第11話 手配書に書かれていたもの
すでに燕青の手配書は出回り始めていた。町の各所の壁に貼られている。いまなお兵士達が貼って回っているくらいだ。
傘を買った後、手近な所にある一枚を見てみた。
「なんだこれ……!?」
罪状を読んで、燕青は愕然とした。
――東京開封府告示。殿師府太尉の命によってここに布告する。先般、太尉の命を狙いし下手人、燕青なる者を逮捕すべし。生死は問わず。犯人を家に匿い、宿舎・食事の便を与えたる者は犯人と同罪とみなし死罪とする。犯人を捕縛して連行したる者、あるいは殺害して亡骸を殿師府まで届け出せし者には金一千貫を与える。また犯人は太尉襲撃の際、家宝の巻物『魔星録』を盗んでおり、これを奪取せし者にも同額を別途与える。情報提供等、右記の他については、別途内容に応じての賞金を与える。
身に覚えのない内容だ。もっとも、記憶が無いのだからそう感じるのも当たり前かもしれないが、それにしてもここに書いてあることに納得がいかない。
「燕青……殺し屋なの……?」
横から、不安げに小倩が尋ねてきた。さすがに人殺しを生業とする人間と一緒にいるのは、怖いと感じているのだろう。
「わからない……わからないけど、この殿師府太尉って、何者?」
「禁軍の最高責任者。軍事関係では一番偉い人。そして――討仙隊の総隊長も務めてるの」
「そいつを、俺は、殺そうとした……?」
「手配書に書いてあることが本当なら」
「その、殿師府太尉とかいう奴の、名前は何て言うんだ?」
「名前は――」
小倩の目に、微かに、怒気が宿った。
「――高俅よ」
その名を聞いた途端、燕青の胸中に、ピリッとした衝撃が走った。
体内に刻まれた感覚が、たとえ記憶を失っても、この気持ちだけは忘れるなと呼びかけてくる。何百年、何千年経とうと、決して忘れてはならないと。
それは――殺意を伴った憎しみ。
確実に自分は、その高俅という男を知っている。そして、湧き上がってきた殺意が証明している。手配書は真実なのだと。
(俺は……こいつを殺そうとして……巻物を奪った)
だけどなぜそんなことをしたのか。
「小倩、俺、本当に殺し屋なのかもしれない」
「そう……なんだ」
「だけど、これだけは言える。きっと金を積まれて、こいつの命を狙ったんじゃない。何かちゃんと理由があって、許せないことがあって、それでこいつを殺そうと――」
ふと昨夜の戦いの最中、凌雲を殴った直後に蘇ってきた記憶が、いま一度頭の中をよぎった。多くの人達が骸となって倒れている風景。それがどこなのかわからないが、死んでいる人々は自分のよく知っている者ばかりだったというのはわかる。
もしかしたら、あの惨劇を巻き起こしたのが、高俅という男なのかもしれない。
そして自分は復讐をするため、その命を狙ったのではないだろうか。
「別に関係ないよ。理由は何だって、人を殺そうとしたことには変わりないんだから」
ちょっと不機嫌そうな小倩の口調に、燕青は戸惑う。平和を愛するこの少女は、そもそも高俅を殺そうとしたこと自体が許せないらしい。
「お願いがあるの」
「何?」
「できれば人を殺さないでほしいの。どんなに憎い敵でも」
「自分の命が危ない時でも、か?」
「そこまで意地悪は言ってないよ。でも、殺さなくても済むなら、そうしてほしい」
「……わかった。やれるだけやってみる」
この時、燕青は約束を守るつもりはなかったが、逆らったところで無用な問答を繰り広げるだけなので、とりあえず小倩の意に沿うような答えを返した。
「ありがと」
安堵の色を顔に浮かべ、ニコッと小倩は笑った。
都の外に出る城門の近くまで来たところで、二人は進むのをやめ、すぐ脇道に隠れた。遠目で見てもわかるほどに、兵士達がズラリと並んでおり、かなりの厳戒態勢を敷いている。
「あちゃー、検問があるね……これじゃあ外に出られないよ……」
かといって、いつまでも都の中にいるわけにもいかない。手配書には燕青の似顔絵が描かれている。小倩の情報が載っていないのはまだ救いだが、顔を検められたら一発で終わりだ。
夜になると城門は閉まる。それは昨日の夜、都から脱出しようとして出来なかったから、よくわかっている。となると、昼のうちに都から出られなければ、またひと晩やり過ごさないといけなくなる。それは避けたい。
「抜け道みたいなのはないのかよ」
「うーん……確実なのは、運河くらいかなー」
「運河は警戒が甘いのか?」
「船の積み荷を全部見るわけにはいかないし。それに、深夜の運送もあるから、水門は一日中開かれてるの。警備が手薄な時間を狙う手もあると思う。……だけど、やっぱ難しいかな」
「だけど可能性はあるんだろ? ちょっと様子だけでも見てみたい」
二人は運河まで歩いていき、船が城壁を通過するところを、建物の陰から観察してみた。
城壁付近には、やはり兵士達が待ち構えていた。船は外へ出る前に、一度停船させられ、積み荷をチェックされている。船室まで入っていく徹底ぶりだ。積み荷については抜き打ち検査なので、全てではないが、それでも見つかる危険性は非常に高い。そもそも、船長の協力でもないと積み荷の中に隠れるのは無理だろう。
「誰か知り合いにいない? 運搬業者とか」
「残念だけど……」
小倩はかぶりを振った。
打つ手無しなのか。二人はしばらく途方に暮れて、雨粒で波紋が広がっている運河をぼんやりと眺めていた。
「あ、満福楼」
小倩が声を上げたので、彼女が見ている方に、燕青も目を向けた。
緑色の縁取りをされた赤く瀟洒な船が、ギシギシと音を立てながら運河を進んでいく。船体の横には、「満福楼」と書かれている。
「知ってる船?」
「船、っていうか、お店のことはよく知ってるの。都で一番の料理店。あの船、高速船だから、たぶん満福楼で作られた料理を隣の州とかに運んでいくんじゃないかな」
「ふうん。ただの料理店にしては羽振りがいいんだな」
「言ったでしょ、都で一番、って。いまの料理長の曹正さんなんて、私達とそんなに歳の違わない女の子なのに、このたった半年でこれまでの満福楼の売り上げを、倍以上に――」
そこまで言ってから、小倩は言葉を切った。
そして、いきなり断りなしに、燕青の懐に手を突っ込んできた。乳房に小倩の柔らかな手が触れてきて、カァッと燕青は顔を赤らめる。
「な、何すんだよ!」
「巻物! 見せて!」
小倩は、燕青の懐から取り出した巻物をバッと広げると、「たしかこの辺に……」と指で内容を追っていたが、ややあって、「あった!」と叫んだ。
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