第6話 凌雲参上!

「やだ、姉様。逃げないでよお」

「姉……様……?」


 動揺する。彼女は、自分の妹だというのか。


「うふふ、そんな顔しないで、姉様。私、ずっと姉様に会うのを楽しみにしてたんだから。この胸の奥に入ってきて、私にとても温かいものを教えてくれた、愛しい愛しい姉様……」


 白い少女は、自身の胸に両手を当て、目をつむる。彼女が何を言っているのか理解出来ない燕青は、どう返せばいいのやら、ただ途方に暮れている。


「だから、ね。姉様」


 まぶたを開けた少女は、愛しげに、実に愛しげに、


「死んでちょうだい」


 邪悪なる宣告を放った。


「⁉」


 咄嗟に燕青は身をかがめた。


 その頭上を、半透明の布がジャッとよぎった。少女の羽衣だ。本来の長さの五倍以上も伸びて、燕青に向かって襲いかかってきたのだ。


 羽衣は、燕青にかわされた後、後ろの方の石灯籠に絡みついた。


 直後、ブンンと振動音が聞こえたかと思うと、羽衣に巻き付かれていた石灯籠は、ゴシャッと粉々に砕け散ってしまった。


 突然巻き起こった破壊。道に石灯籠の破片が降り注ぐ。周囲の人々は悲鳴を上げながら、我先にと逃げ出した。


「あんっ、もう! かわさないでよ! 殺せないじゃない!」

「な――んだよ!」


 冷や汗を流しながら、燕青は怒鳴る。


 シュルルと羽衣は元の長さに戻っていき、再び少女の体の周りへと収まった。


「お前は誰⁉ 説明くらいしてよ! どうして俺を殺そうとするんだ!」

「私は討仙隊の第二隊『地坤隊』の隊長、凌雲よ。で、殺そうとしている理由は、二つあるの。ひとつは、姉様の持ってる巻物を手に入れるため。もうひとつは――」


 そこまで言ってから、凌雲は唇に指を当てて、「んー」と小首を傾げた。言うのを躊躇っている。しばらくしてからニッコリと笑った。


「やっぱ、教えなーい」

「なんだよそれ!」

「もー、姉様のえっちー。女の子の秘密を詮索するのは、ダ・メ・な・ん・だ・ゾ☆」

「こいつ……!」


 燕青は拳を握り締めた。ここまでコケにされては容赦なんてしていられない。


 敵の攻撃は、直線的だった。あの羽衣はどうやら自在には動かせないようで、まっすぐにしか伸びないらしい。だったら動きさえ見切れば、スピードもそれほどないから十分かわせる。


(さあ来い……!)


 次の攻撃に合わせてカウンターで襲いかかるため、燕青は腰を落として待ち構えた。


「ねえねえ、姉様。ひとつ教えて」


 気合いを入れている燕青に対して、凌雲は憎たらしいくらいにのんびりしている。


「何だよ」

「その様子だと、姉様、もしかして本当に何もわかってないの?」

「わかってないどころか、何も憶えてない」

「憶えてない……? 記憶が、無いの……?」

「そうだよ。それがどうし――」


 燕青はギョッとした。


 なぜか凌雲は満面に笑みを浮かべている。楽しくて仕方がない、と言わんばかりの様子で。


「うふふふふ、じゃあ、じゃあ、私の中の姉様は、私だけのものなのね! 姉様本人も無くしてしまった記憶を、私だけが独り占めしてるのね!」

「どういう……こと……?」


 無駄と知りつつも、燕青は尋ねてみる。だが、案の定、答えは返ってこない。凌雲はまたもや自分の胸に手を当てて、恍惚とした表情で「嬉しい……」と呟くのみだ。


「答えろよ」

「やーだ」

「答えろ」

「もぉ。やだ、って言ってるでしょ」

「いいから答えろッ!」


 燕青は駆け出した。攻撃なんて待ってられない。こうなったら力尽くでも聞き出してみせる。


「うふふ、姉様のせっかちさん♪」


 バッと衣を翻し、凌雲は羽衣を撃ち出してきた。半透明の布が燕青の方に向かって飛んでくる。一見ただの布きれでしかないが、あれに巻き付かれたが最後、どうなってしまうかは石灯籠ですでに実証済だ。


「くっ!」


 前へと駆けながらも、身を屈めて、羽衣をかわす。肩をかすめた感触はあったが、何とか避けることに成功した。


 一気に、相手との間合いを詰める。


「っらあ!」


 凌雲の腹部に、拳を叩き込んだ。柔らかな肌にぶつけられた一撃――しかし、当然伝わってくるはずの肉の感触がほとんど無く、代わりに、鋼鉄でも殴ったかのような痛みが拳に走った。


「……っ!?」


 痛む手を押さえながら、間合いを離す。


 なぜか凌雲はケロッとしている。兵士を一撃で倒せるほどの燕青の拳打を喰らったというのに、何事も無かったかのような顔で。


「姉様、ダメだってば。私の体は普通の人間とは違うんだから」

「いまの硬さ……服の下に鎧を……? いや、肌肉の感触はあった……まさか体の中に!?」

「面白いこと教えてあげよっか、姉様。私の体で柔らかいのって」


 と、凌雲は自分の乳房を下から持ち上げ、ユサユサと揺らした。


「おっぱいと、お尻くらいなんだよ」

「な、何揺らしてんだ、バカ!」

「やーん、照れてるー♪ 姉様ってば、かーわいー」

「からかうのもいい加減にしろ! 俺は真面目に――」


 突然、何の前触れもなく、頭痛が襲ってきた。


「あ……ぐ……!」


 こんな時に! と燕青は歯を食い縛り、耐えようとするが、どうにも難しい。膝をついて頭を抱えてしまう。敵の前で隙を見せるわけにいかないのに、痛みが上回っている。


 そして、記憶の欠片が蘇ってきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る