第5話 夜の幻想街路

「それはたぶん、仙姑のリストよ」


 小倩の言葉を聞いても、まだよく理解出来ず、「仙姑?」と燕青は聞き返した。


「仙姑って、さっき『国を滅ぼす』とか言ってた、あの……?」

「待って。誰か来た」


 耳を澄ませると、ドタドタと複数の人間が廊下を歩いてくる音が聞こえる。乱雑な足音から、やって来るのは表にいた連中、討仙隊だとわかる。林冲は食い止められなかったらしい。


「窓から外に出て! 私が何とかごまかしておくから、燕青は先にこの家から離れてて」

「ちょ、待てよ。どこに行けばいいのか――」

「家のすぐ前に運河が走ってるから。それに沿って、ずっと左の方へ行って。どこか安全な所を見つけたら、そこに隠れて待ってて。あとで隙を見て私も行く」


 扉をノックする音がし、兵士の声が聞こえた。


 小倩は目だけで、(早く!)と合図を送ってくる。


 問答をしている余裕はない。とりあえず言うことに従って、燕青は窓を静かに開き、庭に出た。


 音を立てないように移動する。屋敷の方から、声が聞こえる。部屋の中に兵士達が入ってきたのだ。間一髪で見つからずに済んだ。


 木陰を利用し、屋敷の方から見えない位置まで動いてから、塀の上に跳び乗った。


 そして――


「え……?」


 目の前に広がる光景を見て、愕然とした。


 林冲邸は高台に位置しており、塀の上からは、都の様子が遠くまで見渡せる。


 遙か彼方まで連なる町並み。一面に、星をちりばめたかのような夜景が広がっている。


 そのずっと奥――地上と天蓋の間を支えるかのように、天まで伸びる巨大な塔が、夜闇の中に妖しく輝いてそびえ立っている。

 まるで神の領域に侵犯しようとでもしてるかのような、狂気すら感じられる威容――


 ――何だあの塔は、と息を呑む。


 記憶は無くても、自分の見ているものが経験の範疇を超えているものであることはわかる。あんな塔の存在は、燕青の感覚ではありえないものだ。

 まるでこの世ならぬ存在。


 そして、考える。いったい何者が、あの塔の中に住んでいるというのだろうか。


 とりあえず気を取り直して、塀から下りた。


 屋敷の前は緩やかな坂になっており、他の建物も並んでいる中を一気に駆け下りていく。

 移動しているうちに、すぐに運河へ辿り着いた。


「わあ……」


 思わず感嘆のため息をついた。


 運河には煌々と明かりが点され、貨物を載せた船がギシギシと船体を軋ませながら行き交っている。アーチ状の橋の上では、若い男女が運河の方を指差し、楽しげに会話をしているのが見える。夜間であるにもかかわらず、道にはまだ多くの人々が行き交っている。


 賑やかな夜の街の様子に、しばし燕青は見とれていたが、悠長にしている場合ではないことを思い出し、小倩に指示された通り、運河に沿って左へと進んでいった。やがて姿を隠せそうな木陰を見つけたので、そこに身を隠してみた。人通りからは完全に死角になっている。


(何が起きてるんだ……?)


 いま一度巻物を開いてみる。百八の星の名前と、人名が記されているリスト。何度も読み返してみるが、なぜ自分がこんな物を持っているのか、まるでわからない。


 ここに書かれている者達のことを、小倩は「仙姑」と言っていた。


 一方で、林冲邸にやって来た集団は「討仙隊」というらしい。


 これまでの会話等から推理してみると、仙姑という者達と、討仙隊は、どうやら敵対しているようだ。そして小倩は、この魔星録を、仙姑にも討仙隊にも渡さず、処分したいと考えている。どちらかの手に渡っても大変なことになるとのことだ。


 そんな彼女の言葉に従ってここまで来たが、そもそも小倩を信じていいのかわからない。


(あーもう! せめて少しでも思い出せることがあれば……!)


 これまでに戻ってきた記憶は、林冲と同姓同名の男のことだけである。しかも大した内容ではなく、何のヒントにもならない。


(行くか)


 自分のことすら思い出せていないこの状況で、小倩を信用するのも危険かもしれない。彼女を無視して単独行動を取るべきかどうか、迷いつつ、ひとまず木陰から出た。


 道を進もうとして――燕青は足を止めた。


 行く先に、白い人影が立っている。道を歩く人々が、邪魔そうによけて脇を通っていくが、周りは眼中に入っていないのか、相手は微動だにしない。


 服は上下ともに純白を基調とした涼しげな色合い。半透明の薄紅色の羽衣を纏っている。そんな相手の髪の色は、やはり、白――だが、明かりに照らされ艶やかに輝いている様子から、髪質の瑞々しさを感じ取れる。年老いたがゆえの白髪ではない。


 顔を見れば、まだ少女だ。彼女もまた、燕青と同い年くらいか。


「やっと見つけたあ♪」


 明るくはしゃいだ声を出し、少女はゆっくりと歩み寄ってくる。白いスカートから伸びる滑らかな両腿が、街の明かりに照らされて、妖しく光る。


 燕青は身構え、相手との間合いを一定に保つよう、ジリジリと後退する。


 直感的に(こいつは敵だ)と読んでいた。

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