第10話 女子同士
悪夢を見ていた。
何も見えない。何も聞こえない。だけど、感覚だけは伝わってくる。絶望的な出来事が起きているということだけは強く感じている。そんな、気持ちの悪い夢だった。
「ううん……」
燕青は呻き声を上げた。
息苦しい。顔の周りを何かが包んでおり、全く息が出来ないわけでもないが、新鮮な空気が入りづらい感じになっている。ただ、いい香りはする。
目を開けた。
顔の前に、柔らかな肌が見えた。誰かの体に抱きついているようだ。
(はいい⁉)
まさかと思い、体を引き剥がすと、そこには小倩が横になっていた。しかもすでに起きていて、顔を真っ赤にした状態で、カチンコチンに固まっている。
「あ……あのね……燕青」
ためらいがちに小倩は声を出す。
「イ、イヤってわけじゃないんだけどね……一人で眠れないとかだったら、先に相談してくれたら、ビックリしないで済むの、ね……だから、えっと、次からは寝る前に、ひと言」
「違う違う違う! そういうつもりじゃないんだー!」
両手を振って必死で否定する燕青は、周りから強い視線を感じて、辺りを見回した。
(やば……)
誰もが目をぎらつかせて、燕青達のことを観察している。
いま二人がいる場所は、その日暮らしをしている自由人や、浮浪者達が身を寄せ合っている、無料の宿泊所だ。藁葺き屋根の簡易な建物だから雨漏りも激しく、地面の上に直接茣蓙を敷いているだけなので寝心地も悪いが、屋根がないよりはマシである。
何百人も一ヶ所に集まっているから、ひと晩隠れ潜むにはちょうどいい――と思って入ったのはいいけれども、それは誤算だった。
燕青達は目立ち過ぎている。二人とも女子だから、こんな宿泊所を使用するような人間ではない。
特に小倩だ。軍人の家に住む、言うなれば良家のお嬢様だから、どうしても服装や肌の艶などで目立ってしまう。それに加えて、ただでさえ綺麗な顔立ちをしているから、女に飢えているここの宿泊者達にとってはたまらないものがあるだろう。
そして――たぶん、小倩を守ろうという意識もあったのだろうが――いつの間にか燕青は、彼女を抱き締めて眠ってしまっていた。
これはもう、ここの宿泊者達を、最高に刺激してしまっているようなものだ。
「姉ちゃん達……なかなかいいものを拝ませてくれるじゃねえか」
ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべながら、無精髭の浮浪者が近寄ってきた。
それにつられて、他の宿泊客達も、ゾロゾロと寄ってくる。
「女同士で普通のことかと思って見ていたが、こうもあからさまに乳繰り合われたら、我慢できねえなあ」
こうなれば長居は無用だ。燕青は、小倩の腕を引き、宿泊所の外を目指して駆け出そうとした。
「おいこら待て!」
最初に絡んできた無精髭の浮浪者が、掴みかかってきた。
一旦小倩から手を離すと、燕青は相手に捕まらないようにしつつ、浮浪者の胸倉を掴んだ。
「ハッ!」
上体を回し、相手の体を腰に乗せ、息を吐くのと同時に一気に投げ飛ばした。背中からズダーンと浮浪者は地面に叩きつけられて、「ぐえっ!」と悲鳴を上げた。
他の連中が怯んでいる隙に、燕青は再び小倩の腕を取り、宿泊所の中を駆けていく。
「燕青、かっこいー!」
「うるさい! そもそもお前がそんな目立つ格好してるのがいけないんだ!」
「あれ? この騒ぎって、私に抱きついてた、どっかの甘えん坊さんのせいじゃなかった?」
「ぐ」
返す言葉もない。
何とか無事に外へと出た。が、昨晩から降っている雨は、いまだにやんでいない。多少勢いは落ちて小雨になっているものの、濡れることには変わりない。
「参ったな……傘がいる」
「はい、これ」
と、小倩は懐から巾着袋を出し、銅銭の束を取り出してきた。銅銭の真ん中には穴が開いており、紐が通されて、ひとつにまとめられている。
「どうしたんだよ、その金」
「家から持ってきたの。大丈夫、ちゃんと私のお金だから」
「やるじゃんか。じゃあ、そいつで――」
「こーら。また忘れてる」
「? 何を」
「お・れ・い。これは誰のお金? 私のお金。誰のために持ってきたの? 燕青のため。こういう時は、まず最初に何て言うべきかな?」
「う……」
小倩の物言いは腹立たしいが、正論だ。
「……ありがとう」
渋々礼を言った。
「はーい、よく出来ました。花丸あげちゃおっかな」
「ム、ムカつく……」
いいように自分を子ども扱いしてからかってくる小倩に、燕青はピキピキと青筋を立てて怖い目を向けた。生意気にもほどがある。何とかギャフンと言わせられないかと考えていたが、宿泊所の中からゾロゾロと男達が飛び出してきたので、諦めざるを得なかった。
「おい、まだいるぞ!」
「ちくしょう、なめやがって! 男の怖さを思い知らせてやる!」
「みんなでなぶり者にしちまえ!」
口々に物騒なことを喚きながら、こっちに向かって猛突進してくる。
「あー、うっとうしい! 行くぞ!」
「わっ」
また小倩の腕を引き、燕青は宿泊所から離れた。
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