第14話 花和尚魯智深

 人々が行き交う中、対峙する。ほんの一瞬、人の波が途切れた時、燕青は相手の容貌を確認することが出来た。


 女だ。それもかなり背が高い。顔立ちを見る限りでは燕青達とそれほど年齢は変わらないようだ。僧侶の黒い法衣を身に纏い、手には重々しい禅杖を持っている。女は、その禅杖を地面にドンッと打ちつけた。先端についている二つ金輪が杖にぶつかり、シャーンと鳴る。


 顔は目鼻立ち整っており見目麗しい。スタイルもよく、法衣の上からもわかる豊かな胸のふくらみ。男みたいなショートヘアだが、女性離れした長身のため、逆によく似合っている。


 そんな見た目の秀麗さとは裏腹の、溢れんばかりの闘気。並の者ではない。


「あの人……もしかして……!」


 小倩は声を震わせ、力いっぱい燕青の袖を引っ張った。


「どうしたんだよ」

「逃げて」

「は?」

「逃げるの。いますぐ」

「何言って……?」


 そこで、燕青は、周りの様子がおかしいことに気が付いた。


 いつの間にか人々は歩くのをやめて、僧衣の女に注目している。誰もが青ざめた顔をして。予想を上回る異常な状況に、燕青は眉をひそめた。


(どういうこと?)


 その時、野次馬の中の誰かが叫んだ。


「間違いない! あいつ、花和尚の魯智深だ!」

「最凶のテロリスト……!?」

「逃げろ! 巻き添え喰らうぞ!」


 たちまちワアアと喚きながら、野次馬達は蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。逃げる人々の体がドカドカとぶつかってきて、小倩は突き飛ばされそうになり「キャッ」と悲鳴を上げた。


 そんな周りの騒動には目もくれず、僧衣の女魯智深はニカッと笑い、手に持った禅杖を燕青の方に向かって突きつけてきた。


「わざわざ迎え撃つとはいい度胸してるじゃねーか。さすが高俅をぶっ殺そうとしただけのことはあるな。気に入ったぜ」

「お前は何者だ? 討仙隊か? それとも――」


 燕青が最後まで問う前に、女はクルリと身を返して、背を向けてきた。


 僧衣の背中側は、大きく開いて肌が露出している。そこには鮮やかな花の刺青が彫られており、どう見てもまともな僧侶ではない――しかし、問題はそこではない。


 刺青の中に紛れ込むようにして、白い文字がクッキリと浮かび上がっている。


 それは、「孤」の一文字。


「やっぱり……仙姑か!」


 燕青は腰を落として身構える。


 林冲以外では初めて出会う、他の仙姑。このタイミングで現れるということは、当然、その目的は決まっている。


「おーよ。てめーが持ってるっていう巻物をいただきに来たのさ」


 やっぱり――と燕青は拳を握り締めた。


「どうして俺が巻物を持ってるってわかった」

「簡単さ。昨日からてめーの動きを追ってるからな」

「な……!?」

「ちょうど用事があって、大相国寺にいたんだよ。そうしたら、星が落ちてきて、てめーが現れた……ってわけだ。だからずっと見てたぜ。兵士達に職質かけられてるところも、討仙隊の隊長とやり合ってるところも、全部な。同じ簡易宿泊所にも泊まってたしな」


 気が付かなかった。だったら、いつ何時襲われてもおかしくなかった、ということになる。


「……何でだ」

「あ?」

「いくらでも奇襲を仕掛けることは出来たはずなのに、何で」

「趣味じゃねーんだよ」


 禅杖を肩に担ぎ、ニヤリと魯智深は笑う。


「欲しいもんは、戦って、勝って、奪う。タダで手に入れるなんて、そんなのオレはいやなんだよ。だからお前が気が付くまで待った」

「何……言ってんだ……?」


 魔星録を入手出来る絶好の機会だったのに、ただ「趣味じゃない」という理由だけで、襲おうとしなかった。そんな魯智深の思考が、燕青には全く理解出来ない。


「戦ったらダメ」


 横で青い顔をしている小倩が、必死でかぶりを振った。


「あいつは仙姑の中でも一番有名で――一番危険な奴なの。二竜山っていうところにアジトを作って立てこもってて、他の仙姑達と手を組んで、あちこちの町を破壊している凶暴な人。それこそ、巻物があいつの手に渡ったら、大変なことになるわ」

「だけど、この状況で、戦闘回避なんて難しいよ」

「燕青がわざわざ立ち止まったりするからでしょ!」

「……いや、ごめん。確かにそうだ」


 失敗したな、と燕青は頬を掻いた。


 魯智深は強い。ひと目見てわかる。大雑把な感じで仁王立ちしているように見えるが、まるで隙が無い


 両者の間に緊張が走る。どちらが先に仕掛けるか、機を窺う。


 しばらくしてから甲高い笛の音が聞こえてきた。警備の兵士達がやって来る。ピクンと魯智深は眉の根を吊り上げた。


「いいとこなのに……邪魔すんじゃねーよ、ったく」


 魯智深の背後から、十人ほどの警備兵の一団が駆け寄ってくる。そちらの方へと振り向いた彼女は、スッと腰を落とした。


「オラァッ!」


 気合いとともに、フルスイングで禅杖を振り、地面に叩きつけた。


 爆音、のち粉砕。

 ドーンと大地が揺れ動いたと思った後には、土が抉れるほどに地面が吹き飛び、直径一〇メートルものクレーターが出来上がった。


 魯智深は、ヒュンッ、と頭上で禅杖を一回転させた後、ドンッと地面に石突きを打ちつけ、大見得を切る。


「おら、どうした! もう怖じ気づいたのか!」


 頭上からパラパラと巻き上げられた土砂が落ちてくる。それらを頭や肩に乗せながら、兵士達は身動き取れず、ひたすらに震えている。


「なんだよ」


 と魯智深は不満げに声を上げた。


(なんだ……あの無茶苦茶な力は!?)


 一振りで大地を抉るほどのパワー。とても同じ人間のものとは思えない。どれだけ鍛えようともあそこまでの腕力になることはなく、常識を遙かに超越している。

 これが、仙姑なのか。


「行こう、燕青!」


 小倩に声をかけられ、燕青は頷いた。逃げるなら、相手が兵士達に気を取られている、いましかない。


 昇降機とやらがある緑色の建物を目指して、二人は揃って駆け出した。


「待てこら! 逃げんのか!」


 すぐに気が付いた魯智深は、後ろを振り返って、怒号を浴びせかける。続いて猛スピードで迫ってくる足音が聞こえてきた。


 建物の中に飛び込んだ燕青は、小倩に案内されるままに奥へと行くが、その先には道がない。やけに狭い小部屋があるだけだ。


「なんで!? そこ行き止まりじゃんか!」

「違うの! 早くあの中に入って!」


 言われるままに、小倩と一緒に小部屋の中に入る。


 と同時に、建物の入り口前に、ズザザと土煙を撒き散らせながら、魯智深が滑り込んできた。


「こんにゃろー!」


 魯智深は、こちらに向かって廊下を駆けてくる。


「えい!」


 小倩は、小部屋の壁についているスイッチを押した。


 途端に燕青達の目の前に格子戸がスライドしてきて、ガシャンと魯智深との間を遮断してしまった。


 何とか追いついた魯智深は、構わず、格子戸をゴシャァッ! と正拳で突き破った。が、できるのはそこまでだった。


 燕青と小倩の立っているスペースが、上昇を始めたのだ。格子戸の向こうにいる魯智深は拳を引っこ抜いた。その姿は、足元の方へと流れていく。


 突然、アッハッハッハ――と魯智深は大声で笑い始めた。


「いいぜ、とりあえず今回は見逃しといてやるさ! が、次は逃がさねーぞ!」


 そして姿は完全に見えなくなった。


 直後、小倩はガクンと膝を折って、その場にへたり込んだ。


「はあああぁぁぁ……」


 相当怖かったのか、盛大にため息をつく。


 燕青もまた、全身から力が抜けるような感覚を覚えていた。一歩間違えれば、敗北を喫していた。そして巻物を奪われていた。


 討仙隊の凌雲もまた強かったが――仙姑も、常人とは段違いだ。


 こうなれば一刻も早くこの都を脱出しなければならない。討仙隊だけでなく、ついに仙姑まで襲撃してきたのだ。長引けば、どんどん状況が厳しくなっていくのは間違いなかった。

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