第16話 豊かな食事

「雉肉の照り焼き、揚げ鶉、炒め蟹にアワビのシチュー、小籠包……」


 注文を取りに来た女の子に、小倩はメニューを指差しながら、ひとつひとつ頼んでいく。全ての注文が終わると、店の女の子は頭を下げて、部屋を出ていった。


「この都は、海から近いの? 蟹とかアワビとか、メニューにあるけど」


 燕青の質問に、一瞬、小倩はキョトンと目を丸くした。

 そして、クスリと笑った。


「そんなわけないよ。ここは内陸、海からはうんと離れてるんだから」

「え? そしたら、どうしてこんな所で海の食べ物が食べられるわけ?」

「運河があるでしょ。あれを使って水産物が運ばれてくるの」

「都へ運んでくる途中に腐ったりしないのかな?」

「高速船っていうのがあるの。それを使えば、海辺まで半日で到着しちゃうわ。だから海の幸、川の幸も都で食べられるってわけ。他の船の邪魔になるから早朝か深夜しか走れないけどね」

「昇降機に、高速船……すごい技術力だな……」

「この宋国の発展は、歴史上最高だって言われてるわ」

「こんな高い建物も建てられるくらいだし、かなり国力は豊かなんだな」

「うん……でも、それは見せかけだけ」


 小倩は悲しげにかぶりを振った。


「一部の人達が豊かに生活してる、その裏では、多くの人が職を失って苦しんでるの」

「は? でも、国が豊かだったら、そんなのありえるはずが――」

「国の金庫にいくらお金があっても、それが人々に行き渡らなかったら、意味が無いでしょ。それに、国のお金はみんな、皇帝の趣味に費やされている。その国のお金だって、実はもうほとんど残ってないの。だから最近は、地方に重税をかけて、お金を調達してる」

「なんだよ……それ……」

「もちろん、国中の人がそろそろおかしいって気が付き始めてる。だから、いつ反乱が起こってもおかしくないの。だから国は――敵を、用意した。散々に民衆を脅して、『このままでは国が滅びるかもしれない』って焚きつけて、自分達の失政から目を逸らそうとしてる」

「それって、もしかして」

「そう、仙姑のこと。しかも実際に、魯智深みたいな人がなりふり構わず大暴れして、民衆にも被害が出てるから、余計に仙姑は立場が悪くなってるの」

「騙してる国のほうも最低だけど、騙される奴らだって相当バカじゃないか」

「仕方ないよ。誰だって、国に逆らうのは怖いから。本当は心の底で不満を持っていても、反抗すれば命が無いってわかってる。だから――一番わかりやすい『第三の敵』に、憎しみを向けるの。それは、いつどんな時代でも、どんな国でも同じ。歴史は繰り返してるの」

「……この際だから、その歴史について、教えてくれよ」


 こうなれば一からこの世界のことを学ぶのが手っ取り早いと思い、小倩に教授を頼んだ。


「いいよ。簡単に教えてあげる」


 すぐに燕青は後悔した。軽く聞いたつもりだったのが、かなり真面目な性格なのだろう、小倩はまさかの「天地創造神話」から歴史を語り始めたのだ。


「かつてこの世界が混沌だった頃、そこから誕生した盤古という神が天地を創ろうと――」


 眠い。猛烈に眠い。


 襲い来る睡魔に耐えながらも、「教えてくれ」と言った手前、燕青は必死になって小倩の歴史語りを聞き続けた。が、全然頭に入ってこない。


 なんとか歴代統一王朝の名前だけは頭の中で繰り返し再生することで、憶えるのに成功した。けれども、それ以外のことは完全にアウトだ。


 地獄とは、人の手によって作り出せるものなのだと、切に思い知らされた。


(ど・こ・が、「簡単に」だよっ!)


 さすがにそろそろ文句を言って中断させようかと思ったところで、救いの神とばかり、注文した料理が運ばれてきた。


「わー、いい匂い! ごめんね、燕青。話の続きは食べ終わってからね」


 心底申し訳なさそうに謝る小倩に対して、燕青は引きつった笑みを浮かべながら、「気にしなくていい」と返してやった。むしろ続けなくて結構である。


 小倩がさっそく食べ始めたので、燕青も箸を伸ばした。


 蒸籠に入っている小籠包をつまみ、ひと口でパクリと食べる。


 たちまち、芳醇な香りの肉汁とトロトロに柔らかくなった野菜、よく味の染み込んだ豚の挽肉が口の中に溢れてきた。


「むぐ……!? うま……!」


 思わず顔がパアアッと明るくなる。


 たまらず、他の料理も次々と食べてみる。どれも口の中に染み渡る絶品だ。食べるほどに幸福な気分に包まれ、いま自分達が切羽詰まった状況にあることすら忘れそうなほどだ。


 特にアワビのシチューが気に入った。身が崩れる直前までトロトロに煮込んだアワビの食感がまた絶妙で、ほどよい塩味のスープと相まって、体の芯から旨味を感じさせられる。


「これ、すごい美味しい!」

「アワビのシチューね。それ、姉様も大好きなの」


 姉の好きな食べ物を褒められてか、小倩は笑みを浮かべた。


 そして、すぐに寂しげな表情になる。


「姉様……きっと、すごい怒ってるだろうなあ……」

「当たり前だろ。何をいまさら言ってるんだよ」

「そうだよね。うん、ここまで来て言うことじゃないって、わかってるんだけど」


 窓の外へと顔を向け、小倩は遠い目になった。

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