第17話 これから先のこと
「昔から、姉様、私のことすごい大事にしてくれてるから。去年の一月ごろだったかな、友達の凌雲ちゃんと家の近くで遊んでた時に、盗賊に襲われたことがあって」
「盗賊? 都の中なのにそんなのが現れたの?」
「もちろん普通にはうろついてないよ。その時は計画的な犯行だったみたい。私のところも凌雲ちゃんの呼延家も家格は高いから、誘拐すればたっぷり身代金を要求出来ると思ったんだろうね。でも、そこで、凌雲ちゃんのお兄さんと、私の姉様が助けに来てくれたの」
二人が現れたことで、盗賊達の命運は尽きた。ものの数秒で全員倒され、小倩達は何事もなく救出された。
ところがそこからひと悶着あった。
「姉様がね、凌雲ちゃんにすごい怒ったんだ」
「何で? 悪いことなんてしてないじゃないか」
「実は凌雲ちゃんね、盗賊に襲われた時、私を助けてくれようとして、道端に落ちてた木材で相手に殴りかかったの。おかげで少し時間稼ぎが出来たし、幸い私も凌雲ちゃんも怪我しなかったからよかったけど、一歩間違えてたら危なかった、って」
「それはでも仕方ないだろ。いつ助けが来るかわからなかったんだし」
「私もそう思ったし、友達が責められるのはいやだったから、ちゃんと姉様に言ったの。もうやめて、って。凌雲ちゃんは私のことを守ってくれようとしたんだよ、って。そしたら――」
『理由が何であろうと、お前を危ない目に遭わせたくないんだ!』
そう、林冲は怒鳴ったのだという。
「……林冲、大丈夫か? ちょっと病気なんじゃないの?」
「うん。たまに怖くなるくらい私のことを守ろうとしてくるから、何かあったのかなー……とは思ってるんだけど、姉様は全然そのあたりのこと話してくれないんだ」
「まー、とにかく、小倩に傷でも負わせたら大変なことになる、ってのはよくわかったよ」
これでもし彼女に万が一のことがあったら、きっと命は無いだろう。林冲は大錯乱の末に、自分を殺しにかかってくるに違いない。そう思うと、少し背筋が寒くなった。
「で、どうすんだよ。これで魔星録を無事処分できたとして、その後は?」
「どうする……って?」
小倩はキョトンとした表情になる。
「まさか何も考えてないとか言い出すんじゃないだろうな」
「そんなことないよ! ノープランなわけないじゃない! 逆に、燕青が当たり前のこと聞いてくるから驚いたって言うか、当然わかってるもんだと思ってたから」
「わかるかよ。ちゃんと説明してくれって」
「だよね、そうだよね。ごめん、私ったら不親切で」
カチャリと箸を置いて、ごほんと咳払いした。それから改まった態度で、小倩は、燕青の目をまっすぐ見据えて、自身の考えを述べてきた。
「魔星録を処分できた後は、この国を出ようと思うの」
「外国へ逃げる……っていうこと?」
「そ。ここまでのことをしておいて、宋国で暮らせるわけがないでしょ?」
「生まれてから、ずっとこの国に住んできたんだろ? 未練とか、そういうのはないの?」
「未練、か……もちろんあるけど、でも、辛い思い出もいっぱいあるし……」
何かを思い出すように、宙を見つめながら、小倩は口元を小さく歪めた。それから、わざとらしいほど明るい表情になって、「ね! 燕青!」と声をかけてきた。
「君も一緒に来てよ! そうしたら、とても心強いから!」
「一緒に、って……俺を連れてってもしょうがないだろ。記憶無いから役に立たないよ」
「関係ないよ。どうせこの国を出ちゃえば、未知の世界。私も燕青も条件は同じ。それに、私と燕青ならバランスがいいと思うの。人との交渉とかは私がやって、燕青はいざという時に私を守ってくれる。ね、どうかな? 二人が一緒なら、きっと、どんなとこでも――」
「えっと……二人が一緒って……」
「へ?」
パチパチと目をまたたかせた小倩だが、自分の発言がとんでもない誤解を受けるものだったと気が付いたか、ボフッと顔を耳まで赤くした。
「ちちちちち違うってば! そういう意味じゃないんだって! 私は、ただ、燕青にできればずっとそばにいてほしいな、って――」
「ずっとそば……!?」
「ひゃ!? 違う! そうじゃない! 私、そういうつもりで言ったんじゃないからー!」
「ぷっ」
あまりの小倩の狼狽ぶりに、燕青は思わず噴き出した。一度気持ちが弾けたら、止まらない。声を立てて笑い始めた。
「あははは」
「燕青……?」
小倩は不思議そうに目を丸くしている。
「……なんか、君が笑うところ、初めて見るかも」
「少し落ち着いた。ずっと気持ちがざわついてたから」
「何も憶えてないから?」
「『自分にはやらないといけないことがある』。本当なら、この巻物のことよりも先にすべきことがあるはずなんだ。そんな気がするのに――だけど、思い出せない」
「燕青は何をしようとしてたんだろうね……」
「考えてもしょうがないから、考えない。とにかく魔星録を始末すること、それが先だ。俺としても、こんな厄介なものはとっとと処分しておきたいし。俺本来の目的に必要な物だったとしても、後悔することになるなら、その時はその時。もう腹はくくったさ」
「……ありがとう、燕青」
二人とも肝心のことは話すのを避け続けていた。
林冲のことだ。この国を抜け出したとして、彼女をどうすべきか、その問題がある。しかし彼女は禁軍の人間であり、同時に仙姑でもある。どちらの立場に立ったとしても、一緒になって国外へ逃亡しようという小倩の考えに、黙って従ってくれるとは考えにくかった。
お互い同じことを考え始めたか、しばらく沈黙が続いた。林冲のことをちゃんと話し合って、どうするのかを決めなければならないと、燕青も思ってはいたが、解決策が思いつかない。やがて、一旦保留とすることに決めた。
小倩も同じ結論に至ったか、壁に備え付けられた呼び鈴に手を伸ばした。
「そろそろ曹正さんを呼ぼうか」
「待った。これから先、どんなことが起きるかわからない。だから……」
「だから?」
首を傾げる小倩の前で、燕青は魔星録を懐から出し、テーブルの上に置いた。
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