第六章 星屑になる少女たち⑧


『アッカーソンさんは夢を叶えるために、今も戦い続けているんですか?』


 アッカーソンは薄れゆく意識のなかで、かつて純真無垢な瞳とともに小羽根から向けられた質問を思い出していた。


(……果たしてその問いに、私は何と答えたのだったか)


 昔は、ただひたすらに真っ直ぐな想いで努力し戦い続けていた。きっとそれが人類と仲間たちのためになると信じて。


 しかし戦って、戦って、戦い続けて。

 多くの仲間を失い、恨みを買って、未だ月の奪還すら叶わない。


 人々から向けられる期待は膨らみ続けているのにそれに応えられず、挙句の果てにかつての友の復讐によって、今、人類防衛の要である偽りの月を失おうとしている。


(戦い続けた結果がこれだ。私は結局、多くを失っただけで何も得られなかった)


 徐々に手足の先から力が抜けていく。


(私だって人間だ。心が折れることもあるし、諦めたくなることもあるさ。もういいだろう、私は十分に戦った。これ以上、傷つきたくない。早く彼らのもとにいって、昔のように馬鹿な話をして、喧嘩して、遊んで、楽しく。だから、もう)


 瞼が重みを増していく。霞がかった意識も吹き去ろうとしている。

 わずかに揺れる命の灯火が消えようとしている。


 全てを諦めて命を終えようとしたそのとき、彼女の耳に何者かの声が届いた。


「うああああああああああっ! やめて、これ以上は、わたしが相手になる!」


 衝突音、誰かが倒れる音、悲鳴。金属音、地面を踏む音、荒い呼吸。


 そして、決意に満ちた声。


「守るって決めたんだ! みんなを守れるようになるって。アッカーソンさんに救ってもらったあの日、わたしはアッカーソンさんみたいに強くなってみんなを守るって決めたんだっ!」


 薄く瞼を開ける。

 そこにいたのは満身創痍の状態で、ボロボロになりながらも立ち上がって鈴蘭とレベルⅢの二人に立ち向かおうとしている小羽根の姿だった。


(……小羽根)


 アッカーソンの脳裏に、かつて彼女を拾ったあの日の光景が蘇る。


 ***


『オマエなら救えるだろうが。オレたちの中で、最強と称されるオマエがいれば!』

『買い被りすぎだ。このエリアⅩもじきに夜が明けて、BIOSが雪崩れ込んでくる。それと対峙しながらエリアⅪの人々を救うことはできない』


 月の悲劇によって壊滅的なダメージを受けた月面エリアⅩにおいて、若かりし頃のローウェルとアッカーソンはそのような問答を交わした。


『知ってるだろ? アイツはオレにとっての希望なんだ。だから、どうか……!』


 満身創痍で、縋るように懇願する彼女へとアッカーソンは告げた。


『例え君に恨まれるとしても、私の決断は変わらない』


 戦略的決断が必要だった。

 冷酷とも言える判断が必要だった。


 イルミナとエリアⅪの人々を見捨てて、エリアⅩの人々を救う。


 この考えが間違いだったとはアッカーソンは今も思っていない。しかし、彼女とて人の子だった。後ろめたさがなかったわけではない。


 だからその問答の後、エリアⅩの人々を救助船に収容したアッカーソンは、救助船の艦長へと一つの決断を告げた。


『私はエリアⅪへ行く。一時間――いや、三〇分でいい、地球への帰還を待ってくれ。まだ私たちの助けを待っている者がいないか探してくる』


 艦長からの返答すら聞かずに、彼女はスペースフレームを飛翔させてエリアⅪへと向かった。


(どうか誰か生き残っていてくれ。イルミナ、どうかまだ戦い続けていてくれ)


 エリアⅪの人々を見捨てるという決断をした。

 それでも死んでほしくなかった。

 支離滅裂な感情なのは理解していた。決断をしたくせにそれを受け入れきれず、希望に縋っている。


 彼女は高速で飛行し続けてエリアⅪに到達した。


 そこは本来ならば人々が往来し、生活を営んだり研究を行ったり、居住範囲を広げる工事を行っているはずだった。しかし今、そこに人影はない。暴徒によって荒らされたように幾多の施設の壁は壊されて、プラントからは炎が噴き出て、一〇〇匹を超えるBIOSが唸り声を上げながら闊歩していた。


 ――地獄。


 それが彼女の抱いた印象だった。


 壁についた血痕をBIOSたちが争い合いながら舐め取っている。街中に死体の姿はないが、しかし道路や壁に幾多の血痕が見て取れた。


(死体が見つからないのは、人々が逃げたからではない。喰われたからか)


 BIOSの数が少ない地域を見つけたアッカーソンは一縷の望みにかけて、地上に降り立った。崩壊した道路をふらふらとした足取りで歩きながら周囲を見渡す。


 誰かがいる気配すらない。

 背筋が凍るような静寂の中、荒廃した街を歩きつづける。


『誰か、誰かいないのか。頼む、誰か』


 市中は多くの血痕で満たされていた。ここで生活していた人々の血。そして。


『BIOSの死骸? この傷口は銃火器によるものではない。ここで戦っていたのか、イルミナ?』


 街中に転がっているBIOSの死骸は、いずれも身体の一部が大きく欠損していた。アッカーソンは模擬戦闘においてイルミナに攻撃された人形がこのように欠損する姿を見たことがあった。


『イルミナ! どこにいるんだ。頼む、まだ生きていてくれ!』


 アッカーソンは彼女の名を叫びながら周囲を探索し続けた。


 しかしどれほど探そうと彼女の姿はなく、それどころか生存者の一人も発見できない。見つけたのは数十匹にのぼるBIOSの死骸と、建造物の地下に隠れながら自殺したと思われる三〇代の男女の遺体だけだった。


 タイムリミットが迫っていた。いつまでも探索を続けるわけにはいかない。

 救助船を長く待機させれば、そちらへ脅威が及ぶ可能性が高まる。


『…………っっ! くそッ! これが、見捨てるということか……! これが、この絶望を生み出すことが……ッッ!』


 涙をこらえながら、彼女は力強く何度も何度も地面を叩いた。

 舗装にひびが入り、大地が割れようと彼女は拳を叩きつけ続ける。


『忘れない! ここで起こったことを、決して! 共に戦った勇敢な仲間たちのことを! 私たちの敗北が何を意味するのか、私たちが弱いとどうなるのか。こんな光景をもう二度と起こさない!』


 彼女は地面を叩いてそのまま膝をついた。しかし顔だけは伏せず、目の前に広がる無残な光景を必死に脳裏へ焼き付ける。二度とこの悲劇を忘れないために。


 その体勢のまま何十秒間か過ぎたとき、彼女の鼓膜に小さな声が届いた。


 最初は幻聴かと思った。しかし、耳をすませば間違いない。はっきりと聞こえた。泣きつづける、幼い少女の声が。


『…………っ!』


 アッカーソンはすぐに上空へと飛翔し、声の聞こえた方向へと駆けた。大きな研究所の一角へと着陸し、壁面が崩壊した建物のなかへと入る。


『どこだ。どこにいる、どこに!』


 焦る気持ちで走りながら、周囲に視線を巡らす。声の在りかはすぐに見つかった。


 研究所一階のロビー。

 血にまみれたその場所で、床に倒れ伏したBIOSの死骸の腹部に隠れるようにして、幼い少女が泣いていた。


『ああ、こんな、ところ、に』


 信じられない気持ちでアッカーソンは彼女に近づいていく。生存者がいてほっとしたのか嬉しかったのか、なぜか足から力が抜けて上手く歩けなかった。


 BIOSの血液に濡れたまま泣きつづける少女の前に立って、手を差し伸べた。


『もう大丈夫だ。――スペースガールズが助けにきた。さあ、一緒に行こう』


 それが、エリアⅪにおけるたった一人だけの生存者――朝日小羽根との出会いだった。


 ***


(ああ、そうだ。それが彼女との出会いだった)


 小羽根との思い出が、死の際にあるアッカーソンの脳裏へと次々に浮かんでいく。


 彼女を救助した後、アッカーソンは彼女とともに暮らし始めた。彼女の両親は、BIOSは同胞の死骸を喰わないことに気がついて、小羽根をBIOSの死骸の中に潜ませた後に別の個体に喰われて命を落としたのだと小羽根自身の口から聞いた。


 心優しい子だった。

 救助してから一週間はずっと泣きつづけていた。そんな彼女にアッカーソンはずっと寄り添い続けていた。


『くっくっく、随分と優しいじゃあないかい。いつものお前なら、命は助けた、私は次の任務に行くとか言って、ほったらかしにしそうなもんだけどねぇ』

『あの子をあのような境遇に追い込んだのは私だ。責任を取りたいんだ。せめて彼女が立ち直って、幸せに歩みだせるようになるまで』

『ふうん、あのアッカーソンがねぇ? それはさておき、報告書を読んだけれどあの子、BIOSの死骸の中に身を隠してたんだって? あれほど幼い状態でBIOSの血液を浴びたせいかねぇ、あの子の身体から異常に高いMRN値が検出されたよ。それこそお前すら超えるほどのね。あの子、スペースガールズにしたらどうだい? 身体能力は大したことないけれど、上手くいけば想像を絶する能力を開花させるかもしれないさね』

『反対だ。彼女には幸せに生きて欲しい。こんな悲しみばかりの戦いからは遠ざけたい』


 しかしその想いに反して、小羽根は成長するに従ってスペースガールズを志すようになっていった。


 ある日の夜、学園に入学するために宇宙工学の勉強をしている小羽根を複雑な心境で見つめながら、アッカーソンは問いかけた。


『小羽根はどうしてスペースガールズになりたいんだい? 分かっているとは思うけれど、スペースガールズは世間で言われているほど煌びやかな存在じゃないよ。泥臭くて、危険で、過酷だ。心に傷を負う者も多い』

『えー、アッカーソンさんがそんなこと言うんですか? あんなにも格好よく救われたら、誰だってスペースガールズに憧れちゃいますよ』

『格好いい? あのときの私がか?』

『はい。あのとき、わたしは死を待つしかなかったんです。両親も、近所のおじさんも、軍隊の人も、みんな死んじゃって。わたしだけが生き残った。でも助けがくる気配はなくて絶望に圧し潰されそうだった。そのときにアッカーソンさんが助けにきてくれた。あのとき差し伸べられた手は忘れられませんっ! わたしも、アッカーソンさんみたいに誰かを救えるスペースガールズになりたいんです!』


 やめてくれ、と思った。


(小羽根を助けたんじゃない。小羽根しか助けられなかったんだ。だから、こんな私に憧れないでくれ)


 そう思いながら顔を背けたアッカーソンの手を、小羽根は握りしめた。


『お母さんは死にました。お父さんも、学校の友達も、みんな。でも私は生き残った。アッカーソンさんが救ってくれた。だから私はスペースガールズになって、もっともっと多くの人を救います。アッカーソンさんが紡いでくれた命で他の命を救っていくんです』

『他の、命を?』

『はいっ! アッカーソンさんが救ってくれた命が、他の誰かを救っていくんです!』


 ***


(ああ、そうだ。その言葉にどれほど救われただろう。私は多くの命を犠牲にした。救えなかった。だけど、救えた命もある。きっと彼らが、失われたよりも多くの命を救ってくれる。そのことに気づいたあのとき、私はどれほど安堵しただろうか)


 相変わらず、全身からはおびただしい量の血液が漏れ出している。


 しかし、徐々に意識が覚醒していく。

 アッカーソンは微かに指先を動かした。


(ここで偽りの月が堕ちれば全てが終わる。小羽根の夢は叶わない。そして、今まで散っていった仲間たちの想いも)


『ねぇ、アッカーソン。貴女ならできるわ。私の代わりに自由な宇宙を取り戻して』

『アッカーソン先輩! あとは頼んだっスよ。BIOSをみーんな倒したら、田舎の兄弟たちをロケットに乗せてやってほしいっス!』

『……痛い。痛い。ああ、無念。……先輩、お願い。こんな痛くて辛い思いすることがないよう、いつの日か、アイツらを絶滅させて』


 脳裏に浮かんだのは、BIOSの襲来から人類を守るために戦い、この広い宇宙に散っていった仲間たちの言葉。


「セリーヌ、千野日和、イネッサ・バネッサ」


 彼女たちの顔を思い出しながら、その名を呼ぶ。


『……へへ、先輩、聞いてください。三期生はみんな、愉快な奴らなんです。汚くて、人に言えない、ゴミみたいな人生を……歩んできた、僕にも……。関係なく、笑顔を向けてくれた。だから……先輩、どうかっ! アイツらを、もっと強く。こんな風に惨めに死ぬことがないように……!』

『ああ、アッカーソンさま、聞いてください。妹がね、結婚式をするんです。来月の日曜日、幼馴染と、地元の教会で。……素敵でしょ? わたしは、妹たちが……ずっとずっと幸せに生きられるように。だけど……もう。……っ、ああ、ウエディングドレス、見たかったなぁ』


 何度救えなかっただろう。

 何度、この手で彼女たちの傷ついた身体を抱きかかえて最期を看取ったことだろう。

 一体どれほど彼女たちの葬儀に参列して、墓標へと祈りを捧げたことだろう。

 

 覚えてる。片時も忘れたことはない。


 彼女たちの顔も名前も最期の言葉も。


『アッカーソンさんは夢を叶えるために、今も戦い続けているんですか?』


 かつて小羽根から向けられた純真無垢な問いかけにアッカーソンは返答できなかった。


 いつしか前に進むことに精一杯で、自身の夢や目標が霞んでいたから。


 でも今、ようやく理解した。


(ああ、そうだ。私は散っていった仲間たちの夢を繋ぐために。彼女たちの想いを背負って戦っていたんだ)


 アッカーソンの目の前でボロボロの小羽根が立ち上がる。そして鈴蘭とノノへと向かって小羽根が歩みだす。けれどもう歩くだけで精一杯で戦える状態ではない。

 鈴蘭が彼女を突き飛ばした。いとも簡単に小羽根は転倒する。しかし彼女はすぐに立ち上がり、アッカーソンを守るように前へと歩みを進める。


「何なの、こいつ! しつこい! もう偽りの月の加速は誰にも止められない。この星は堕ちる。そしてみんな死ぬ! もう抗うな!」

「まだ諦めないよ。きっと何か方法があるはずだもん。ここで諦めたら全部終わっちゃう。でも諦めなければ、何か良い方法が生まれるかもしれない。わたしはっ! 絶望のなかにいたんだ! 月の悲劇で、みんな死んで、わたしだけが取り残された。でも助けは来なくていつ死ぬか分からない恐怖のなかにあった。それでも耐え続けたら――手が差し伸べられたんだ! アッカーソンさんが、手を差し伸べてくれた!」


 涙を流しながら、それでも気丈に小羽根が宣言する。


「諦めなければ必ず打開策がある! わたしはそれを教えてもらったんだっ!」


 その言葉は、今にも力尽きようとしていたアッカーソンの心に深く突き刺さった。


 思わず、彼女は頬を緩ませながら自虐する。


(ふふ、これまでもそうだったじゃないか。どんなに絶望的な状況でも必死に抗ってBIOSの脅威を退けてきた。何を弱気になっていたんだ。私はアレクシス・アッカーソン。〝太陽〟と称される英雄。こんなところで、諦めている場合ではないだろう)


 ぐぐっ、と両手足に力を込める。少しずつ顔を上げて、身体を起こす。


(ここで負ければ彼女たちに顔向けできない。ああ、そうだ。私は太陽なんだ。せめて我が命朽ちようとも、これまで散っていった仲間達の想いが未来へ引き継がれるように。今なお戦うスペースガールズ達が前へ進んでいけるようにッ! 道を、照らさなければッ!)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る