第8話 仙姑

「あ。いっけない。巻物まで壊れちゃってたら、怒られちゃう」


 呑気にそんなことを言いながら、凌雲は羽衣を解いた。燕青は前のめりに倒れ、その弾みで巻物がコロンと地面に転がった。


「よかったあ!」


 ニコニコと笑いながら、凌雲は巻物を拾おうと、前に進み出てきた。


 が、先にいち早く小倩が巻物を拾った。懐にしまい、絶対に渡してなるものかという決意を込めた目で、凌雲のことを睨む。


「ちょっとー、邪魔しないでよお。それ、返して」

「渡さない! 絶対、あなた達なんかに!」

「んー。私、仕事で必要な人以外は殺したくないんだけどなー」


 尖らせた唇に指を当てて、コケティッシュな困り顔を見せる凌雲。しばらく迷っているようだったが、すぐに「ま、いっか」と呟いて、羽衣を構えた。


「はい、警告。その平べったい胸にしまってる巻物を、早くこっちに渡してくださあい」

「ひ、平べったいって、何よ! ぬ、脱いだら、私だってそれなりに――!」

「そういうのどうでもいいしー。やっぱり、私くらい、服を着てても……」


 凌雲は体を振った。形のいい両乳房がプルンと揺れる。


「こんくらい揺らせるサイズじゃないと、ね♪」

「は、腹立つ……」

「でー? 渡してくれるの? くれないの? どっちい?」

「……!」


 そばに落ちている剣を拾い、小倩は燕青の前に進み出て、戦う意志を見せた。が、構えが全然なっていない。素人同然だ。これでは一合も渡り合うことなく殺されてしまう。


 クスクスと凌雲は笑った。


「嫌いじゃないけど、ね。そーゆーの……でも、お仕事だから」


 そして、羽衣を撃ち出そうと身構えた、その瞬間。


「……凌雲ちゃん?」


 何かに気付いた小倩が、剣を下ろして、驚き顔で尋ねた。


 凌雲は攻撃を一旦中断し、首を傾げる。


「あれ? 前にどこかで会ったっけ?」

「やっぱりそうだ! 見た目全然違うから、わからなかったよ! 呼延凌雲ちゃんでしょ!」

「誰よ、そのコエンリョウウンって。人違いじゃないの?」

「憶えてないの!? 私だよ、ちっちゃい頃から一緒に遊んでる、小倩だよ!」

「あ、なるほど」


 ポン、と凌雲は手を叩いた。


「わかった。私になる前の『私』ね」

「何言ってるの……?」

「そっかそっか。じゃ、気にすることないか。続行」


 ゾッとするほどの殺気を纏い、再び両手を構えた。相手が攻撃態勢に入ったのを見て、小倩は息を呑み、身を守ろうと剣を持ち上げた。


 突如――倒れていた燕青が、バッと跳ね起きた。


「貸せ」


 ぶっきら棒に言って、燕青は、小倩の手から剣を奪うと、地を這うような低い姿勢で駆け出す。「あ、しまった!」と、慌てて凌雲は反撃しようとしたが、あまりの速さに間に合わない。


 剣が閃き――ザンッ! と凌雲の両脚は、脛のあたりで切断された。


「きゃあああ!」


 凌雲は悲鳴を上げ、うつ伏せに倒れた。脚の切断面からは、腕と同じように、バチバチと電気がほとばしっている。


 すっかり腰を抜かしている小倩に、燕青は振り返り、声をかけた。


「小倩、泳げる?」

「え? わ、私? あんまり得意じゃ――」

「そっか。俺は自分が泳げるかどうか憶えてない。運が悪かったら許して」

「ちょ、ちょっと。な、何する気? やめ――!」


 これから起きることを察した小倩は、小さく悲鳴を上げたが、燕青は全く躊躇することはなかった。小倩の体を抱きかかえ、地面を蹴ると、運河に向かって身を躍らせた。


 バッシャーン、と激しく水飛沫が上がる。


「ぷはっ」


 すぐに燕青は水面から顔を出した。どうやら泳ぎの技術は問題なく習得しているようだ。懸念だった小倩も、拙いながらも多少は泳げるようで、何とか溺れずに済んでいる。


「あーん、もーう!」


 岸辺で騒いでいる凌雲の声を背に、燕青と小倩は、対岸に向かって泳いでいった。


 ※ ※ ※


 雨が降り始めた。


 燕青と小倩はひたすらに逃げ続けていた。町の中だということはわかるが、夜道で辺りが暗いこともあり、もはや、自分達がどこを歩いているのか見当もつかない。


 緑地に出た。池や亭が設けられているところを見ると、どうやら公園のようだ。雨が降っているため、人影は無い。とりあえず屋根のある亭へと身を寄せた。


 椅子に座ってから、濡れた上着を脱ぎ、水を絞り出す。


 亭の柱には貼り紙がある。内容を見てみると、仙姑なる者達の手配書のようだ。似顔絵、人相書きとともに、名前と罪状が記されている。全て、懸賞金は一千貫だ。


「貫……?」


 通貨の単位だというのはわかるが、物価を知らないから、どれだけの額なのかピンと来ない。


「姉様の年収の十年分が、大体一千貫くらいね」


 着たままで服を絞って、水をジャアッと出しながら、小倩は説明した。


 一人につき、軍人の年収の十年分もの賞金を支払うということに、燕青は驚きを禁じえずにいる。それだけでも、いかに国が仙姑という存在を強く警戒しているのか、よくわかる。


「結局……仙姑って、一体何なんだよ」

「詳しく話すと長いから、要点だけ説明するけど――」


 ――それは去年のことだった。


 ある日、宋国全土に、天から無数の星が落ちてきた。


 その天変地異を受けて、皇帝は宮廷道士に尋ねた。これは一体何の前触れであるのか、と。


 道士の答えはこうだった。


『天上より落ちた百八の魔星が、同じ数の十代の処女達に宿ったようです。その者らは伝説の仙人に匹敵する存在――いわば『仙姑』。やがて彼女らは、この国を滅ぼすでしょう』


 宮中は大騒ぎになった。道士はこれまでにも数多くの反乱や暗殺を未然に予見しており、皇帝は絶大な信頼を置いている。その道士が告げたことには計り知れない影響力がある。百八人の少女が国を滅ぼす、というのであれば、それは確実に訪れる未来だと判じられた。


 こうして仙姑を退治するため、皇帝は、禁軍の中に新たに『討仙隊』という部隊を作った。仙姑の捕縛もしくは殺害を命じられた特殊部隊である。


 だが仙姑は人智を超えた能力を持っている。戦闘向きでない能力を持つ者もいるが、その多くは尋常ではない武力を持っており、普通の人間では太刀打ち出来ない。そのため、いまだ仙姑達は一人として倒されることなく、国に対して抵抗を続けているという――。

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