第4話 討仙隊の襲来
次に目を覚ました時には、外は日が落ち、すっかり暗くなっていた。
窓の外には庭園が見える。池の周りには提灯が置かれており、赤い明かりが水面に映り込んでいる。少し身を起こした燕青は、寝台の上から庭を眺めている。だがぼんやりしているわけではなく、頭の中はずっとフル回転している。
(俺は一体……何をしようとしてたんだ……?)
こんなことをしている場合ではなかったはずだ。何か大きな目的のために動いていて、まだそれを果たせていなかったような気がする。
寝台から下りた。まだ体は本調子ではないが、何とか動けるくらいには回復した。
テーブルの上の簪を懐にしまう。そして明かりに火をつけ、室内を調べ回った。
すぐそばにある鏡台を開き、中を見てみた。何もない。別の場所へ移ろうとしたが、ふと、鏡に映った自分の顔を見て動くのを止めた。
(これが俺の顔……?)
自分の容姿についても記憶を失っていた。見慣れないものを見る心地で、鏡面を眺める。
少女そのものだ。目つきは鋭く、表情も引き締まっているが、それは「強そう」に見えるだけ。髪は短く刈り揃えているが、肌は蝋のように白く、顔立ちもやたら整っているため、どう見ても女の子そのものだ。
なのに、これではない、という違和感がある。
(なんか……変なの)
三面鏡の真ん中に頭を突っ込んで、様々な角度から自分の顔を観察してみた。左右の合わせ鏡になっているところに、無限に続く自分の顔が見える。
(まあ、いいや。どうせ自分の顔だからそのうち慣れるだろ。それよりも……)
本格的に巻物を探し始める。気絶する前は、確かに懐にしまっていた。それなのに、起きたら無くなっていた。まさかこの家の誰かが盗んだのだろうか。
「ん……?」
耳を澄ませる。何か言い争っているような声が聞こえた。屋敷の外からだ。様子を見るため、部屋を出た。声のする方に向かって、廊下をどんどん進んでいく。
適当に近くの部屋に入り、窓の隙間から、こっそりと外庭を覗いてみた。
玄関前に、松明を掲げた兵士達が立っている。全員剣や槍で武装しており、物々しい様子だ。さらにその先頭に立っている長髪の男の、異様な雰囲気。全身を黒い服で包んでおり、落ちくぼんだ目で、じっと正面を睨んでいる。
「どうしても、中に入れないと言うのか?」
男は淡々とした口調で、暗く低い声を放った。その喋り方から、燕青は本能的に、(あいつは危険だ)と悟った。人を殺すことに何の躊躇もない人物だとわかる。殺し屋か、それに近い類の人間だろう。そんな奴が、この屋敷に一体何の用だというのだろうか。
「さっきから言っているだろう。彼女はまだ完全には回復していない。後日また来るといい」
林冲の声が聞こえた。燕青の位置からは姿が見えないが、どうやら玄関口に立っているようだ。それに対して、男は少し苛立った様子で返してきた。
「これは一刻を争うことだ、林冲。悠長に待ってなどいられない」
「だったら事情くらい説明しろ、陸謙。お前達と彼女の関係は何だ?」
「機密事項だ。教えるわけにはいかない」
「話にならない。帰ってくれ」
「たかだか槍棒師範風情が、我々に逆らうのか」
「何を言う。誰であろうと、好き勝手に人の家を荒らしていい、などという道理はない。それも、同じ禁軍に所属している私の屋敷を、正式な手続きも無しに調べるだと?」
「貴様……わかっていて言ってるのか? 我々の総隊長は高太尉だぞ。その命を受けての我々の活動を、貴様のようないち槍棒師範が妨害するなど、それこそ道理の通らぬ話だ」
「たとえ誰であろうと法をねじ曲げることは許されぬ。文句があるなら役所へ――」
「巻物を見たのか」
「――え?」
「正直に答えろ。貴様が匿っている燕青は、巻物を持っている。それを、見たのか」
「……何の話だ」
会話は中断され、しばらく沈黙が続いた。張り詰めた空気が流れる。兵士達の持つ、松明の燃える音だけが、静かな空間に微かに響いている。
(巻物……!? あいつら、やっぱりあれを狙ってるのか!)
まるで記憶に無いが、陸謙と呼ばれたあの男は、燕青のことを知っている。そして、理由はわからないが、自分が持っていた巻物を狙っているようだ。
「その巻物とは、何だ?」
「答える義務は無い。また、貴様が知る必要は無い」
「お前達がこうまでして来るということは……やはり『仙姑』に関係するものか?」
「それ以上問えば、貴様を逮捕するぞ」
陸謙は剣を抜いた。それに合わせて、兵士達も剣や槍を構える。
一触即発の様相を見せてきたところで、燕青は窓から離れた。何が何だかまるで事態は理解出来ないが、あの巻物が重要なのは間違いない。やはり早く発見しなければ。
急ぎ足で寝室に戻った燕青は、部屋の中に入った途端、ギョッとして目を見開いた。
小倩が、巻物を手に持って、待ち構えていた。巻物の装飾に見覚えがあるし、表には「魔星録」と書かれている。あれはまさに自分が持っていた物だ。
「ちょっと待ってよ。なんであなたがそれを持ってるの」
「ごめんね、君の服を替えてる時に、黙って盗っちゃった」
小倩は、小さく頭を下げた。そして燕青に近寄ると、真剣な眼差しで見つめながら、
「お願いがあるの」
と迫ってきた。
「な、なんだよ」
二人きりの室内で、同じ女の子とはいえ、正面から顔が触れそうなほどに接近され、内心ドギマギしながらも燕青は何食わぬ顔で聞き返す。
「燕青が持っていたこの巻物、捨てたいの。手伝って」
「は!? 捨てる!?」
燕青は一瞬、頭の中が真っ白になった。勝手に人の持ち物を拝借しておいて、この少女はいきなり何を言い出すのか。そもそも捨てるなんてことに、手伝うも何もないはずだ。
「適当にそこら辺に放ればいいし、火をつければ燃やせるだろ。どうして俺に頼むんだよ」
「もちろん燃やそうとした。だけど燃やせなかった」
「燃やそうとした!? それは俺の物だぞ! なんで断りもしないで――」
「だって、燕青が討仙隊の人かもしれなかったんだもの! もしそうだったら気付かれる前に焼くしかないって思ったから、そうしたの!」
「はあ!? それで何でいまは助けを求めてきてんだよ!?」
「君を追って、討仙隊が来たから。あの様子だと、あいつらの仲間じゃないってわかるもの」
小倩は玄関のある方角を指差す。その仕草で、先ほど林冲と押し問答をしていた陸謙という男が、その「討仙隊」という集団の一員なのだとわかった。
「ちゃんと順を追って説明してくれって。討仙隊って何なんだよ? その巻物は?」
「細かいことはわからないわ。でも、私、この巻物の中を見てるから、理由だけはわかる。この巻物をどちらかが手に入れた時――バランスが崩れてしまうの」
「『バランス』……?」
燕青は顔をしかめた。耳慣れない言語だ。
「外来語はわからない? 要は、『均衡』ってこと。この巻物には、仙姑と討仙隊の膠着状態を一気に崩してしまう、爆弾のような内容が書かれているの」
「待って――仙――なんだって?」
「仙姑。この国を滅ぼすと言われている存在」
矢継ぎ早に、新しい単語が出てきて、燕青はすっかり混乱していた。何ひとつ思い出せていないこの状況で、相手の話す内容は、憶えきれる許容範囲を軽く超えている。
困り顔の燕青を見て、小倩はかぶりを振りながらため息をついた。
「わかったわ。ごめん。全く何もわからないのね。だったら説明は後にしよ」
「後に……って?」
「いまはこの家から出ないと。討仙隊が来ちゃってるから」
「わかったから、いい加減、その巻物を返せよ。俺が持ってた物なんだから――」
手を伸ばそうとすると、小倩は巻物を自分の胸に抱き寄せて、一歩身を引いた。
「返してあげてもいいけど、約束して」
「何を」
「絶対に、誰にも渡さないこと。何があっても」
「わかったよ、約束する。だから早くこっちに――」
「中を見せるのも禁止。いい?」
「うるさいなあ。肌身離さず持ってろ、ってことだろ。言われるまでもないよ」
「じゃあ、返すね」
小倩は巻物を渡してきた。受け取った燕青は、さっそく開いて、中身を確認する。
何かのリストのようだ。
中には、順位とともに、星の名前が羅列してある。右から始まって、「第一位 天魁星」「第二位 天罡星」……真ん中の字だけ異なっており、後は必ず「天○星」となっている。
それぞれの星の名前の下には、通り名らしきものと、人名が記載されている。「天魁星」の下には「及時雨 宋江」、「天罡星」の下には「玉麒麟 盧俊義」、といった具合に。
そして、六番目に――「豹子頭 林冲」の名が記されている。「天雄星」という星の下だ。
(一体、何の一覧だ……?)
頭から、一人一人名前を追っていく。しかし林冲以外わかる者はいない。
が、「天○星」がいくつか続いて、途中から「第三七位 地魁星」「第三八位 地煞星」……と「地○星」の法則に変化するあたりに差しかかったところで、燕青は目を見開いた。
第三六位 天巧星 浪子 燕青
(俺の名前――!?)
自分の名前が記されていることに驚いた。ということは、ここに載っている他の人々は、自分と何かしらの関わりがある人達だというのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます