第12話 チャイナドレスと燕青

「ここ! ここ!」

「ん……?」


 示された場所を見ると、そこには「第八一位 地稽星 操刀鬼 曹正」と記されている。


「曹正、って……いまその名前言ってたよな」

「そう! 満福楼の料理長と、全く同じ名前! しかも曹正さんは、一年前に彗星の如く現れて、地方の料理界を席巻した末に、都へやって来た、天才料理人なの。一年前だよ、一年前」

「星が落ちたのと同じ頃……!」

「やっぱりこの巻物は仙姑のリストなのよ、絶対そうよ!」

「で、それがどうしたんだよ。こいつが仙姑だってことがわかって、何の役に――」

「やだなー、燕青ってば。あれ見てよ」


 と、城壁の前で停留している満福楼の船を指差し、小倩は「ふふ」と笑った。


「私達には、船に乗せてくれるような知り合いはいない。でも、これから頼めばいいんだよ」

「まさか、お前……この曹正とかいう奴に交渉しようっていうの⁉」

「そのまさか」

「バカじゃないの⁉ 下手に接触したら、俺達の持ってるこの巻物のことがバレるだろ⁉ それに、何て説明するんだよ? 外へ出たい理由を正直に言うつもりなのか⁉」

「燕青ったら、真面目だなー。理由なんていくらでも作れるじゃない」

「たとえば?」

「この巻物を、外にいる仙姑へ届けに行くの――とか」


 なるほど、と燕青は納得が行った。仮に曹正が巻物を欲しがっている仙姑だとしても、他の仙姑に託すということにすれば、少しは話を通しやすいかもしれない。


「わかった、それでいいよ。で、その満福楼ってどこにあるんだ?」

「あっち」


 と小倩が示した方向には、雨で煙る中、何十層もの高さを誇る楼閣が無数に建ち並んでいるのが見える。位置的には離れているはずのこの場所からでも、見上げないと一番上の方が見えないくらいだ。


(高い……)


 何度見ても、未知の世界に飛び込んだ気分だ。あんな超高層の建物が存在するというのがいまだに信じられない。


「ところで……このまんまだと、手配書通りの見た目だから、ちょっと危ないかもね」


 ジロジロと小倩が眺め回してくる。


 何となくいやな予感がした燕青は、ジリッと後退りした。


「な、なんだよ」

「さっき服屋さんを見かけたわ。お金も十分あるから、ちょっと買い物しよ」

「買い物って、おま――何を買う気だ!?」


 半ば悲鳴に近い声を上げた燕青だが、小倩は構うことなく、その手を引っ張った。


 一時間後――服屋の中から、顔を真っ赤にして――スリットの入ったドレスを着た燕青が出てきた。


 外に出た燕青は、あまりのことに店の中へ引き返したい気分だった。


 道行く人々が自分の方に注目している。特に男の視線が多い。二十代くらいの若者は、デレデレした目でこちらを見ている。ゾゾゾ! とおぞましいものを感じて、身を震わせた。こっちを見るな! と、燕青は唇を噛みながら、通行人と目を合わせないように下を向いた。


 さっきまでは男物の服を着ていたので、このように女性らしい格好は落ち着かないものがある。



「やだぁ! 何度見ても、燕青ってば可愛いーーー!」


 前から後ろから、小倩は好き勝手に眺め回してくる。ハアハアと息が荒く、目つきが怖い。目覚めさせてはいけない何かが、小倩の中で生まれてしまったようである。


「あ、あんまり、見るな……っ!」


 羞恥で顔を赤くして、唇を噛む。

 その仕草がかえって嗜虐心を煽ったのか、小倩は身悶えしながら黄色い声を上げた。


「ダメ、勿体ない! もっと見させてよ!」

「冗談じゃない! こんなヒラヒラした格好! 金輪際ごめんだ!」

「あと、私のお嫁さんに来てください!」

「断るっ! てかおかしいだろ! どうして同じ女のお前に、嫁入りしないといけないんだ!」

「大丈夫、三食全部私が作るから! なんなら燕青は横に座ってるだけでいいから! あーん、その可愛い顔を毎日そばで愛でたーい!」

「こ……この都にいる女は、どいつもこいつも……ヘンタイか!」


 昨日の凌雲といい、あまりにも奔放過ぎる。


 女性がここまで自由闊達に振る舞っている社会、というのが、実に不思議だ。先ほどの話だと、都で一番の料理店・満福楼の料理長曹正は、まだ十代の少女だというではないか。それが認められるというのは、何だか奇妙な気がする。


 服装も、女性の中にはまるで遊女のように露出度の高い恰好をしている者もいる。ふしだらだと咎められるどころか、当たり前の顔をして、太ももや胸の谷間を露わにして町中を歩き回っている。髪の色も黒一色ではない。異国の血が混じっているのか、目の色が違う者までいる。


 どこかおかしい。自分の知っている世界のあり方と、何かが違っている。


 考えることに夢中になり、頭の後ろを掻きむしる。手が簪の尖端に触れ、チクリとした。


「痛っ」


 手を引っ込めた。


 巻物と一緒に所持していた、女物の簪。何かの手がかりになるかと思い、ずっと持っているが、懐に入れっぱなしにしているのも落ち着かないので、とりあえず自分の髪に差している。が、いまだにこの簪も誰の物なのかわからない。


「どうしたの、燕青? 急に難しい顔して」

「いや……何でもない」


 考えてもしょうがない。思い出せないものは思い出せないのだから。


 まずはこの都を脱出することに専念するのが先だった。

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