第25話 窮地からの脱出

 向こう側から青い光が一直線に飛んできて、風の唸りとともに陸謙に襲いかかる。稲妻にも似た光が陸謙の剣にぶつかるのと同時に、ガギィンと耳をつんざく激しい金属音が響いた。


 青い光、と思ったのは、人だった。光を纏った人間だ。


 その相手の顔を見て、陸謙は眦を決した。


「お前は林冲――!」

「私の動きを読むとは上出来だ」


 林冲の全身は、青い光で覆われている。先ほど魯智深が禅杖を巨大化させた時と、同じような状態だ。すなわち仙姑の能力を完全開放させた状態。


「だがこの距離でかわせるか?」


 林冲の体がギュンッと一回転する。旋風が巻き起こった――と思った次の時には、槍による横振りの一撃が、陸謙の脇腹にズドンッと叩きつけられていた。


「ぐぉ!?」


 まともに喰らった陸謙は勢いよく吹き飛ばされた。体勢を崩して転がってしまう。受け身を取って起き上がったが、脇腹を抱えて、すぐには動けずにいる。


 その隙に、林冲は、燕青の方を向いてきた。


「昨日から散々探し回った。手間をかけさせてくれたな」

「次は……お前かよ……!」


 燕青は身構えた。が、林冲は手を上げて、制してくる。


「待て、落ち着け。私はお前と争うつもりはない」

「え?」

「説明は後だ」


 いきなり林冲は、燕青の腰に手を回してきた。胸の膨らみが腕に当たり、ドキッとしたが、彼女の顔は真剣そのもの。これからどんなことが起きるのか、問う余裕もなかった。


「しっかりしがみついてろ」


 甲板を蹴る大きな音の後、燕青を小脇に抱きかかえた林冲は、天高く跳躍した。


「わ!?」


 船が遙か下に見えた――と思った時には、胃の奥から何かがせり上がるような落下の感覚が伝わってきて、気が付いた時には、土煙を上げて、林冲は運河の沿道に着地していた。


 それと同時に、林冲の体を包んでいた青い光が消え去った。「時間切れか。間に合った」と魯智深と同じようなことを彼女は呟く。


「いまのは……!?」


 陸謙に襲いかかってきた時のスピードといい、船から脱出する時の跳躍力といい、尋常ではない身体能力だ。こと戦闘に関しては魯智深をも凌駕している。


「私の仙姑としての能力だ。身体能力の単純強化。全開放させた時は、おそらく三倍以上に力が増加しているはずだ。もっとも、長時間は使えないから、そう何度も――」

「逃がすか!」


 林冲の言葉を遮るようにして、怒声が聞こえた。陸謙だ。運河に飛び込むのも厭わない勢いで、甲板の上を駆けてくる。


「やれやれ陸謙。今日のところは見逃してくれ。第一――」


 と、林冲は水面の方を指差す。


「――まだ終わってないぞ」


 突然、船が真ん中から真っ二つに割れた。船底の方から、バガァッと木片を飛び散らせながら、魯智深が飛び出してきたのだ。


 即座に迎え撃つ体勢に入った陸謙は、頭上から振り下ろされてくる禅杖の一撃を剣で受け流しながら、体を横へとさばいた。


 魯智深は禅杖を大上段に構えた。


「やってくれるじゃねーか、この野郎!」

「太陽刀の攻撃を受けてまだ生きているとは、しぶとい奴め」

「この魯智深を、あんな熱い風程度で倒せると思うなよ!」

「まったく……勘弁してくれ。戦うのは苦手なんだ。ほどほどで逃げさせてもらうぞ」

「情けねえこと言ってんじゃねーぞ、オラァ!」


 沈み始めた船上で、陸謙と魯智深の一騎打ちが始まった。激しい競り合いの音が運河に響く。この戦いの帰趨は気になったが、厄介な相手同士がぶつかり合っている間にと、林冲は燕青に向かって囁いた。


「行こう。あんな連中をわざわざ相手する必要は無い」


 そして林冲の先導で駆け出した。なぜ彼女が協力してくれるのか、いまだ燕青はよくわかっていないが、ここは素直に従うしかなかった。


 下層部の外れにある貧民街に、燕青と林冲は身を隠した。


 敵に見つからないよう潜んでいる間、ざっくりとこれまでの経緯を林冲に説明した。なるべく無表情を保って、燕青の話を聞いていたが、最後まで聞き終えたところで僅かに激情を露わにして、こう言ってきた。


「よかったな、燕青。これでもし小倩の身に何かあったら――私はお前を許さなかった」


 冷や汗が落ちるのを燕青は感じた。


 妹に対する林冲の想いは、壮絶なまでに深い。こちらを殺しかねないほどの迫力だ。なぜ血の繋がりがない小倩に対してここまで愛を注げるのか、燕青は不思議に思っていた。




 ※ ※ ※


 日が落ちてから、敵の警戒態勢も若干緩む頃を見計らって、貧民街を離れた。なるべく目立たない裏道を通り抜けていき、燕青と林冲は、運河沿いの道へと出た。


 船着き場へはそれほど時間をかけずに到着した。対岸に立ち並んでいる高層楼閣は明かりを点している。窓という窓が輝いており、水面にも光がちりばめられるように映し出されている。辺りが明るいおかげで、満福楼の船はすぐに発見できた。


 作業夫達が積み荷を運んでおり、非常に賑やかな様子だ。あちこちに人がいるので、紛れ込んでいるのか、小倩と曹正の姿はなかなか見つからない。


 何か起きたのだろうか。あえて小倩と別行動を取ったのが、裏目に出たのか。

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