第六章 星屑になる少女たち⑪

(私が全力を出すとこんなことになるのか)


 偽りの月に張り巡らされた不可視シールドを押し上げながら、アッカーソンはそんなことを思った。肉体を犠牲に核融合を続けたために、彼女の身体の半分以上は金属の粉末へと変貌を遂げて宇宙空間へと霧散していた。いかに特異体質を有する彼女であっても、そのような状態でまだ生きていることは奇跡――いや、意地であると言っても良かった。


 しかし、それも終わりが近づいていた。


 偽りの月の落下速度が徐々に低下していて、じきに完全停止する。

 そうなればあとは残された推進装置の力だけで元の衛星位置まで押し返せるだろう。


 薄れゆく意識のなかで、アッカーソンは旧友のことを想い返す。


(……ローウェル。悪いが、この勝負は引き分けにさせてもらう)


 ふっ、と彼女は最期に笑みを浮かべた。


(この勝負の続きはあの世でつけよう。昔のいざこざは全て忘れて、楽しく、全力で。ふふっ、こんな感情になるとは思わなかったな。ああ、楽しみだ)


 そして、人類を守りつづけた灼熱の英雄の身体は金属の粉へと変貌した。


 どこまでも広がるこの宇宙へと、彼女の身体は流れて散っていく。

 星屑のように、さらさらと。


 ***


『鈴蘭ちゃん、聞こえるかい?』


 その声はニーナ博士からのものだった。湿っぽい声で彼女が告げる。


『こっそり隠してた最後の通信回線を使って連絡してるにぇ。すぐにこの通信も遮断されちゃうだろうから、手短に。――偽りの月は先ほど落下を停止した。今は、元々あった軌道位置へと戻ろうとしている。ムーンフォール計画は失敗に終わったよ』

「そんな、嘘……」

『UDHはムーンフォール計画を断念して、隠蔽及び逃走フェーズへと移行することを決定したよ。帰っておいで、鈴蘭ちゃん。ここからは逃げるのが仕事だにぇ』

「そんなの……っ、できません! だって、まだ、師匠の復讐が!」

『鈴蘭ちゃんっっ! ローウェルが何て言っていたか忘れたの!?』


 ああそうだ、と思い出す。彼女はこう言っていた。


『たった数か月訓練しただけの一般人に、スペースガールズどもは倒せない。もし正々堂々戦うしかなくなったら、逃げて生き延びろ。そして次のチャンスを見計らえ』


 鈴蘭も理解していた。


 逃げるのが正解だ。勝ち目はない。

 戦ったところで全て無駄に終わる。


「…………ッ、それでも、あたしは」


 ギリリリと奥歯を噛みしめて、彼女は小羽根を睨みつけた。


「せめて、こいつだけはッ!」


 一気に小羽根へと接近して刀を振るう。

 小羽根はそれを避けながら叫んだ。


「やめて! もう終わったんだよ、これ以上戦う必要なんて」

「うるさいッ、戦え! お前だって、あたしが憎いでしょ!」

「憎いよ、そりゃあ! どうしてこんなひどいことするのって気持ちでいっぱいだよ! 鈴蘭ちゃんたちがいなかったら、アッカーソンさんは死ななかった。みんなだって傷つかなかった。憎いよ、本当は、殺したいぐらいに……! でも、どこかでやめなきゃ。いつまでも復讐してたらきりがないよ!」


 武器を構えた二人は、互いに超高速で急転直下しながら互いに攻撃を交わし合う。


「思えば、ずっとあたしはお前が嫌いだった。一〇年前、月から帰還するロケットで出会った頃から! お前は誰よりも泣き虫だった癖に、夢だけはしっかり持っていて憎かった。あたしはあのとき、両親と一緒にパンケーキを食べたいとしか考えてなかったのに!」


 激しい怒りを持って振るわれた鈴蘭の刀が小羽根に差し迫る。


「地球に帰還した後、お前はアッカーソンに引き取られてぬくぬくと育って、スペースガールズになる夢を叶えた。あたしは誰にも引き取られなかった。頼れる人もいないまま、ずっと一人で汚い工場で働いて食いつないできた! ようやくノノと出会って夢を叶えた矢先、お前たちはあたしから全てを奪ったッ!」

「っ、わたしだって努力してきた。夢を叶えたかったから! 鈴蘭ちゃんなら分かるでしょ!? 誰かを失うことは悲しいんだよ! わたしは、わたしや鈴蘭ちゃんみたいに家族を失って悲しむ人が現れないように、強くなりたかった!」


 鈴蘭の刀が、小羽根によって押し返される。


「わたしたちは間違ったんだよ! 二人とも、同じ傷を負った仲間だったはずなのに。間違ってこんなことになってしまった。だから、やめないと! こんな戦い続けても意味ないよっ! 今からでもやり直して、みんなが幸せになれる道を歩みだそうよ、鈴蘭ちゃん!」


 互いに武器を交えながら二人は乱降下し、地表に激突する寸前まで戦い続ける。

 顔を歪めながら、鈴蘭は吐き捨てるように告げる。


「おまえたちにあたしたちの気持ちは分からないよ。醜く足掻いてることも、もう戦っても何もないことも知ってる。それでもあたしたちは誰かを憎まなきゃ生きていけない。戦え、朝日小羽根ッ! さもないと、お前の大切な仲間を全員殺す!」

「っ、この、わからずやっ! そんなことはさせない! 守って見せる、みんなを。そして鈴蘭ちゃん、あなたも――救ってみせる!」


 そして彼女たちは互いを見据えて、全身全霊で武器を振るう。


「抜刀――『空花乱墜 二花・芍薬』ッ!」

「継承――『瞬間移動』っ!」


 誰にも見えず、全てを斬り落とす刀が小羽根へと迫る。小羽根はシャネルの能力によって一瞬で姿を消す。再度現れた彼女が槍を振るおうとし、鈴蘭は返す刀で――。


「うおおおおおおおおおおおおおっっっ!」

「やあああああああああああああっっっ!」


 そして、ようやく決着がついた。


 鈴蘭の刀は小羽根には当たらなかった。


 連戦によって疲労しきっていた鈴蘭の腕は、彼女が望むほどのパフォーマンスを発揮してはくれず、幼児でも見切れる速度でしか動いてはくれなかった。渾身の――けれど決して届かぬ無情な一太刀を小羽根は易々と避けて、代わりに灼熱に燃えさかる左腕を鈴蘭のスペースフレームの装甲へと突き刺した。


〝KAGUYA〟の白く美しい装甲が溶解して、金属翼がその機能を消失する。


 鈴蘭の身体にかかる重圧が消え去った。フロートウィングが発生させていた推進力が失われたのだ。もう自らの意思で飛ぶことはできない。周囲の力によってただ流されるだけの存在になる。


(……ああ、結局、あたしは届かなかった)


 脱力した状態で、鈴蘭は小羽根の横顔をちらりと伺う。


(ずるいよ。どうして前を向けるの? どうして、前を向いた人たちは夢を叶えていくの。あたしたちは諦めたのに。諦めて、心を削って生きてきたのに。耐え忍んできたのに。少しの復讐すら許されないの?)


 目尻に涙が浮かびかけたとき、彼女の身体を支えるものがあった。七本の細長い触手が絡み合って、鈴蘭の身体をハンモックのように包み込んでくれた。


「スズラン!」


 背中から羽を生やしたノノが空中を高速飛行する。そして彼女は鈴蘭と小羽根の間に挟まる形で滞空し、触手で包み込んだ鈴蘭の顔を覗き込んだ。


「良かっタ、間に合った。大丈夫だった、スズラン?」

「……ノノ」


 自身を救ってくれた最愛の家族の名を呼ぶと、鈴蘭は触手で形作られたゆりかごの内で身を起こした。そして彼女は視線をノノから逸らして、再び刀に手をかけた。


「ちょうど良かった。協力して、一緒にコイツを」


 目の前にいる朝日小羽根の姿を捉えながら、鈴蘭は笑う。


 そうだ、まだノノがいる。まだ朝日小羽根を殺すチャンスはある。――そう判断した鈴蘭であったが、彼女のその想いは儚く小さい声によって否定された。


「もう終わりにしよう、スズラン。……これ以上戦ってもみんな悲しいだけなの」

「何を言ってるの? こいつらはノノを半殺しにして、あたしを焼いて、師匠を殺したんだよ? そんな奴らを見逃すなんてできない。こいつらに復讐しないと――」

「っ……!」


 目尻に涙を浮かべたノノによって、鈴蘭の頬が思いっきり叩かれた。


 ――鈴蘭には、何が起こったか理解できない。


 今までずっとノノは鈴蘭を守ってくれた。危害を加えられたことなんて一度もない。


 じんわりとした痛みが広がっていく頬を抑えて、鈴蘭は瞳を白黒させながら最愛の家族を見つめる。ノノは泣いていた。両目の端からボロボロと涙をこぼして、嗚咽しながら白き少女は想いの丈を吐き出す。


「ニンゲンを殺すのはダメって、教えてくれたのはスズランなのっ! 誰かの大切な人を奪うのは良くないって、スズランが言っていたのに! ……帰ってきて、スズラン。ノノは、あの頃の優しいスズランが好きなの」


 これほどまでに感情を露わにして泣き叫ぶ彼女の姿を見るのは、鈴蘭にとって初めてのことだった。愛おしい家族が慟哭する姿に、鈴蘭の心が大きく揺れる。


 乾いた喉を動かして、鈴蘭は言葉を絞り出す。


「それでも、あたしは」

「ここでコイツらを殺したらきっと引き返せない。あの頃に戻れない! 二人で幸せになれナイの! もう、過ちは繰り返したくナイ。ノノはただ、スズランと楽しい日々を過ごしたいだけなの……」


 その言葉を受けて、鈴蘭は息を呑んだ。


 彼女が思い出したのは男たちを惨殺したときのこと。

 あの日から二人の生活は大きく変わってしまった。


 きっとここで小羽根たちを殺せば、また鈴蘭とノノの関係は変わってしまう。


 せっかく再会できたのに、あの日の楽しい日常に戻れなくなる。


「そうだ。そうだった、ね。あたしがこんなにも復讐心に駆られたのは、ノノを奪われたから。ノノと一緒に過ごす日々が失われたから。それを今、私は自ら――」


 数えきれないほどの星々が輝く夜空を見上げて、彼女は考える。


 ノノ、師匠、ニーナ博士。朝日小羽根、アレクシス・アッカーソン、他のスペースガールズたち。これまでとこれから。最期に見た両親の表情、あの日食べたパンケーキ。ノノと過ごした夢のような日々、彼女と交わした約束――。


 最後に鈴蘭の脳裏をよぎったのは、ローウェルの言葉だった。


『オマエは生き延びろ。オマエにはまだ生きる理由があるはずだから』


 鈴蘭は顔を上げて、泣きじゃくるノノの両手をぎゅっと握りしめた。


「……そうだね」


 そして彼女は告げる。


 ひどく遠回りをしてしまった。本当はこの一言が言いたかっただけなのに。


 多くの運命と因果に翻弄されて、自分を見失って、望んでいた物を手放して、悲しみに暮れて絶望に打ちひしがれて、復讐に駆られ、憎悪に身を焦がし、だけどようやく思い出した。


 一体、何を求めていたのか。


 だから告げる。それを手に入れるための、たった一言を。


「――帰ろっか、ノノ」

「うん、帰ろう、スズランっ!」


 鈴蘭の身体にノノが抱き着いた。

 これでもかと喜びを表現するノノの姿に、鈴蘭は懐かしさを感じて少しだけ微笑んだ。そして、あぁ続けばいいなと彼女は思った。


 この温かな感情がずっとずっとこの先も続けばいい。


 きっとこれからも困難は訪れるだろう。

 でも、それを打ち払うだけの強さは身に着けた。


 もう何者かに奔流されるだけの存在じゃない。


(ノノと一緒ならどこまでも飛んでいける。この世界は宇宙と似ていて真っ暗で、すぐに方向感すら見失うけれど、私たちの周囲には無数の光がある。たとえ何光年かかっても、その光を頼りに歩むことができれば――いつかは星にたどり着く)


 ――だからあたしは、この温かな感情を頼りにこれからもノノと一緒に歩んでいく。


 ふと視線を感じて、鈴蘭はノノを抱きしめたまま少しだけ顔を動かした。


 朝日小羽根がこちらを見つめていた。口元を真一文字に結んで、眉根を寄せて、だけど頬はどこか穏やかで、瞳には悲しさが溢れていて。


 しばらくの間、二人は黙ったまま互いを見つめ合う。


 怨嗟とも、親愛とも、郷愁とも言えぬ、複雑な感情が二人の間を巡る。


「……お前を完全に許したわけじゃない。いつかまた戦いにくるから」

「うん、待ってる。戦おう。お互いの気が晴れるまで」


 そして鈴蘭と小羽根は互いに顔を逸らすと、各々、戻るべき場所へと向かうことにした。


 小羽根は、シャネルをはじめとした仲間たちのもとへ。

 鈴蘭は、ノノとともに穏やかな生活を送れる場所へ。

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