「しかも使ってる武器まで同じだった。槍を持ってて」

「それは本当に『記憶』なのか? 人から伝え聞いた話を思い出したのではなく」

「あれは実際にこの目で見聞きしたものだと思う。それに、それだけじゃないんだ」

「それだけではない……とは?」

「俺の記憶は、仙姑に触ることで、少しずつ戻るようになっている」

「? 何を言っているのかわからないが……」

「魯智深も、曹正も、触った後、頭に痛みが走った。そして戻ってきたんだ。林冲の時と同じように、同姓同名の男についての記憶が」

「またも同じ名前か……!? 一体、その男達は何なのだ?」

「共通してるのは、みんな、最期の瞬間みたいだった、ってこと。林冲は弓兵達に狙われてたし、魯智深は胸に矢を受けてた。曹正は布団の中でもうすぐ死にそうになっていた」

「記憶が蘇れば蘇るほど、何が何だかわけわからなくなるな……」


 沈黙が訪れるのと同時に、甲板上を冷たい風が流れていった。林冲は体を震わせた。


「ここは冷えるな。向こう岸に着くまで、船室で休んでいよう。先は長い」


 中に戻ろうとする林冲の後ろ姿を見送りながら、それでも燕青は動こうとしない。まだ何かが引っかかっている。そしてその引っかかりの正体がわかった瞬間、「あっ!」と声を上げた。


「どうした?」


 階段の前で、林冲は振り向いた。


「もう一人、いた! 触ることで、記憶が戻ってきた奴!」

「誰だ」

「討仙隊の、凌雲とかいう女だよ!」


 たくさんの死体が転がっている光景を思い出したのは、凌雲に拳打を当てた後のことだった。あれもまた、彼女に触れたことで思い出した、ということになるのではないだろうか。


「もしかして、あいつも仙姑……!?」

「ありえない。討仙隊は仙姑を討伐するのが任務だ。凌雲が仙姑だとしたら、そんな者を奴らが抱えているわけがない。それは、皇帝の命に背く、ということだぞ」

「ああ。だから妙なんだ。それに思い出せたのは、さっきも話した、大勢が死んでいる光景だけ。同じ名前の人間が出てきたわけでもないし」

「……だが待てよ。凌雲なら仙姑だとしても、特別に見逃されるかもしれないな」

「どうして?」


 何か事情を知っているのか、林冲は口元に手を当てて考え始めた。それから、説明しようと少しだけ口を開いたが、寒風が吹き抜けて、クシュンとくしゃみをした。


「もうすぐ岸だろうから、落ち着く場所まで行ってから話そう」

「船室の中で話せばいいじゃないか」

「他の者にあまり聞かれたくないんだ。軍の機密だからな。もしも知っているとなれば大変なことになる情報だ。迂闊なことで迷惑をかけたくない」

「……わかった」


 早いうちに聞けることは全て聞いておきたいと思ったが、無理強いも出来ず、燕青は林冲と一緒に船内に下りていった。


 ※ ※ ※


 満福楼の船は、燕青達を対岸で下ろした後、そのまま黄河を河口に向かって東進していった。無人の津(渡し場)には、風の吹き抜ける音と、森の木々がざわめく音しか聞こえない。


 さっきまで自分達がいた対岸の方角は、水平線のあたりがぼんやりと輝いている。不夜城たる都の明かりが、夜の闇に染み込んでいるのだろう。


「追っ手が来ているかもしれない。急ごう」


 槍の先に荷物を引っかけ、林冲は先頭に立って歩き始めた。


 森の中を進むこと三十分ほどで、広場のようになっている場所に出た。小さいながらも、村だ。村人達は寝てしまっているようで、どの家も明かりはついていない。


「すまないが休憩は無しだ」


 ここで泊まることはせず、さっさと通過する。燕青も、小倩も、文句は言わなかった。せっかく都を脱出出来たのに、こんなところで敵に追いつかれてしまったら、全く意味が無い。


 森の中をまっすぐ北へと向かっていく。方角については、林冲が軍で夜間の歩き方を勉強していたとのことで、問題はなかった。


「そろそろ教えてくれよ、さっき、途中で止まってたあの話」

「あの話?」

「小倩のこと気にしてるなら、とぼけなくていいって。どうせこいつも現場で見てたんだ」

「凌雲のことか。すまん、本当に失念していた。……そうだな、どこから説明したものか」


 話す順番を考えるため、しばし林冲は黙っていた。かなり時間をかけていたが、そのうちに考えがまとまったようだ。

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