第六章 星屑になる少女たち⑤

 突き刺された腹部の血肉が音を立てて焼かれ、蒸発していく。


 アッカーソンが大きく瞳を見開いて、唇を微かに震わせた。


「……ローウェル」

「ハッ、残念だったな。コイツの命は、テメェには渡せねェ」


 灼熱の刃に腹部を貫かれて凄まじい激痛が走っているだろうに、ローウェルは奥歯を噛みしめるだけで悲鳴を一切あげず、余裕を醸し出すようにカッカッと短く笑った。


「なァ、覚えているか? テメェがどうして〝太陽〟と呼ばれるようになったか」

「ああ、もちろん。日々欠かさずに努力し続ける私を見て、施設の人間がそう呼称するようになった。決して私を尊敬したからではなく、英雄視したわけでもなく。優等生だった私を他の候補生たちが見習うよう仕向けるために」

「そして素行不良だったオレは〝太陽〟から最も遠いという侮蔑を込めて〝冥王星〟と呼ばれるようになった。施設の人間が勝手につけたニックネームだったが、いつしか一期生を惑星の名前で呼ぶことが世界中に定着した」


 口端から血の混じった泡を吐きながら、ローウェルは笑う。


「オレは、優等生ぶってるテメェのことが嫌いだった」

「君とは何度も喧嘩したね。こんな風に言い争って、こんな風に戦って」

「ああ。そしてオレは、テメェに一度も勝てなかった」


 ローウェルは右手に握りしめた拳銃型のメインウェポンを、アッカーソンのスペースフレームの射出口へと向けた。


「だから、今日こそは勝たせてもらう。オレの命をかけて」

「っ……!」


 アッカーソンは灼熱に燃える剣をローウェルの腹部から引き抜いて、後方へと飛び退こうとする。しかし遅かった。至近距離で放たれたレーザーはエクスプローラーの射出口に命中し、爆発が起こった。小さな黒煙が辺りに充満する。


 その隙に、鈴蘭は今にも地面に倒れようとしていたローウェルの身体を支えた。

 血は出ていない。当たり前だった。傷口は焼かれて塞がっていた。


「ハッ、ようやくテメェに勝てたぜ。なァ、アッカーソン?」

「喋らないで、師匠!」


 ごはっ、と腕の中に抱かえたローウェルが吐血する。


 彼女の腹部に恐るおそる触れると、たんぱく質が熱硬化しているらしく、人の肌に触れているとは思えないほどに硬かった。


 死ぬ、と直感的に分かった。


 死期を悟ったのはローウェルも同じらしく、血液が正常に循環してないのか異常なまでに青白い肌をしながら、彼女は震える声で鈴蘭に告げる。


「……弟子、悪いな、オレの復讐に付き合わせて」

「違う、これはあたしの復讐でもあるの! だから、謝る必要なんて」


 鈴蘭が抱くローウェルの印象はどうしようもない駄目な大人といったものだった。酒に溺れてニーナ博士に暴力を振るい、過去に縋る。鈴蘭も何度殴られたか分からない。


 しかしとても一途で、不器用ながらも同じ傷を負った者として鈴蘭を理解してくれた。


 ともに復讐の道を歩んだ、盟友であり師匠。


 鈴蘭は涙を浮かべながら、息も絶え絶えに喋るローウェルの身体を抱きしめた。


「だめ、やだ、死なないで、師匠っ! あなたの復讐がまだ叶ってない。もうすぐ、もうすぐ偽りの月が堕ちるんだよ? それを、見届けないと」

「……それは、テメェに任せる」


 彼女は虚ろな瞳でどこか遠くを見つめながら滔々と語る。


「偽りの月を堕としてISAに復讐する。それはオレとUDHの仲間たちの悲願だった。大星団の日に復讐を決行することが決まったとき、オレは怖かった。自信がなかったんだ。一人で偽りの月に侵入して作戦を完遂できるのか、って。そんなときにオマエに出会った。……本当は、オマエが来てくれて嬉しかったんだ。誰よりも感謝していた」


 でもなァ、と彼女は告げる。


「オマエは復讐なんかする必要なかったんだ。こんな作戦に参加しなくて良かった。だがテメェには真実を隠したままこの作戦に同行させた。全部、オレの弱さが招いた結果だ」

「真実? 何を言って――」

「オレはずっと弱ェままだ。アイツみたいに強くなりたいって思っていたのに。オレがもっと強ければ……アイツの死も乗り越えて、こんなことせずに済んだかも知れねェのに」


 ローウェルの瞳から光が失われて、瞼が弱弱しく閉じられていく。


「いやっ、師匠、師匠!? まだ死なないで、バカ師匠! アナタのおかげでここまでこれた。アナタがいないとあたしは宇宙にこれなかった。強くなれなかった! アナタのおかげで、あたしは……」

「……悪いな、鈴蘭。オレの……弟子。オマエは、生き延びろ。オマエには……まだ、生きる理由があるはずだから……」

「生きる理由? 何を言ってるの……そんなの、もう、どこにも」


 涙を流しながら鈴蘭はローウェルの手のひらを頬にくっつける。

 信じられないほど冷たかったが、微かに温かみを感じる。彼女の意思を引き継ぐようにぎゅっと肌を接触させる。


 ローウェルが微かに笑った。


「テメェは、あのときも……ピーピー泣いてたな」

「……あのとき?」

「テメェは、強くなれよ。大切なものを、守れるように……」


 やがて、ローウェルの手が力なくだらりと下がった。


「ああ……ニーナ。……こんな、こと。言う資格ないかも、知れないが。オマエは……どうか、幸せに……」


 そして人類史上最悪のテロリスト〝冥王星〟は命を落とし、星屑となった。


 ***


「大丈夫ですか、博士?」

「……少しだけ、席を外す、にぇ」


 ローウェルと鈴蘭の会話は、衛星通信を介して地球にあるUDHの作戦司令室まで届いていた。スピーカー越しに声を聞いていたニーナは、青白い顔で立ち上がると覚束ない足取りで指令室から退出した。


 何とか自室にたどり着いたニーナは、力尽きたように椅子の上に座り込んだ。そして彼女はただ茫然と空を見上げる。窓の外はあまりにも暗かった。


 夜空には、昨晩に比べて明らかに大きな偽りの月が浮かんでいる。


 ――地球へと落下してきている。


 誰が見てもそう理解できるほどの、根源的な恐怖を覚える光景を見上げながら、窓辺に寄り添った彼女はぽつりと言葉を紡ぐ。


「あのとき、どうして私は君を止めなかったんだろう。嘆き悲しむ君を正面から受け止めていれば、こんなことにはならなかったのかも。もう、全部遅いけど」


 窓際には小さな木製の写真立てが置かれていた。


 そこに映っているのは、幼い少女三人。

 在りし日のローウェル、イルミナ、ニーナだった。


「二人はいっつも喧嘩してたよね。でも、正面からぶつかっていていつも楽しそうだった。……私は、代わりにはなれなかったよ。ローウェルの悲しみを、正面から、受け止めてあげられなかった」


 彼女の頬を涙が伝っていく。後悔は止まない。


 UDHが発足した日。

 大星団が予測された日。

 彼女が宇宙へ旅立つ日。


 あのとき、彼女を止めていれば。


「でもね、駄目だったんだ。あんなにも落ち込んで復讐心を燃やす君を見て、嫌われてもいいから説得するなんてできなかった。私は、ローウェルが好きだったから! 嫌われたくなんてなかった。君の力になりたかった。間違っているのは、分かっていたのに……っ!」


 涙は止まらない。もう全ては終わってしまった。


 かつての三人が映った写真に触れながら、ニーナは祈りを捧げる。


「もう、戦う理由なんてないんだから。……せめてそっちでは安らかに仲良く暮らしてよね。ローウェル。それから、お姉ちゃん」

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