第2話 牛丼染みる早朝

 「これにて決着ですね、双方お疲れ様でした」


 工藤さんが言う。


 「そういうことなので、ありがとうございました康太さん」


 少し後ろに下がりながら立ち、鞘に刀を収める。


 「康太さん…?」


 相手はまだ、刀を同じ場所に据えたまま固まっている。突きの姿勢だ。


 …


 本当に一言も発さない…。沈黙の間が流れる。


 こちらも、おいそれと動けない…。なんというか、物音ひとつしない中、自分からその空間を壊すことが憚られるような…そんな気がするようなしないような。


 時が止まった…?


 「あの…康太さん!」


 工藤さんが、少しだけ声量を上げて呼びかける。康太さんはびくりとしたと思うと、そのまま全身から力が抜けてへたり込みはじめた。


 …ぉぉぉおおおぉ…


 そんな様な、言葉なのか、それとも空気の音なのかよくわからないものを発しながら、力なくヘロヘロと重力に従っていく。


 そうか…初めての真剣勝負、緊張は相当の物だ。それが、一気に解けて力が入らなくなったのだろう。


 「康太さん…大丈夫ですか?」


 工藤さんが困ったような感じで呼びかける。


 そうか…。


 手早く、刀を刀袋にしまい、膝を付いている袴の男性へ早歩きで寄り、同じ目線になるようにしゃがむ。


 「これから、牛丼食べに行きませんか?」


 ~


 牛丼屋は意外と近くにあった。そこから歩いて3、40分程度って感じだっただろうか。取り敢えず、チェーン店の牛丼屋へ入る。流石にこの時間は誰一人として他の客は来てない様だ。


 「康太さん、何にしますか?ついでに買っちゃうので」


 「え…え…あっ…え~っと………あ~…」


 「同じのでいいですか?」


 「あ、はい…」


 刀袋から財布を取り出し3000円入れた。


 押すのは勿論、かつおぶしオクラ牛丼のメガ盛り、そしてトッピングに温玉と康太さん用にビール。あと炭火チキン。


 「お願いします」


 店員に二人分の食券を渡してテーブル席に向かい合って座る。


 「…」


 康太さんはさっきから、心ここにあらずという感じで反応が悪い。さっきの勝負をまだ引きずってるのだろう。


 「康太さん…って、普段は何されてるんですか?」


 取り敢えず、口火を切る。話題は正直思い浮かばなかったので、まずは相手のことを知ろうと思ったのだ。


 牛丼屋の明かりが見えるようにしてくれたその顔はオールバックで眉の太い、なんというか意思の強そうなものだ。凄腕営業マン…?みたいな感じだ。


 「…小学校の……きょ…教師を」


 「先生ですか!」


 正直、あまり思い浮かばなかった。顔立ちからして小学校にはいなそうだもん。小学校の教師ってもっと…相手が相手だから優しそうな顔立ちの人がなるものだと思ってた…わかんないけど…。


 それにしても、意外だ。先生なんてしてる人間がどうして、殺し殺される世界に興味を持つとは…。


 「どうして、修羅之会に入ったんですか?」


 質問攻めみたいになってるが、仕方ない。これは正直戦った相手としては最も聞いておきたいことだろう。


 「…」


 沈黙…。なんだろう…言いたくないのかな…?いや、一生懸命言葉を練っているのだろう。その眼は確かに、こちらの鼻辺りをとらえている。ぼぉっとして、焦点は合わないが合わないなりにこちらの顔を見てコミュニケーションをなんとかしようと口をもごもごしている。


 「もともと…剣道をやっていて…ずっとやっていたんですが…剣道は極めるのに時間がかかるのですが…それだけじゃなくて段位を取るのに…あの…凄いそれぞれの段位習得までに間をあけなくちゃいけないので…えぇ…」


 …?


 「つまり、剣道だと極めるのに時間がかかるから、それよりも早く極められる真剣勝負の道に入りたかったってことですか?」


 「いえ…え~…それもそうなのですが、竹刀で相手を叩いて叩いて、いつのまにか周りに自分に勝てる人がいなくなってしまった時に、竹刀では無くて…え~、なんていうか、”本番”をしたい気持ちになったのです」


 「つまり、剣道は…あくまで”本番”の練習に過ぎなかったってことですね?」


 「まぁ…そういうこと…ですかね……歴史があって、格式高いスポーツだろうと剣は剣、いくらきれいに取り繕うと、剣の本来の目的は何かを傷つける事でしかないでしょう…ならいくら剣道を極めようと、本当の極致にはたどり着けない訳で、その上あくまで”剣道”の道を究めようとすると時間がかかってかかってしょうがない、だから本当の武の極致を目指したく思って」


 「はぁ…」


 武の極致……とにかく強くなりたかったという事だろう。そして、それが竹刀では物足りなかった。本当に「剣」を試したかった。そういうことだろう。正直分からない…。他の道があるならそっちにいっただろうに。


 「…」


 「お待たせいたしました、ご注文の牛丼と…トッピング、お飲み物でございます、ごゆっくり」


 目の前に、牛丼達が並ぶ。夜中もやっててよかった。この時間の牛丼ほどおいしいものは無い。


 「あ、ビールはどうぞ」


 ビールは1瓶だけなので、遠慮されるだろうから、先に勧めておく。


 「食べきれなかったら言ってくださいね~、食べちゃうんで」


 返事は帰ってこない。何かを考えながらも、箸を持ち、丼を持ち始めた。


 「じゃあ、いただきます」


 こちらも、同じように箸を持ち、温玉を牛丼に載せ、割ってから、黄身のしみ込んだ牛肉を口に入れる。


 咀嚼する。


 ………うむ…。やっぱり、牛丼は美味しい。


 康太さんはちゃんと食べているか…?うん…一応、口に入れてもそもそとはしている。しているが、あまり箸は進んでいないようだ。目線はずっと、牛丼に向けられている。まだ、何か考えているのだろう。


「あの…許さんは、なぜ剣を?」


 牛丼をもてあそぶ康太さんがこちらを向き直る。改まった様子か。


 「あぁ…ちょっと話すと長くなるので…端的に言うと、それ以外の道を閉ざしてしまった…そんな感じですね」


 有線の音楽が響く。ゆるいギターの音か。

 

 「道を閉ざした…許さんおいくつですか?」


 「えっと…20?ぐらいです…」


 「20…」


 この人、いちいち黙り込むな…。もしかして、嫌われたか…?


 「20…20……」


 20とつぶやいている…。一体どんな感情だ…。


 「20歳であの剣…貴方……真剣勝負はどれくらいしてらしゃるんですか?」


 「えっと…勝負自体は……まぁ、あって週1とかですね…」


 「いつ頃からですか?」


 「うーん…4,5年前ぐらい…?」


 康太さんが箸を置き、こちらの目を丸くしてこちらを見る。


 「なるほど…」


 …康太さんは暫く口を半開きにしこちらを見た後、眉間にしわを寄せ、少しうつむく。


 また、静寂…。正直、静寂は苦手だ。


 「康太さん、さっきの剣、凄かったですね、あれ初めての真剣勝負だったんですよね?」


 「はい…」


 「あの迷いの無い剣さばき、とても初めてとは思えなかったですよ!凄い強かったです!」


 そう、この人は初めての真剣勝負で最初からこちらを殺すことを狙った。殺人とは普段ではタブー視されてると奏さんが言ってた。その、日常との境界をやすやすと超えることは難しい。その為、戦いにおいて覚悟を決めれる人間はそうそういない。


 「最後のあれは…」


 あれ?


 「あの最後の動きはなんだったんですか?あれはそういう型があったんでしょうか?」


 あれ…あれか。あの最後の、体重を落として、倒れこみながら切りつけるやつ。あれは型が無いと言えばウソになる。実際ああいう感じのものをこの目で見た。だが、あれは決まった型なのか…?


 「型かどうかは分からないんですけど…私の剣を教えてくれた人がやっていたので、自然と私も身に付いた感じです…まぁ、あんまり使う機会無いんですけどね」


 正直、あれはリスクのほうが大きい。相手が本格的に打ち込んでいなければ…もし、相手がその時点で動きを止め体を下げたら…こちらはその時点で明らかに、改めて体勢を直しながら構える動作を必要とする。だから隙を生む。


 まぁ、多分、いざって時の賭けだな。


 「あれが…技…ですか…」


 康太さんの牛丼は半分ぐらい減ってる。こっちはもう殆ど食べ終わってる。美味しかった。豚汁で口の中を潤す…。


 康太さんがビールを手に取り一気に飲み干した。


 …えぇ?急にどうしたんだ…?


 そして、牛丼を一気に口にかきこむ。先ほどとはまるで別人のようだ。


 「康太さん…?」


 そのまま牛丼を食べきり、こちらをじっと見つめた後に、アハハと笑った。


 「…あ~、なるほどですね~、ちょっと怒ってたのが馬鹿みたいです…アハハハハ」


 何の話だ…?


 「怒ってた…?」


 「はい…手前勝手な話なんですけども、あの最後の剣技が認められなかったのと、自分より一回り年下な相手に挑発されて…それでまんまと負けたのが恥ずかしくて…自分におこってたんですよ」


 「はぁ…」


 なるほど…だから、無口だったんだ…。怒ってた…?不機嫌だったんだ…。牛丼屋に連れてこないほうが本人にとって良かったのかな…。でも、今はちょっと楽しそう…?


 「でも…やっとわかりました…なるほど…この世界は私の想像を超えていた、私は剣に人生をかけてきたつもりでしたがそれでも足りなかった、いや世界が違ったんです…こりゃあ勝てない勝てない…悩んでても、怒っててもしょうがないってやっとわかりました!」


 康太さんの顔に初めて笑顔を見た。そっか…気が楽になったのか。自分の中でやっと決着がついたのか。


 「完敗です…完敗ですよ、本当に…」


 この人…強いな。


 「でも、貴方が強かったのは確かですよ、精神的にも技術的にも」


 そうこの人はやっぱり強いのだ。太刀筋は良かった。決して剣が弱かったわけでは無い。何年も鍛え続けた太刀筋は確かに見えた。俺に負けたのはたぶん、命がかかった勝負が初めてだったからに過ぎない。


 そして、この切り替え…強いなぁ本当に。


 箸を置き、康太さんに向けて手を差し出す。


 「じゃあ、改めて自己紹介しますね!私は許、許です!」


 手が握られた。


 「はい、私は佐々木 康太です」


 「佐々木さん、じゃあこれからもよろしくね!」


 


 

 


 


 


 


 


 


 

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