第21話 火尖槍の狙撃
二〇階の個室に戻った燕青は、運河に面している方の窓を開け、ワイヤーに手をかけた。グッ、グッと何度か引っ張るも、しっかり張られており、安定感はある。外れたり、千切れたり、あるいはたわんだりすることもなさそうだ。
ただ、小倩にこれを渡れというのは、あまりにも酷だろう。
「二手に分かれる」
窓枠に足をかけつつ、燕青は自分の作戦を説明し始めた。
「手配書は俺の分しか出回ってない。お前に対する警戒はもともと緩い。そこを突く」
「どうしてマークされてないんだろ? こんなに燕青と一緒に動いてるのに」
「あいつらからしたらお前なんて小物過ぎて、わざわざ指名手配するほどじゃないんだろ」
「……なんだろ、この釈然としない感じ」
「拗ねんなよ。むしろ幸運じゃないか。この満福楼は確実に包囲されてるけど、俺がこの窓から外に出れば、必ず奴らは俺の方に注目する。この鋼線を伝って向こう岸に渡れば、敵は誘導されて、包囲網も解けるはずだ。小倩はその隙に、満福楼を脱出してくれればいい」
「でも、燕青はその後どうするの? そもそも、そのワイヤーをどうやって渡るの!?」
「俺のことは心配すんなよ」
トンッと窓枠を蹴り、ワイヤーの上に跳び乗った。軽く、ゆらゆらとワイヤーが揺れる。背後で小倩が「キャッ」と悲鳴を上げるのが聞こえた。
風が吹き抜ける。近くを鳥が飛んでいく音が聞こえる。下は見ない。見れば、平衡感覚を失ってしまうことは必至だ。
「え、え、燕青! あ、危ないよ!」
「いいから、どっか別の部屋にでも隠れてろよ。奴らが来るぞ」
「う、うん! わかった! でも、落ちないでね! 気を付けてね!」
バタバタと部屋から走り去っていく足音が聞こえ、小倩の気配はなくなった。
(さて、と……)
ワイヤーを渡ることに集中する。
ゆっくり動けばかえってバランスを崩し、落ちてしまう。かといって慎重さを欠いても危ない。この超高所の鋼線渡りを成功させるには、平常心を保ちつつ、一定のスピードで進んでいかなければならない。
驚くべきことに、一般人には難度の高いこの軽業を、燕青は難なくこなせている。トッ、トッ、トッと軽快に歩を進めて、あっという間にワイヤーの半ばまで進むことが出来た。
(でも、あいつらがおとなしく見過ごしてくれるわけないよな)
そろそろ討仙隊の連中が何か行動を起こすはずだと、全身に緊張を張り巡らせた。
※ ※ ※
「おい! 誰かワイヤーを渡ってるぞ!」
通行人が運河の上にかかっている提灯用のワイヤーを指さし、悲鳴に近い声を上げた。
人々は上の方へと目を向け、口々に騒ぎ始めた。心配して制止の声を上げる者、喝采の声を送る者、唖然として黙って様子を見守っている者、多様な反応があちらこちらで見られる。
その中で、陸謙はひとりほくそ笑んでいた。
「馬鹿め――あれでは撃ってくださいと言ってるようなものだ」
耳に装着した機械のスイッチを入れ、通信を開始する。
「私だ、陸謙だ。首尾はどうだ」
若干のノイズの後、少女の声が機械を通して聞こえてきた。
『問題ないのです。いつでも撃てるのです』
「位置的にどうだ? 誰が撃つ?」
『私なのです。ここからよく見えるのです。早く発砲の許可が欲しいのです』
「いいだろう。撃て」
※ ※ ※
「……?」
ワイヤーを三分の二ほど渡ったところで、燕青は足を止めた。
前方の楼閣の屋根上に、異様な格好をした少女が、腰を落として赤い筒状の物を構えているのが見える。
少女の服装はこの国の物ではない。異国の装いだ。
もしも燕青が諸々の知識を持ち合わせているのであれば、それが遙か西の国で革新的とされる「ゴシック」と呼ばれる様式の服装であり、そこから「ゴシックロリータ」と称される珍しいファッションであるとわかったのであろうが、いまの燕青には、ただ単におかしな衣装であるということしかわからなかった。
とにかく、目の前の異装の少女が、こちらに筒状の物を向け――何か、狙いを定めていることだけは理解できた。
ゾッと悪寒が背筋を走った。
細いワイヤーの上だが、構わず、後ろへ飛び退く。
その直後、ギョンッ! とけたたましい音とともに、熱を伴った光線が空中を走った。
「!?」
想像を絶する攻撃。
初めて見るものだったが、燕青にはわかる。あの光線を喰らえば、命はない。
ワイヤーに着地した弾みで、少しバランスを崩し、両腕を広げて体勢を整える。が、今度は別の方向から殺気を感じた。
(まさか……!?)
いちいちそちらを見ている余裕もなく、まだ体勢の立て直しは出来ていなかったが、構わず今度は前方へと跳躍した。
※ ※ ※
「むぅ、外したのです」
ゴスロリの少女――討仙隊第四隊の隊長瓊英は、唇を尖らせた。それから再度、持っている武器のスコープに目を当て、狙いを定める。
彼女が持っているのは、「火尖槍」という狙撃用の武器だ。第四隊に合計で四つあり、他の隊員も所持している。
瓊英は耳に装着した通信機のスイッチを入れた。
「葉清、聞くのです。私はエネルギーをチャージするまで時間がかかるのです。あなたの位置からなら狙えるのです。やるのです」
自分と同じ建物の、屋内に隠れている副官に指示を出す。
『よろしいのですか? 私が仕留めてしまっても』
「甘いこと言うな、なのです。構わず、撃つのです」
『わかりました。それでは――』
※ ※ ※
別方向からの狙撃に勘付いた燕青が、前方に跳んだ直後、さっきまで立っていたところを、斜め下から光線が貫いた。
「あぶな――」
ブツン、と何かが切れる音がした。
燕青の体に当たらなかった光線は、そのまま足場となっていたワイヤーに当たったようだ。
「わわわ!」
切断されたワイヤーが空中に踊ったところを、間一髪で掴むも、もはやどうすることもできず、前方の楼閣に向かって弧を描くように落ちていく。手の平の皮がすり剥けそうになるのを必死で耐えながら、燕青はワイヤーにしがみつく。
ガシャアアンと窓やら花瓶やらを割り、建物の中に飛び込んだ。
ワイヤーを離した燕青は、床の上で受け身を取り、ゴロゴロと転がって、最後は部屋の壁に激突して止まった。
「い……ったぁ……!」
背中を壁に強く打ちつけ、しばらく痛みで悶絶した。
「な、な、なんだね、君は!」
「……は?」
部屋の中には先客がいたようだ。
朱色に塗られた室内には妖しい雰囲気が漂っている。三人くらいは余裕で寝られそうな、大きな寝台が置いてあり、その布団の中に、裸の男女二人がくるまって入っている。
「マジかよ……」
娼館だ。運河を挟んだ対岸にある建物が、まさかこういう所とは。
「で、出たまえ! 無礼な!」
男はブルブルと震えながらも高圧的な態度を取る。が、贅肉たっぷりのだらしない体をしていて、見るからに弱そうだ。燕青にとっては、全く脅しにならない。
「うるさいなあ。オッサンこそ、出てけよ」
「わ、私は、この国の役人だぞ! 偉いのだぞ! その口のききようはなんだ!」
「役人? だったら仕事しろよ。昼間から遊んでるようなバカの命令なんて、誰が聞くか」
言いつつも、この部屋に留まる理由もないので、さっさと扉を開けて外に出ようとした。
「……?」
ノブに手をかけた時、階下の方から、ズンッ……と振動を感じた。一回だけではない。連続して伝わってくる。それも、どんどん強く。
(何か、下からやって来る……!?)
腰を落として身構えた瞬間――
床がゴシャァ! と弾け飛び、下から、黒衣を着た何者かが跳び上がってきた。
魯智深だ。
「よー! 今度こそ遊んでもらうぜ!」
宣言するやいなや、空中に浮いたまま、禅杖を突き出してきた。
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