第19話 料理に一番必要なスパイス

「どちらかが、養子、アルか?」


 曹正の問いかけに、小倩は小さく頷いた。


「私が姉様の家にもらわれてきたんだ。私の本当のお父さんはね、張叔夜っていって、殿師府の太尉だった人」

「殿師府太尉⁉ 軍の最高責任者ネ⁉」


 驚く曹正。燕青も、そうだと知らされて呆然とする。そうなると、もともと小倩は、ただの武術師範である林冲よりも、家格的には上位にある家の娘だった、ということになる。


 しかも、その殿師府太尉の座には、いまは高俅という男が就いている。


 つまり――


「でも、お父さんは三年前に失脚した。皇帝の庭に使われる岩の運搬責任者に任命されたんだけど――途中の停泊地で、船ごと岩が消えたの。お父さんは運搬失敗の罪で、辺境の地に左遷された。……たぶん、一連の出来事は全部、策略だったんだと思う」

「策略? 誰のネ?」

「もちろん、いまの殿師府太尉、高俅よ」


 やはりそうだった。手配書を見た時、小倩は高俅のことを説明しながら、どこか怒りに包まれている様子だったが、それもそのはずだ。自分の父親を遠くに追いやられたのだから。


「お母さんは私を産んですぐに死んじゃったから、家族は他に誰もいなかった。ひとりぼっちになった私を、引き取ってくれる親戚もいなかった。当たり前だよね、私を助けたりしたら、引き取った家の人達まで、皇帝に睨まれるかもしれないんだから。でも――」


 そこで、小倩は泣きそうな顔になった。


「――お父さんだけは、別だった」


 燕青にはわかった。今、小倩が言った「お父さん」とは、実の父親のことではない。


「お父さんは、私のお父さんに、昔助けられたことがあった――ただそれだけの繋がりでしかないのに、私のことを『実の娘』として迎え入れてくれたの」


 彼女のことを引き取った男――それは、林冲の父親。


 血の繋がりは全くない人間のことを、小倩は実の父親と区別することなく、「お父さん」と呼んでいる。そこに、深い想いを感じる。


「姉様も、私のことを、本当の妹みたいに扱ってくれた。血が繋がってることとか、そうじゃないこととか、そんなの関係なかった。……それが、とても嬉しかった」


 場は静まり返っていた。曹正も、燕青も、神妙な面持ちで小倩のことを見つめている。


「……実のお父さんを失脚させられた復讐に、その『魔星録』を柴進に渡して、仙姑達を一斉蜂起させようということアルか?」

「ううん。ごめんね、本当は柴進さんに巻物を渡す気なんて、ないの」

「おい、小倩!?」


 急に本当の話をし始めた小倩を、燕青は止めに入る。


 が、小倩は「いいの」と首を横に振った。


「私、わかっちゃった。曹正さんは、たぶん国と仙姑の争いなんて興味がないんだと思う。仙姑にも、色々な人がいる。平和を愛する人だっているはずだ、って」


 小倩はニコッと満面に笑みを浮かべた。


「曹正さんは、ただ、この満福楼で料理を作っていたい――それだけなんだよね」


 空になった皿の上に目をやり、曹正もまた穏やかに笑った。


「……亡くなった私のお母さん、料理、上手だったヨ。特に饅頭が一番美味しかった。風邪引いた時によく出してくれたネ。私はあの饅頭をもう一度食べたかった。料理人を目指したのは、それだけ。ただそれだけの理由アル」

「じゃあ、本当は料理人としての地位とか名声とか、そういうのはどうでもいいってこと? お母さんが食べさせてくれた、その饅頭を、もう一度食べてみたいってだけ?」

「かもネ。魔星を宿したことで、料理の腕は向上して、どんな人も唸らせられるようになったヨ。けど、ちっちゃい頃私が食べた、お母さんのあの饅頭だけは……絶対に再現できないアル」

「ふふふ」


 突然、小倩は笑い出した。


「うん、それはムリだよね。絶対ムリ」

「どうしてアルか⁉ 私の料理の腕には、まだまだ足りないところでもあるというカ⁉」

「違うの。そういうことじゃない。どれだけ曹正さんが頑張っても、ある理由で、曹正さん自身が望む味の饅頭は絶対に作れない、ってこと」

「え――」

「厨房に連れてって。私がその饅頭を作ってあげる」


 曹正は戸惑いながらも、頷き、「こっちへ」と小倩と燕青を案内した。厨房に直結している専用の昇降機を使って、一階まで降りていく。


 厨房に入ってから、小倩は調理に取りかかった。


「風邪で寝込んでいる時によく出してくれたんだよね? どんな食材かも、わかると思う」


 自信たっぷりに小倩は生地を作り始める。その手つきを曹正は注視していたが、途中で不思議そうに首を傾げた。


 小倩の作り方には、変わったところはない。ごく普通の作業をしているだけである。


「曹正さんって、家族のためにご飯を作ったことって、ある?」

「お母さんが亡くなってからは、ずっと一人だから、そういうのはないネ」

「じゃあ、わからないよね」


 生地で挽肉を包み、蒸籠に入れて蒸し始めた。あとは出来上がるのを待つだけだ。その間も、小倩は喋り続ける。


「誰が食べても美味しいと思える料理。それが作れるのってすごい技術だと思う。でも、たった一人――『その人に食べてもらいたい』と思って作った料理は、その人にとっては、世界中のどんな料理よりも最高に幸せになれるものになるの」


 小倩の言葉を聞きながら、燕青は、目覚めた時に食べさせてもらったお粥を思い出した。この満福楼で食べた料理は全部美味しい。だけど、正直、あの時のお粥にはどれも敵わない。あれ以上に幸せになれる味はない。


「想いが、技術を凌駕するアルか……⁉ そんなこと、あるわけ……!」

「やだなあ。曹正さんってば、俗世間のことに疎いんだね。同い年くらいの女の子達は、みんな一度は聞いたことがあるよ」


 小倩は曹正の方を振り向き、ニコッと微笑んだ。


「料理に一番必要なスパイスは『愛情』だ、って」


 曹正は固まった。小倩の言葉を反芻して、自身に欠けていたものを考えているのか、何も言わずに立ち尽くしている。


「でもね……それって、料理だけじゃないと思うの」


 と言って、小倩は、今度は燕青の方を向いてきた。


「私はこの巻物を焼き捨てたいと思ってる。けど、本当は、みんながみんなをお互いに思いやれる世の中だったら……そんなことする必要はない。一人でも多くの人が、一人でも多くの人に『愛情』を示せるようになったら――この世界から、争いなんて無くなると思うの」

「そんなの不可能だろ。理想論だ」


 燕青の言葉に、小倩は「うん」と頷いた。


「私もそう思ってる。現実の前では、吹けば飛んでしまうフワフワの理想論。でも――理想を追い求めるのは、悪いことなのかな? 『これが現実だ』って冷めた目で世の中を見るのって、本当に格好いいことかな? ……私は、そう思わない」


 その時、バンッと厨房の扉が勢いよく開かれ、男の店員が中に入ってきた。


「料理長、大変です! 討仙隊が来て、ここに逃げ込んだお尋ね者を差し出せ、と――!」

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