第26話 記憶が戻る条件

 不安になり、焦りを抱き始めたところで、横から何者かがトトトと駆け寄ってきて、ドンッとぶつかってきた。文句を言おうと相手の顔を見た燕青は、びっくりして目を見開いた。


「小倩!?」

「しー。ダメだよ、大声出したら。せっかく変装してるんだから」


 と言っている小倩の格好は、船員風に様変わりしている。


「曹正さんが、燕青の分も用意してるって。早くこっち来て、着替えてちょうだ――」


 そこまで話してから、燕青の後ろに立っている林冲を見つけて、小倩は硬直した。


「姉様ァァアァ!?」

「おいこら大声」

「だ、だって、ね、ね、姉様が、どどどうしてここに」

「俺だって知らないよ。こいつ全然説明してくれないんだ」

「ふ、え、え」


 すっかりパニックを起こしている小倩に対して、林冲はクスッと軽く苦笑して、その肩を優しく叩いてきた。


「心配するな。私は怒ってなどいない。一日中探し回って、さすがにクタクタだがな」

「ご、ごめんなさい……姉様に黙って、こんなことしちゃって……」

「いいんだ。どうせ私も限界だった」

「限……界……?」

「我が身に魔星が宿ってしまった時から、この一年間、私は悩み続けていた。そうしたら昨日からのこの騒動だ。正直、どうすべきか悩んでいたんだがな、運河で戦っている燕青の姿を見て、つい助けに入ってしまった。正体はバレたが――思いのほかスッキリしたよ」

「いいの……? 姉様は、あんなに一所懸命、禁軍で頑張ってたじゃない。黙ってれば仙姑って知られないで、ずっと仕事やれたかもしれないんだよ。それでも……この国を、去るの?」

「元々、この国がおかしな方向へと進んでいることに我慢ならなかった。構わないさ」

「魔星録だって、捨てようと思ってるんだよ? 姉様は必要ないの?」

「林家を守るのであれば、他の仙姑とも繋がりを持っておきたいと考えていたがな。こうなっては戦う意味が無い。不毛な争いをするくらいなら、さっさと国外へ逃げたほうがいい」

「うそぉ……だったら最初から相談してればよかったぁ……」


 力が抜けたように、小倩はガクンと肩を落とす。


「やんなっちゃう……私、姉様を、ちっとも信用してなかったんだね……ほんと最低……」

「言うな。私だって、自分の悩みをお前に話していなかった。それは結局のところ、お前を信用していなかったからかもしれない。だから、本当に最低なのは、私だ。許してくれ」

「やめてよ姉様。私が……私の方が、姉様に……」


 しばし姉妹で見つめ合う。二人だけの世界に入って、勝手に目と目で交感し合っている様についてこれず、燕青はゴホンと咳払いした。


「で、小倩。曹正はどこにいるんだよ」

「……あ、ごめん! こっちにいるの、ついてきて」


 小倩は先に立って資材置き場の方へと小走りで進んでいき、振り返って手招きしてきた。


 奥の方へ入っていくと、昼間と同じ赤い旗袍を着た曹正が待っていた。


「無事だったようネ。よかったアル」


 それから、曹正は「ん?」と首を傾げて、林冲に目をやった。


「そちらの方は?」

「禁軍の林冲だよ。小倩の姉ちゃん」

「ああ! あの有名な豹子頭アルか!」


 それを聞いた林冲は、あだ名の由来通り、眉間に皺を寄せた。


「その呼び名はやめてくれ……で、あなたが曹正か」

「そうヨ。今後ともよろしくアル」

「こちらこそ。とは言え、この国を出てしまったら、もう会うこともないだろうが」


 林冲は肩をすくめて、微かに笑った。


「さ、早く船員服に着替えるネ! 燕青は、これなんかどうアルね?」


 箱の中に入っている服を取り出して、曹正はグイッと押しつけてきた。受け取った燕青は、服の色と柄を見て、ムッと顔を強張らせる。


「こんな女の子女の子した格好は、趣味じゃない」

「昼間の衣装、よく似合ってたヨ! もう一度どうアルか?」

「ざけんな! 二度とあんな格好するか!」


 瀟洒な女性用の船員服を押し返すようにして、曹正に戻した。燕青の好みとしては、もっと中性的な格好のほうが落ち着く。片手で服を受け取った曹正は、アハハハと楽しげに笑いながら、燕青の肩をバンバンと叩く。


「そんなに本気になって怒らないでヨ。ちょっとした冗談ネ」

「……ったく!」


 もういい、とばかり、自分で箱の中をあさり始めた燕青だが、手に取った服を目の前で広げた瞬間、ビキッと頭に激痛が走った。


 ※ ※ ※


 土気色の顔をした曹正が、布団の中で苦しげに呻いている。


「すみませんね……また皆さんに私の料理を振る舞いたいと……思っていたのですが」


 枕元にいる誰かが話しかけたが、曹正は弱々しく首を横に振った。


「あなたのせいではありません……これは、私が望んで、加わった戦い……ただ唯一残念なことは、あの男の最後を見ずして死ぬこと……それだけです――」


 ※ ※ ※


 それは、またもや失われた記憶の断片。


 ズキズキと痛む頭を手で押さえながら、燕青は後ろを振り返った。目が合った曹正は、「どうしたネ?」と首を傾げる。


(やっぱり……! どうやったら記憶が戻るか、わかってきた……!)


 いまは曹正に肩を叩かれたことで、同じ名前の男に関する一場面が蘇ってきた。つまり、彼女に体を触られたのだ。


 ということは、これまでの経験と合わせて考えると、思い浮かぶ結論はひとつしかない。


 記憶が戻るタイミング。



 それは――「仙姑に触れた」時だった。

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