第15話 満福楼

 昇降機はしばらく上昇した後、ガタンと小さく揺れて止まった。降りると、すぐ前方に、小さな鉄の門と係の者が配置されていた。


「身分証を拝見致します」


 そう言って、係の女性は、小倩の出した身分証に目を通した。身分証に書かれている名前と、小倩の顔を何度か見比べた後、


「どうぞお通りください」


 と無感情な声で言って、鉄門を開けてくれた。


 まばゆい陽光が目に飛び込んでくる。燕青は手で顔の前を覆いながら、外に出た。


 涼しい冬の風が肌を撫でた。上層は日の光がよく当たっていて、明るい。下層と比べて爽やかな雰囲気だ。下から見れば十階建ての建物も、この上層では五階建ての高さになる。日を遮るほどもっと高い建物は、数は限られている。だから上と下とで、日照に差が出るのだろう。


「あれが満福楼だよ」


 龍や鳳凰の彫刻をあしらった、ひときわ立派な外観の楼閣が見える。大きな看板がついており、確かに「満福楼」と書かれている。中に入ると焚かれた香の薫りが漂ってきた。


 店内は、まだ昼飯時には早いが、それでもほぼ満員状態だ。


「個室って空いてる?」


 案内に来た店の女の子に、小倩は尋ねた。


「はい、いまでしたら、最上階の席が空いておりますよ」

「わ、すごい! そしたら、そこでお願い」

「かしこまりました。ご案内します」


 店の女の子に連れられて、奥にある昇降機に乗り込み、一気に最上階――二〇階まで上がった。二〇階といっても、上層を基準にしての二〇階だから、本当の地上である下層から見れば実際には二五階の高さになる。


(うっ……ちょっと、酔ったかも……)


 昇降機に乗るのは二度目だが、このフワフワした感覚に、まだ燕青は慣れない。こんな、部屋と呼ぶには狭すぎる箱のような空間が、ボタンひとつ押しただけで昇ったり降りたりするのが、不思議で仕方がなかった。


「きゃー! こんな眺めの個室に来るの、初めて!」


 部屋に入るやいなや、窓の外を見て、小倩ははしゃぎ出した。


「ごゆっくりどうぞ」


 あまりにも小倩の様子が面白かったのか、店の女の子は笑いをこらえながら、部屋の外へと出ていった。


「すごい……!」


 燕青も、思わず本来の目的を忘れて、目を輝かせて窓のそばに駆け寄った。


 陽光を浴びて、雨上がりの建物の屋根がキラキラと輝いている。楼閣群の谷間を上層の道路が縦横無尽に走っており、満福楼のすぐそばには運河が流れている。窓からちょっと頭を出すと、遙か眼下の運河を船が進んでいる様子が一望の下にできる。


 鳥の群れが、目の前を通り過ぎていった。羽ばたく音が聞こえるほど近くを飛んでいた。


 楼閣と楼閣の間には、下層と同じように、提灯をいくつも吊したワイヤーが渡されている。夜になれば明かりが点されるのだろう。こんな空中にある提灯にどうやって火を入れるのかわからないが、ここまで大規模な都のことだ、それ専門の仕事をする人間がいるのかもしれない。


 試しに、窓から手を伸ばして、ワイヤーに触れてみた。硬くて、頑丈だ。上に乗れるくらいの太さもある。軽業師のような人間であれば、ワイヤーに乗りながらの作業もできるだろう。


 その時、下に見える運河の方から、ジャーンジャーンと銅鑼の音が聞こえてきた。


 一隻の大型船が、甲板を占拠するほど大きな岩を載せて、運河を悠然と進んでいる。他の小舟は慌てて端に寄り、船の進路を邪魔しないようにしている。


 途中で、船は着岸した。積荷である岩を下ろすのだ。


 豆粒のように見える人夫達が、岩を乗せるための荷車を運んできて、船の方へと合図をする。岩は、船上から荷車へと移されようとしている。


「あれって、何やってんだ?」


 燕青にはわけがわからない。何の役にも立たないような岩を、どうしてわざわざ運河を使って運んできたのか。


「皇帝の庭園に使われる、奇岩よ」

「奇岩……?」

「珍しい岩のこと。形が虎の頭のように見えるとか、青い色をしてるとか」

「そんな物を、わざわざ船で運んできたのかよ」

「うん。そういうことに目がない人だから。自分の庭園を飾るため、わざわざ各地から奇岩を取り寄せているの。ひどい話」

「だけど、たかが趣味の話だし、別に問題ないんじゃない?」

「何言ってるの⁉ 国のお金を使ってるんだよ! しかも、あの船が通る時は、万が一衝突したりしてはいけないからって、他の船は一旦走るのを止めさせられたりするし――!」

「わ、わかった! わかったから、そんな大声出すなよ!」


 突然声を荒らげ始めた小倩にビックリして、つい燕青は狼狽してしまった。純粋に思ったことを言っただけだったが、何が彼女の逆鱗に触れたのか。


「ごめん。ちょっと、感情的になった」


 ふう、とため息をつき、小倩は椅子に座った。


「とりあえず、ご飯、頼も」

「曹正はまだ呼ばなくていいの?」

「きっかけが無いと。何も注文してないのに、部屋に来い、なんておかしいでしょ」

「それもそうか」


 椅子に座ってメニューを手に取る。一応、書かれている料理名を見て、大体の物はどんな内容か想像はついた。けれども、ここは小倩に任せることにした。

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