第3話

 ゆらゆら電車に揺られながら向かう学校は少しだけ憂鬱で、バイトのための早起きが災いして睡眠を引き寄せてくる。残念ながら僕の降りる駅は終点ではないので寝ることはできない。なので気休め程度に目を瞑った。

 そうして到着した大学は、いつも通り閑散とも騒がしいとも言えない雰囲気を醸し出す。一限目なこともあって人は少ないが、僕とは違い活気には溢れ、あちこちで談笑する声が上がっていた。ちなみに僕はと言えば談笑する相手なんて一人もおらず、イヤホンで耳を塞いで教室へ向かう。

 その途中。僕は思いがけないものを見た。気のせいか、いやきっと見間違いではない。いつも見るブロンズ色の髪に、赤い眼鏡を掛けたいつもの彼女。今朝見たばかりだから見間違うはずはない。

 紛れもなく、いつも会うあの彼女が目の前にいた。

 何かを考えるよりも先に今朝のことを謝らないと、そう駆け出そうとしたとこで僕は足を止めた。彼女の隣に、男の人が立っていたから。友達だろうか、彼氏だろうか。彼氏……

 僕と彼女はあくまでもお客さんとただのアルバイトの関係なのに、僕は何を期待していたのだろう。境遇が似ているから、いつも会っていたから何か勘違いしたんだろうか。名前さえ知らない彼女を、少しだけ特別な存在にしていた。

 無意識に止めた呼吸を吐きながら、胸の中にある重いものを吐き出した。少しは落ち着いた、と思う。だがもう一度彼女を見るのが怖くて、視線を下に向けた。

 胸に妙な引っ掛かりを覚え喪失感に支配される頭を払拭するように、教室とは反対方向に歩いた。



 自動販売機で買ったコーヒーを飲みながら落ち着きを取り戻した僕は、とっくに時間の過ぎた講義へと向かう。今まで遠隔で、今回から対面になった講義だから、講義の形態変化についてとか、再度講義の見直しなどで済むはずだ。それに、遅刻と言ってもほんの数十分だけ。


 講義室の扉を開け中に入ると真っ先に目に止まったのは――――彼女だった。そしてもちろんその隣には男の人が。誰も座りたがらない真ん前の席を二人で陣取っていた。


 不意に止まった足を再度動かして、いつも講義で座っていた席につく。偶然にも彼女の後ろの席だ。彼女もこの講義を受講していた。当然にさっきの男の子も彼女の隣に座っていた。

 彼女に向く視線のせいで講義に集中できない。


「おーい、そこ。聞いてるか?」

「……あ、はい。聞いてます」


 最悪だ。大学の講義で注意を目撃したことはあったがまさか自分がされるとは。

特に笑われたわけでも、見られた訳でもないのに周りからの視線が痛いように思えた。そして、彼女も――――目が合った。

 彼女は、少しだけ驚いた顔を向け、嘲笑とは違う柔らかい微笑みを浮かべていた。

その顔にドキッとした。もしかして、覚えられてる? でも彼女にはあの子が………


『聴覚障害者 代行』


 とよく見ると男の子の席にそう書いてあった。

 それで察した。最初から僕の早とちりだと。彼女と彼の関係は、僕と大差のないものだ、と思いたい。

 多分だが聴覚障害の彼女に代わってノートをとるバイトがこの大学にあって、彼はその支援者なのだろう。完全に僕の勘違いだ。でも万が一、二人がそういう関係ということも。

 としばらく二人を見たが向かい合うことも、文字を見せ合うこともなくて、その線は薄いように思えた。

 じゃあやっぱり僕の勘違い…… 一気に頬が熱くなって思わず顔を伏せた。けど少しだけ嬉しい。それと同時にある考えが頭に浮かんだ。こんな不純な動機でいいんだろうか、でもやらない善よりやる偽善だという言葉があるように、何を思おうがすることが彼女のためならそれでいい。それに、彼女を支えたいと思ってるのは本音だし見返りも求めない。もちろん義理はないけど。


 講義終了後、真っ先に教務課に向かった僕は聴覚障害者の代行のバイト申請を申し出た。



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