第六章 星屑になる少女たち⑦

 死の間際、ローウェルは願った。


 ああどうか、ニーナと鈴蘭には今からでもいいから幸せな人生を歩んで欲しいと。


 それは今更願うにしてはあまりにも手遅れなものだったが、死を目前にして脳裏に浮かんだ率直な願いだった。


 しかし、彼女は理解していた。鈴蘭はその願いを聞き遂げてくれないだろう。きっと仇を討つためにアッカーソンとの無謀な一騎打ちに挑むはずだと。


 それだけは避けたかった。


 ああ、どうしようかと薄れゆく意識のなかで考えていたとき、ローウェルは右手が妙に温かいことに気づいた。どうやら死の際にある彼女の右手を鈴蘭が頬に当てているらしかった。そしてその右手を介して、小さな声が届いた。


(ありがとう、今まで)

(……ハッ、これは驚いたな。最期にテメェの声を聞けるなんて。悪ィな、アイツをこんな復讐劇に付き合わせちまって)

(ううん、感謝してる。長い間、眠らないといけなかった。その間、スズランを守ってくれた。スズランもきっと感謝してる)

(なら良かったよ。テメェがいれば安心して死ねるぜ。頼む、弟子を守ってやってくれ)


 ローウェルの懇願に、その小さな声は答えた。


(――任されタの)


 ***


 ギィィィン、と激しい金属音が鳴り響いた。


 その残響が収まったとき、鈴蘭とアッカーソンの両者は驚愕の表情を浮かべていた。


「なっ……どういうこと?」


 アッカーソンによって斬り落とされたはずの鈴蘭の右肩。

 そこに、新しく真っ白な腕が生えていた。


 そしてその腕が、あらゆる物質を融解させる超高温の灼熱剣を鷲掴みにしていた。鈴蘭が意識的に行った動作ではなく、彼女自身にも何が起こっているのか理解できなかった。


 アッカーソンは後方へと飛び退く。と同時に、鈴蘭の肩から生えた真っ白な片腕はスライムのようにどろりと地面に落ちて、不規則に蠢きはじめた。と接触している金属製の地面が徐々に溶けていくと同時に、それの体積が少しずつ増えていく。


 やがて、それは、少女の形に成った。

 絹のように純白で悪魔の様に美しく、天使のように可愛らしい容姿。


 そんな姿にまで成長したそれ――いや、彼女は、懐かしい微笑みを鈴蘭へと見せた。


「久しぶり、スズラン」

「嘘でしょ……? どうして、ここに」


 白くて長い髪、透き通った肌、蠱惑的な紅い瞳。


 そこにいたのは間違いなく、鈴蘭の愛おしい家族――ノノだった。


「ごめんなさい。時間がかかっタ、回復と進化するのに」

「じ、時間がかかったって。そもそもどうやって、生きて……?」

「あの日、ノノはアイツに襲撃されてボロボロだっタでしょ? 回復が追いつかなくて死にそうだっタ。そのときスズランとキスしたの、覚えてる?」


 当然、覚えている。ぼろぼろに傷ついた彼女と鈴蘭は最後に口づけを交わした。


「あのとき、身体を極小化させてスズランの体内に忍び込んだの。炎で焼かれたのは抜け殻。ノノは、スズランの体内で眠っていタ」


 そうだ、と鈴蘭は思い出す。


 ノノには身体の体積を小さくする能力があった。

 以前、彼女はそれを使って鈴蘭のカバンの中に忍び込んでいた。


 鈴蘭は拳をぎゅっと握りしめて、慟哭するように叫ぶ。


「アンタね、あたしが、あたしが――っっ! どれだけ悲しんだと!」

「眠っている間、ずっと聞こえていた。スズランの声。絶望、後悔、恨み。ごめんなさい、本当に。独りぼっちにさせて。ずっと、謝りたかっタ」


 ノノの頬を涙が伝っていく。

 ポロポロと涙を流す彼女を、鈴蘭はぎゅっと力強く抱きしめた。


「……っ、もう一度会えて本当に良かった。本当に。ずっと、会いたかった」


 もう絶対に離すまいと強く強くお互いに抱きしめ合う。

 本当は一日中抱き合っていても足りないぐらい愛情が溢れていたが、しかし今はその感情を伝え合っている場合ではない。


「レベルⅢ。まさか生きていたなんて。悪夢を視ているようだよ」


 抱き合った身体を解いて、鈴蘭たちは目の前に立ち塞がる宿敵を見据える。


 アレクシス・アッカーソン。


 かつてノノを完膚なきまでに叩きのめし、全てを焼いた人類最強の女。


 彼女は紅蓮に燃える髪を揺らしながら問いかける。


「タイムリミットまで残り二分だ。その間、大人しく待っていてほしいところだけれど。その瞳を見る限り、そうはいかないようだね」

「師匠の悲願が達成されてない。偽りの月は必ず堕とす。ノノ、力を貸してくれる?」

「言ったはず。スズランの願いは叶えるって」


 それに、と呟きながら、ノノは背中からコウモリの羽のようなものを生やした。

 向こう側が透けて見えるほど薄くて美しい純白の羽をバッと大きく広げながら彼女は告げる。


「オマエを倒すために、ノノも進化しタの」


 翼を動かし、通常の生物ではありえない急加速をしながら、彼女はアッカーソンへと一直線に突進していく。


「ちょ、ノノ! 忘れたの? アイツは、何でも溶かすほど超高温に――」


 しかしその言葉が届くよりも早く、アッカーソンは灼熱剣を振るった。

 その刃をノノは硬質化した触手の先端で受け止める。そのまま数秒間鍔迫り合いの状態が続くが、どれほど待っても触手が溶けだす気配はない。


 アッカーソンは驚愕を顔に浮かべて、純白の少女を凝視した。


「このメインウェポンを防ぐとは。驚いたよ。これがレベルⅢの進化、成長速度か。やはりあのとき確実に仕留めるべきだった」


 アッカーソンは灼熱剣を構えなおすと次々に攻撃を繰り広げはじめた。ノノは七本の触手を縦横無尽に動かして攻撃を防ぎ続けるが、しかしアッカーソンの猛追も凄まじく、やがて灼熱に燃える剣先がノノの太ももを掠めて、彼女の皮膚が溶けて抉られた。


「やはりそうか。まだ進化しきれていない。触手の先端は私の熱すら防ぐ体質を得たが、それ以外の部位はかつてと変わらない。本体を焼き切れば勝てる」


「そんなこと、させるわけないでしょ。抜刀――『空花乱墜 一花・桔梗』」


 鈴蘭の刀がアッカーソンの背中を斬り裂いた。

 身体からマグマのような鮮血が溢れ出て、それが滴り落ちた金属床が音を立てて融解していく。致命傷は負わせられなかったが、確かに深手を負わせた手ごたえがあった。


「あのとき、あたしは何の力も持たずただノノに守られて、彼女が敗北する様を見届けるしかなかった。でも今は共に戦える。あたしもノノを守ることができる!」

「……やるじゃないか。だが、それでも私は負けない」


 ふらふらとした足取りで、アッカーソンは地面に設置したエクスプローラーの灼熱弾射出装置に近づいた。そして装置へと手をかざしてエネルギーの充填を始める。


「させるか!」


 彼女へと近づこうとしたとき、横から何者かが接近してきて鈴蘭は回避行動をとらざるを得なかった。槍状の武器を避けた後に、攻撃を加えてきたその人物を鈴蘭は睨みつける。


「朝日小羽根、いい加減邪魔しないでくれる?」

「偽りの月を堕とすなんてさせない。そんな恐ろしいこと、絶対に!」

「うるさいな、弱いくせに」


 小羽根へと斬りかかろうとしたとき、更に別の人物が鈴蘭の前に割り込んできた。その少女――シャネル・アダムズは、二本のナイフをくるくると回しながら肉食獣じみた鋭い視線でノノと鈴蘭を睨みつけた。


「まさか、レベルⅢとまた会う羽目になるなんてね」


 いつの間にか鈴蘭とノノの周囲を小羽根、シャネル、アヌシュカ、マリアの四人が取り囲んでいた。どうやら推進装置の破壊を終えてこちらに集結してきたらしい。


「小羽根、あのときの雪辱、今こそ果たすわよ」

「うん。みんなを守るために戦おう、シャネルちゃん!」


 鈴蘭とノノも背中を合わせる形で密着した。


「まさかノノと一緒に戦う日が来るなんて夢にも思わなかった。お願い、力を貸して。一緒に偽りの月を地球に堕とそう」

「…………。スズランは昔、ノノにこう言っタ。大切なヒトが死ぬのは悲しいこと。誰かが悲しむことはしちゃダメって。あの約束は、もうイイの?」

「それは、もういいんだ。だってあたしたちは悪だから」

「……そう」


 そしてその場に集った面々が一斉に動き出した。


 鈴蘭は目の前に瞬間移動してきたシャネルを地面に叩きつけて、槍状の武器を携えて突撃してきた小羽根の腹部へと蹴りを入れる。アヌシュカ・ミルザが筋力増強して突進してきたが、その身体をノノの触手が弾き飛ばした。


 一連の経験によって、鈴蘭の身体能力や戦闘センスは劇的に向上していた。アッカーソンにこそ一対一では及ばないものの、有象無象のただのスペースガールズではもはや足元にも届かない。一瞬にして四名のスペースガールズを地面に横倒しにしたところで、鈴蘭はノノと一緒に並び立って最後の敵を睨みつけた。


 灼熱の英雄もまた、紅蓮の髪を靡かせて鈴蘭たちを見つめ返す。


 ――残り一分。


「全ては私の過ちが発端だ。月の悲劇でイルミナを救えていればこんな状況にはならなかった。ローウェルときちんと向き合っていればこうならなかった。レベルⅢを確実に葬っていればこうはならなかった。全ては私の弱さが招いた」

「だったらそれを後悔しながら、この星と一緒に堕ちろ」

「いや、私の命に代えても、この星だけは守ってみせるとも」


 互いに押し黙る。

 これ以上、言葉はいらなかった。


 先に動いたのはアッカーソンだった。


 彼女は、まず先に防御力の低い鈴蘭へと狙いを定めて急接近する。ノノが触手を伸ばすが、凄まじい勢いで飛行するアッカーソンによって触手ごと弾き飛ばされる。


 彼女が最強と謳われる所以は、あらゆるものを溶かす超高温だけではない。核融合から発生するエネルギーを利用することでスペースガールズ随一のスピードとパワーを発揮する肉体的強さもまた、畏敬の念を集める理由だった。


 目にも止まらぬ速度で灼熱の剣が振るわれる。

 鈴蘭はその攻撃を間一髪避けるが、その余波によって左瞼が熱を浴びて開きにくくなる。この状況で視界が狭まるのはまずい、とアッカーソンから離れようとするがそう簡単にはいかない。


 紅い悪魔が放つ回し蹴りが鈴蘭へと迫る。

 金属さえ溶かす超高温の左脚。当てればただでは済まない。そのとき、アッカーソンが動きを止めて身体を左へ回転させた。同時に、先ほどまで彼女がいた金属床に複数の触手が突き刺さる。


 残り、四五秒。


 アッカーソンが再び鈴蘭へと接近する。

 しかしその眼前にノノが立ち塞がった。


「スズランは、ノノが守る」

「退け、レベルⅢッ!」


 アッカーソンは無茶を承知でノノへと突っ込んでいく。

 数多の触手が上下左右から次々に来襲するが、アッカーソンは触手の先端部以外の硬質化していない部分に剣を当てることで、それを目にも止まらぬ絶技で切断していく。


 その光景を見て、鈴蘭は目を見開く。


(凄まじい剣技。一体どれほどの戦場を経て、どれほどの苦難を乗り越えて、どれほど揺るぎない覚悟を有していればこの域に到達できるっていうの)


 しかし鈴蘭たちにも負けられない理由がある。


「お前はイルミナさんを見捨てた。ノノがどんな子か知りもせず、BIOSだって理由だけで殺そうとした。お前は正しさを求めていろんなものを犠牲にしすぎた」

「知っている、そんなことは! 私はどれほど努力したところで、ただの英雄にしかなれなかった。一から十まで全ては救えない。それでも歩み続けるしかなかったんだ。多くのものを犠牲にしてでも、人類の未来のために、私は!」

「例えそうだとしても! 踏み躙られた人間は恨みを忘れない。大勢を救うために犠牲にされて、しょうがなかったなんて割り切れない。犠牲にされたら怒るし、悲しむし、逆恨みだってする!」


 無数の触手を斬り続けるアッカーソンへと鈴蘭は背後から迫り、刀を引き抜く。

 しかし灼熱の英雄は鈴蘭に対しても常に注意を向けていて、隙は微塵もなかった。


 残り、三〇秒。


 アッカーソンの剣技が触手の再生速度を上回る。

 それは、いつか見た光景だった。


(あのときは端から見てるしかなかった。今は違う。あたしも戦いの中心にいる)


 触手の先端がアッカーソンの左脚に深々と突き刺さった。

 その触手を切断して、灼熱の英雄は負傷した左脚を大きく旋回させる。灼熱の鮮血が周囲に飛び散って、数滴がノノの身体に付着した。


「グ、ううう……ッッ! 思い出す、この痛ミ。熱さ!」


 ノノはまだ回復しきっておらず万全ではない。

 思わず身体が怯んでしまい、触手の攻撃網に緩みが生まれる。その機を逃さずアッカーソンは一気に異形の少女へと接近する。


 残り、一五秒。


 灼熱の剣が白き獣の首へと迫る。しかしそれより先に鈴蘭が一歩踏み込んだ。


「させるか! 思い知れ、これがあたしの怒り、そして師匠から託された復讐心だッ! 抜刀――『空花乱墜 二花・芍薬』ッ!」


 アッカーソンの背中に大きな一筋の傷が刻み込まれる。

 噴火のように真っ赤な血が噴き出した。その隙を逃さず、ノノは先端を硬質化させた七本の触手を差し向ける。


「っ…………」


 七本の触手が、アッカーソンの下腹部、左胸、右肺、右肩、左太腿、首筋、脇腹にそれぞれ突き刺さった。

 貫かれた彼女の身体が触手の動きに従って宙に掲げられる。


 地面から彼女の両脚が離れて、力なく垂れ下がった。

 触手を伝って大量の血が滴り落ちていく。腕もダラリと垂れて、彼女のメインウェポンが手を離れて地面へと落下した。


「いやああああああああああああっ! アッカーソンさんっっ!」


 小羽根の絶叫が響き渡ると同時に、スペースフレームのホログラムに表示されたタイマーが0秒を表示した。


 もう誰にも偽りの月を止められない。

 この人工の星は地球へと衝突する。


 アッカーソンの瞼が少しずつ閉じられていく。


 その光景を見ながら鈴蘭は両手を握りしめて、頭上に煌めく星屑たちへと視線を向けた。


「ああ……師匠、やりましたよ、ようやく」

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