第22話 魯智深との死闘

「くっ!」



 燕青は咄嗟に前に跳んで攻撃をかわす。



 寝台の上の男女は、いきなり始まった戦闘を前に、「ひいいいい!」と甲高い悲鳴を上げる。逃げることもできず、お互いに抱き合って、ただ震えているのみ。



「お、酒があるな」



 床に着地した魯智深は、テーブルの上の瓢箪に気が付いた。そして、この部屋の人間に断ることなく、勝手に取って、栓を抜いた。



「んーーー! 上物の香り! やっぱ都は、酒もツマミも美味くて、たまんねーな!」



 瓢箪を逆さに倒し、天を仰ぎながら、一気に喉の奥に流し込む。ゴキュッ、ゴキュッ、ゴキュッと盛大に喉を鳴らして、ものの数秒で中に入っていた酒を全部飲み干してしまった。



「おっし、燃料投入完了! やる気倍増! とっととケリつけてやるぜ!」



 ブンッと禅杖を振り回してから、魯智深は体当たりを仕掛けてきた。反応が遅れてしまった燕青は、真正面から相手の体を受けてしまう。



 巨岩が激突してきたかのような、凄まじい圧力が全身に加わってくる。



「ぐ、う!」



 押し切られた燕青の体は、建物の壁を突き破って、外へと弾き出されてしまった。



 空中に身を投げ出される。



「わ……!?」



 目もくらむほど下の方に運河が流れている。水に飛び込めればいいが、船も行き来しているため、タイミングによってはその甲板に激突してしまう。落下しながら、着地点を定める。



 船と船の間、わずかに覗いている水面――そこに向かって落ちていき、頭を下にしてのダイビングの姿勢を取る。全身への衝撃の後、ゴボゴボとくぐもった水の音が耳に入ってきた。



「ぷはっ!」



 水面から顔を出し、息継ぎをする。



 ギ、ギ、ギ……と大型船が、横を通り過ぎようとする。その船腹の取っかかりに手をかけた。



 甲板へと上りきったところで、さっそく船員に見つかった。



「おい、お前! なに勝手に乗ってきてるんだ! いますぐ降りろ!」



 船員は剣を抜いて警告を放ってくる。



 その後ろに、ズドンッ! と上空から魯智深が落ちてきた。衝撃で、船全体がグラリと揺れた。船員は悲鳴を上げて、甲板の縁にしがみついた。



「しつこいな……」



 うんざりとしつつも、燕青はいつでも戦えるように身構えた。



 チラリと、運河を挟んでいる高層楼閣群の、上の方を見てみる。あの光線は放たれてこない。射程距離外なのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。



 甲板には岩が載っている。さっきの小倩の話から推測するに、皇帝の庭に使われるという奇岩なのだろう。炎のような形をしている不思議な岩だ。甲板の横幅を占めるほどに大きい。



 たぶん、討仙隊の狙撃手達は、この船の方に向かって攻撃できないのだ。もしも岩に傷でもつけたりすれば、皇帝が心待ちにしている奇岩だ。かなりの重罪になってしまうに違いない。



「邪魔だ、どけ」

「ひぎゃっ!」



 魯智深の禅杖で甲板から叩き出された船員は、バッシャーンと盛大に水しぶきを上げて、運河の中に落ちてしまった。他にも船員達はいるが、すっかり怖じ気づいてしまったようだ。なす術もなく、遠巻きにして様子を見守っている。



「ここなら思いきり暴れられるぜ。さ、始めようか」

「ったく……後悔するなよ!」



 甲板の上に抜き身の剣が転がっている。魯智深に船外へ叩き出された船員が、落としていったようだ。燕青は剣のところまで駆け寄ると、素早く拾い上げた。そのままの勢いで走ってゆき、魯智深に斬りかかる。



「ん! いい太刀筋! ――けどな」



 ニッと笑い、魯智深は禅杖を振り上げ、正面から剣を受け止めた。ガキィン! と耳をつんざく金属音が、運河の上にこだまする。



「パワーが足りねえ」



 魯智深はドンッと禅杖を押し出す。弾き飛ばされた燕青は、体勢を立て直せないまま、甲板の上を滑っていき、かなり距離が開いたところで、ようやく止まる。



(マジかよ)



 汗がしたたり落ちる。ガードごと押し込む勢いで攻撃を仕掛けたはずなのに、相手はビクともしていなかった。逆に、ただ押し返されただけなのに、あまりの力の強さで腕全体がズタズタに引き裂かれそうなほどに痺れている。指先に力が入らない。



「ん? どうした。もう心が折れたか?」

「うるさい!」



 再び斬りかかる。



 上からの攻撃を魯智深は禅杖で受け止めようとしたが、途中で燕青は攻撃の軌道を変えた。まっすぐ振り下ろしていた刃を、体を横回転させながら、横薙ぎの下段攻撃へと変化させる。



「おっ、そう来たか!」



 魯智深はジャンプして、脚を狙っての斬撃をかわした。そのまま空中で禅杖を突き出す。



 間髪入れずのカウンター攻撃に対して、燕青は回避が間に合わない。すぐに剣を胸前まで引き戻し、禅杖による突きをガードした。



 ズンッッ! と上体に重い衝撃が走り、その圧力に耐えきれず、腰から倒れる。燕青は顔をしかめた。ひと突きされたのを防いだだけで、これだ。



 受け身を取りつつ、間合いを離す。体中の筋肉や関節が悲鳴を上げている。防御しただけでも、どんどん戦闘力を削られていく。だけど、



「負けるわけにはいかないんだっ!」



 吼えた。勝ち目があろうとなかろうと、関係ない。絶対に負けるわけにはいかないのだ。



「いいぜいいぜ、そういうの。大好きだよ」



 魯智深はハハハと笑ったが、すぐに、険しい顔つきになった。燕青が気合いを入れ直したのを感じ、自身の中から一切の油断を排除したのだろう。



「っらァ!」



 掛け声とともに、ゴウ、と風を巻いて、振り下ろしの一撃が襲いかかってきた。まともに喰らえば、体を真っ二つにかち割られてしまう。燕青は素早く横に避けた。禅杖が甲板に叩きつけられ、木の板が粉々に砕ける。



(いまだ!)



 攻撃直後で隙が出来ている魯智深に向かって突っ込んでいく。



「――ばーか」



 ニッ、と魯智深は笑みを浮かべる。



 隙、と見えたのは誘いだった。魯智深は振り下ろしたままの体勢から、甲板に刺さっている禅杖を跳ね上げて、木の板をバギッと剥がし、飛ばした。



「ぐ!」



 飛来した板が腹部に叩きつけられ、突撃を止められてしまった。その間に魯智深は体勢を立て直した。



「チマチマした戦い方してんじゃねーよ! もっと思いきりかかってきやがれ!」



 魯智深の長髪の言葉が、燕青の何かを刺激した。



 ゾクリと全身が激情で震える。



「いいぜ……そこまで言うなら、やってやるよ」



 剣を放り捨てる。カラーンと音が鳴るのと同時に、「お?」と魯智深は首を傾げた。



 燕青は覚悟を決めた。この仙姑を相手に勝つためには、二つの賭けをする必要がある。どれも根拠に乏しく、間違いかもしれない。だが、そこを乗り越えない限り、魯智深は倒せない。



「お? いいのか、武器がなくても」

「構わない。むしろ邪魔になる。だから――かかって来い」



 燕青の言葉を受け、魯智深は愉快そうに笑った。



「あははは! お前、いままでやり合った奴らの中で、一番いかれてんな! けど――」



 禅杖を肩に担ぎ、腰を落とす。



「――そういうの大好きだぜ!」



 甲板を蹴破らんばかりの勢いでドンッと突進してくる。そして、燕青のこめかみ目掛けて、渾身の横薙ぎを放ってきた。



 が、燕青は屈身して、その攻撃を潜り抜けるようにかわした。



「もういっちょ!」



 禅杖をクルンと回転させ、今度は頭の上から唐竹割りにブンッと振り下ろす。しかし燕青はまたも体を横にずらし、紙一重でかわした。攻撃目標を失った禅杖は、甲板に激突して、またもやゴシャアッと木の板を砕いた。



(見える……!)



 燕青は気が付いた。自分の回避能力の高さに。油断したり、虚を突かれたりしなければ、目に映る攻撃は当たらない。



 これが第一の賭け――身体能力を信じてのいちかばちかの勝負。



 けれども、魯智深を倒すには、そこからさらに有効打を当てないといけない。一発でケリをつけられるくらいの攻撃を。長くやり合えば、パワーのある相手の方がどんどん有利になる。



 だから、第二の賭けに移る。



 攻撃を避け続けながら、少しずつ、燕青は移動していく。やがて、甲板に積まれている奇岩を背に、追い込まれる形となった。

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