第27話 夜の船上にて

 船の縁に寄っかかり、燕青はぼんやりと川を眺めている。


 月影が水面に浮かんで、川の流れとともにユラユラと揺れている。耳に入ってくるのは、ザザ……と水を掻き分ける静かな音だけ。黄河を横切るようにして船は進んでいる。川幅は広く、向こう岸は全然見えない。まるで海の真ん中にいるようだ。渡河にはまだまだ時間がかかる。


 遠くから、ドーンと鮮やかな爆発音が聞こえてきた。


 彼方に見える都の上空に、色とりどりの花火が、時に形を変え、時に連続で、空に打ち上げられる。ボン、ボボンと冬の夜空にこだまする音が、耳に心地良い。何かのお祭りだろうか。


「くしゅん」


 寒風が吹いた後、くしゃみが聞こえてきた。小倩だ。いつの間にか船室から出てきている。川の上だから、風を遮るものはない。それなのに彼女の格好は薄手すぎる。


「この寒いのにそんな薄着すんなよ、バカ」

「じゃ、こうしよ」


 小倩は横に詰めてくると、ぴったりと燕青に体を寄せてきた。


「え!? ええ!?」


 確かにくっついているところは暖かい。でも、燕青としては非常に落ち着かない。


「わあ……きれい」


 白い息を吐きながら、小倩は夜空に咲く花火を見上げている。月明かりに照らされたその横顔を見ていた燕青は、胸の内から熱いものがこみ上げてくるのを感じ、慌てて目を逸らした。


「なんなんだよ……」

「どうしたの?」

「小倩のことがよくわからない。甘ったるい理想論ばかり言うし、特別強いわけでも、頭がいいわけでもないのに、なんでこんなに――人のことを動かすんだ」


 いまだに燕青は、どうして曹正がこの船に乗せるのを決断してくれたのか、その理由がよくわかっていない。


『私は小倩が気に入ったヨ。だから、手助けするネ』


 船に乗り込む前、曹正はそう言ってきた。彼女にとっては危険が増すだけの行為でしかない。これがきっかけで足がつき、仙姑だとバレてしまう恐れもある。損得勘定で考えれば、まるでメリットのないことだ。なのに力を貸してくれるというのが、燕青には理解できなかった。


 まさか、小倩の作った小籠包が決め手になったのかと思い、尋ねてみたが、曹正は『違うネ』とかぶりを振った。そんな些末なことで決断したのではない、ということだった。


「私は、別に誰かを動かしてるとか、そういうつもりはないんだけどなー」

「もっと自覚しろよ。ひとつの大きな店の料理長に、無償で協力させたんだぞ」

「なんだろうね? 不思議だね」


 クスッと微笑んで、小倩は燕青の顔を覗き込んできた。


「燕青も、ここまで手伝ってくれてるしね」

「お、俺だって、この魔星録を守らないといけないんだ。別にお前のためじゃない!」


 顔を赤くしてそっぽを向く。そんな燕青を見て、小倩は楽しそうにクスクスと笑っている。心なしか、より体が密着してきた気がする。


「ちょ、小倩。くっつきすぎ――」


 横を向いた燕青は、ハッとなって、言葉を切った。


 思った以上に、顔が近い。互いの吐息が触れるくらいに、間近にある。おまけに小倩はやたらと神妙な面持ちで、こちらのことをじっと見つめている。


(え? あれ、これ――)


 急に心臓がドッドッドッと激しく脈打ち始めた。


 夜の船上で、花火を眺めながら、二人きりで語らっている。しかも体を密着させて。こんな状況で、見つめ合って黙り込んでしまったら、次の展開はどうなるか。


 妙な空気が流れた。


 そこへ、ヒュンッという飛来音とともに槍が飛んできて、船の縁に突き刺さった。燕青の背中スレスレのところだ。勢いのあまり、ビイインと槍の柄が激しく上下に揺れる。


「わっ!?」

「ね、姉様!?」


 慌てて互いの体を離した燕青と小倩は、その時、人が鬼と化した姿を目の当たりにした。


 髪の毛を逆立てて、全身から黒い瘴気を発し、ビキビキと音が聞こえそうなほどこめかみに血管を浮き上がらせた林冲が、クハアアと不気味な息を吐いて、こちらに近付いてくる。


「答えろ、燕青……貴様、私の妹に、何をしようとしていた……」

「お、落ち着けって! 別に何もしようとしてないよ!」

「ほぉ……? 正直に答えたほうがいいぞ……さもなければ、苦しんで死ぬことになる」

「しょ、正直に答えたら、どうなんだよ」

「楽に死なせてやる」

「どっちにしろ殺されんのかよ!?」


 ひとしきり弁解した後、やっとのことで林冲の誤解は解けた。それでも不機嫌そうに眉間に皺を寄せたままではいたが。


「小倩、ちょっと船室に入っててくれ。燕青と二人きりで話がしたい」

「どうして、姉様? 私だって聞いても――」

「頼む」


 理由をろくに説明しようとしない林冲に、小倩は終始不服な表情を見せていたが、やがて頬を膨らませて船内へと去っていった。


 林冲は、夜風でなびいた髪の毛を、そっと手で直してから、燕青の方へと向き直った。


「率直に問う。君は――何者だ?」


 本当に単刀直入な聞き方だった。それに対して、いままでは「わからない」で返せたが、もう燕青は自分の正体を知っている。


「殺し屋、みたいだ」

「『みたい』とは?」

「手配書にあっただろ。俺は、禁軍の一番偉い高俅とかいう奴を殺そうとしたらしい。全然憶えてないけど。それに、自分の身に付いている体術……」


 兵士四人を一瞬で無力化したり、細いワイヤーの上を渡ったりできるスキル。


「もちろん、体術なんて、林冲みたいな武人だったら誰にでも出来ることだろうけど」

「だが、それが正解だろう。君は『刺客』なのかもしれないな」

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