第4話

 仕事内容は概ね想像していたもののようだ。聴覚障碍者の子の隣についてパソコンでノートと講師の話のメモ。とにかく文字で伝えればいい。

 そこまで難しいのものではないけど、僕の理解ではなくあくまで彼女のための理解であって、僕が分かっても彼女が分からなければ意味がない。申込用紙にも書いてあるように障害者に寄り添うバイトなのだ。講義は彼女の意見をよく聞きながら講師の言葉を伝えていかなければならない。


「また違うバイトするの?」


 風呂上りに机に置きっぱなしになっていた申込み用紙を手に持った母が言った。


「うん。でもやめるわけじゃないよ。大学の開いてる時間にできるバイト」

「ふ~ん……」


 ぎゅっと用紙を凝視する母。

 少しだけ不安になったけど、顔を上げた母親の顔を見てその不安は吹っ飛んでいく。


「まあ。あんたに向いてるんじゃない。でもしんどかったら言いなさいよ?」

「わかった。ありがと」

「あんたの人生だし、いっぱい経験しないとね。私が口出す理由なんてどこにもないし。あんたは精一杯生きればいいのよ。他なんて気にしないで」


 ずっと僕を見てきた母だからこその言葉なんだろう。何回も人生に絶望して、失敗して思い知らされてきた僕を見てきた母だから。

 やっぱり僕の母親なんだ、そんな当たり前なことに気づいて嬉しくなった。


「でも、あんたが人のためにね~……好きな人でもできたの?」

「え?! なんで?」


 母親の勘というものは案外バカにできないらしい。図星を突かれた僕は反応が大げさになってしまって慌てて繕った。


「いや、違うよ。ただ大学でバイト出来ればと思っただけだし、あんまり深い意味は」

「わかりやすいわね」

「ほんとに違うって」


 まだそれがそういう感情だとは限らないし、彼女のことをまだよく知らない。


「誰が好きとか、口出ししないけどね」


 とからかったように覗き込んでくる。僕は呆れたため息を出した。少しだけ母の頬が緩んでいるように見えたのはきっと気のせいではないだろう。


「……好きじゃなくて、でも支えたい人がいるのはほんと」

「そう。……それを好きって言うんだけどね」


と母が最後に何か言っていたがなんて言ったのかはわからない。


「なんて?」

「なんでもない。さっ、ご飯食べなさい」


長く話したせいで湯気が収まったシチューを皿に盛りつけ机に置く母に習い僕もそれを机に並べた。

いつも食べてる夕食が、いつもより浮ついた感じになったのは気のせいだろうか。


 次の日僕は記入した申込用紙を提出し、支援する人の名前と時間割を教えてもらった。


柊琴音ひいいらぎことね


 それが彼女の名前だった。


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