第六章 星屑になる少女たち④

「映像システム、復旧しました」


 臨時緊急対策室のモニターに偽りの月地表の映像が表示された。太陽のように燃え盛るアッカーソンと、彼女を仕留めるべく物陰に身を隠して機を伺っている侵入者二名。


 その映像を見つめながら、治療を受けていた小羽根は声を上げた。


「アッカーソンさんが戦ってくれてる! 急いで、わたしたちも行かないと」

「ええ、そうね。このまま侵入者の好きにはさせないわ。なにより、負けたままなんて気に食わないもの」


 小羽根の隣で同じく治療を受けていたシャネルが同調した。アヌシュカ・ミルザ、マリアも同意見だったようで、四人で顔を見合わせながら頷き合う。


 しかしそんな彼女たちの決意を、その場にいたノヴァ開発局長は鼻を鳴らして一蹴した。


「大人しく座ってるんだね、小娘ども。アンタらみたいな雑魚が出向いて何になるっていうんだい」

「一人で戦うアッカーソンさんを、ただ見守るなんてできません」

「口答えすんじゃあないよ、無能力者の小娘風情が。立場をわきまえな」


 その言葉を受けて、その場にいた四人のスペースガールズは一様に唇を噛みしめた。自分たちが灼熱の英雄アレクシス・アッカーソンの足元にも及ばないことは重々承知している。しかしこのまま見ているだけなんてできるわけがない。


 耐え切れなくなったシャネルが喧嘩腰で声を上げようとしたとき、しかしそれを遮るように部屋の隅から戦略局長補佐の声が響いた。


「立場を弁えるべきは貴女のほうだ。貴女は開発局の局長であって戦略局の人間ではない。戦闘における作戦立案は戦略局の領分だ。彼女たちに指示を下すのは私に任せてもらおう」

「……坊やも大変だねぇ。あの女――戦略局長はこんなときも不在かい? 姿が見えないから、ついつい老婆心で余計な口出ししてしまったさね。じゃあ、あの女の代わりにしっかりとやるんだね、戦略局長補佐どの」


 背を向けて歩き出した老婆を見送ったのちに、戦略局長補佐はその場に集った四人のスペースガールズの顔を見渡した。


「分かっているとは思うがこれは未曽有の危機だ。つい先ほど、大星団に対処しているチームから、BIOSの大群は殲滅したと報告が入った。しかし彼女らが偽りの月へ帰投するまで少なく見積もっても二時間は要する。増援は間に合わない。偽りの月は、ここにいる四名とアッカーソンの計五名で守り抜かなければならない」


 小羽根たちはごくりと唾を飲み込んだ。皆一様に緊張した面持ちを浮かべる。


 任務に失敗すれば偽りの月は地球へと落下し、多くの人々が亡くなる。

 そして、BIOSから人類を守る砦も失われる。


 それをたった五人だけで防がなくてはならない。


「先ほど監査室へ緊急申請を行い、本案件はSSランク任務に認定された。スペースガールズの配置人数制限も撤廃される。我々の総力を挙げて任務を成功させるぞ」


 その言葉を聞いて、シャネルは瞼をしばたたかせた。


「人類滅亡が危惧されるSランク任務ですら、ISAの発足以来まだ一度も発令されてないのに。SSランク任務なんて、アタシたちだけでどうやって」


 微かに震える彼女の手を小羽根はしっかりと掴んだ。


 そしてシャネルの顔を真っ直ぐに見つめながら、いつも以上に明るくて大きな声で告げる。


「一緒に頑張ろう、シャネルちゃん。わたしたちはスペースガールズなんだから。何もしないまま諦めるなんてしない。絶対に偽りの月を守り抜こうねっ!」


 あまりにも清々しいその声を受けてシャネルは驚いたように瞬きをした。そしてほんの少しだけ間をおいて、胸を張って応える。


「当ったり前じゃない! こんなときのためにスペースガールズになったんだもの。やってやるわよ、小羽根!」


 その二人の様子に感化されたのか、アヌシュカ・ミルザとマリアの表情もほんの少しだけ緩む。そして緊張が解けるとともに、彼女たちに闘志のようなものが宿り始める。


 その様子を見つめながら、戦略局長補佐は小さく頷いた。


「これから作戦を説明する。一分間で説明を聞き終えた後、即座に作戦を開始したまえ。それから、朝日小羽根。君専用の機体がようやく準備できた。今は機体を渡している暇はないが、この作戦が全て終わったら君に渡そう。新しい機体のためにも必ずこの戦いに勝ちたまえ」


 ***


 幾筋もの光の射線が配管や貯蔵装置の隙間を駆け抜けていき、アッカーソンへと向かって集中攻撃を浴びせる。無数に流れる光の潮流に接触しないように全神経を研ぎ澄ませながら鈴蘭はKAGUYAを操作して虚空を駆け抜けていく。


 しかし、この場において注意すべきは幾筋ものレーザーだけではない。


 目の前に存在する小型の太陽――アレクシス・アッカーソンから、数えきれないほどの灼熱の塊が噴射される。迫り来る二メートル近い炎の塊を何度も避けながら、鈴蘭は叫ぶ。


「ああもう、動きが全然予測できない!」


 偽りの月の周囲には、スペースフレームに搭載されている不可視シールドと同様の不可視防御領域が展開されている。本来ならばそれが宇宙から飛来する放射線を防ぎつつ、地表の空気を外界に逃がさない役割を担っているのだが、先ほどから続く無差別爆撃によってシールド展開装置がいくつか破壊され、不可視防御領域が安定していなかった。それゆえに時間や場所によって大気圧が変動し、灼熱弾の軌道がまったく予測できない。


 しかしそんな状況にあっても、停滞することは許されない。


 鈴蘭の脳裏に浮かんでいたのは、数分前にローウェルと交わした会話だった。


『遠距離からだとアイツが放つ炎に阻まれてレーザーが届かねェ。このままじゃジリ貧だ。距離を詰めて、短距離から攻撃をしかけるしかない』

『でもあんなにも大量に炎が渦巻いていたら、近距離からでも届かないんじゃ?』

『アイツはさっきまでの攻撃で追尾する光を警戒しているはずだ。できる限り接近してオレが大量に攻撃をしかける。そうすればアイツはオレに注意を向ける。その隙にテメェがアイツに接近して、斬れ』

『それは、師匠が囮になるってこと?』

『テメェの能力は無敵のアイツを殺せる唯一の手段だ。それを活用する。合理的だろ?』

『でもそれは、師匠の負担が大きすぎる。いくら師匠でもアイツを一人で相手にするのは』

『おい、忘れたか? オレたちは悪だ。復讐のためなら手段を選ばず、姑息な手も使う。オレを犠牲にしてでも復讐を果たす――それぐらい悪辣に行動しろ』


 それに、と彼女は愉快そうに口端を吊り上げた。


『あのクソ野郎とは、一度、本気のタイマンをしたかったんだ』


 鈴蘭は物陰に隠れながらアッカーソンへと近づいていく。


 距離が縮まるにつれて彼女からの攻撃が少なくなる。

 どうやら付近の装置は破壊し尽くして、灼熱弾の放出距離を伸ばしているようだった。近距離への攻撃が完全になくなったわけではないが、しかしそれも鈴蘭とは反対側――ローウェルが攻め込んでいる方向へと集中していた。


 アッカーソンまで残り一〇メートルほどの距離まで鈴蘭が接近したとき、ローウェルが物陰から姿を現した。そしてアッカーソンの注意力を集中させるために声を発する。


「珍しく焦ってるみたいだなァ、英雄サマ」

「ああ、君のおかげでね」


 しばらくの間、彼女たちは言葉を探すようにお互いを見つめ合っていた。やがて灼熱の英雄が一つため息をついて、頭を左右に振った。


「変わってしまったな、私たちは。あの頃はただ我武者羅だった。一〇人の仲間たちそれぞれが目標に向かって努力していて、それ以外は何も考えなくて良かった。ただ努力さえすれば良かった」

「オレは怠け者の劣等生だったけどな」

「そんなことはないさ。五年間、訓練施設で寝食を共にしてきたんだ。知っているとも。君も、人一倍努力するイルミナを支えるために影ながら努力していた」

「………………」

「あの頃が懐かしいよ。訓練は過酷だったし喧嘩ばかりしていたし、辛いことも多かったけれど。あの頃が一番自由で楽しかった」

「ああ。だが、それはもう過去だ。月の悲劇を境にオレたちは道を違えた。オレはISAに復讐することを誓い、オマエは英雄になることを選んだ」

「……今でもときどき、眠る前にベッドで考えるんだ。君とともに歩む方法はなかったのかと。皆と一緒に、あの日の悲しみを乗り越える手段はなかったのかと」


 灼熱の英雄は弱弱しく顔を伏せる。


 そんな彼女へと追尾する光が迫り、激しい火花が弾き上がった。驚いたように瞬きをする彼女へと向かって、ローウェルが獣のように激しい怒りを見せる。


「いつまでテメェはッ、ぐだぐだと過去の話をしてやがる! 現実を見ろ、アッカーソン。オレはテメェを殺して偽りの月を地球へ堕とそうとしてる。これが現実だ!」


 ローウェルによって放たれたレーザーがアッカーソン専用機体〝エクスプローラー〟に集中照射されて、ついにその右舷の装甲が吹き飛び、灼熱弾の放出が停止した。アッカーソンの表情に焦りが浮かぶ。


 すぐに左舷から灼熱弾の放出が再開されるが、先ほど被弾した右側の射出口は損壊していて灼熱弾を放てない。そのせいで攻撃の密度が大幅に縮小される。その隙を縫って、鈴蘭はアッカーソンとの距離を縮めていく。


『ひひ、ローウェル、鈴蘭ちゃん、聞こえる? 朗報だにぇ。偽りの月は予定通り加速し続けていて、もう一〇分もすれば目標ポイントΩを超えるよぉ。でも流石に世界最高峰のエンジニア集団だけあって、徐々にメインシステムの権限を取り戻されてきてるにぇ。も……しかしたら、す……連絡……とれ、な…………』


 通信システムから聞こえていたニーナ博士の声が途切れた。


 代わりに聞こえたのは、抑揚を感じない不気味な女性の声だった。


『ふん、あの小娘、随分と手こずらせてくれたじゃあないかい。くっくっく、アッカーソン、聞こえているかい? そして無謀なテロリストの二人も。メインシステムの奪還は順調さね。すでに通信システムは取り戻した。推進装置の奪還もあと一〇分あれば終わる。この一〇分が勝負さね。一〇分間で残り五基の推進装置を破壊しな、アッカーソン。そうすればアタシらの勝ちさね』

「把握した。一〇分で、残り五基か」


 アッカーソンがそう呟いた直後、偽りの月の地表が微かに振動した。と同時に、それぞれ位置が違う遠方の四箇所から、何かが爆発したかのような鮮やかな光が上がる。


『アッカーソンさん、聞こえますか!』


 鈴蘭が決して忘れることのない、朝日小羽根の明るい声が通信装置越しに聞こえた。


『今、みんなで分担して四基の推進装置を破壊しました。アッカーソンさんほど強くないけど、わたしたちだって役に立ちたくて。まだまだ頑張りますよ、だって、スペースガールズだから! 大急ぎでそっちに向かいますね!』

「そうか。ありがとう小羽根。それから他のみんなも。頼もしい後輩ばかりで私は嬉しいよ」

『えへへ、嬉しいです』

『あーもう、小羽根! 嬉しいのはわかるけど、感動してる場合じゃないでしょ。アッカーソン先輩、聞こえますか? シャネルです。今、アタシたちが四基の推進装置を破壊しました。だけど最後の一基だけ場所が遠くて、アタシたちじゃ時間内にたどり着けません。だからお願いです。遠距離爆撃で、最後の推進装置を破壊してください!』

「ああ、承諾した。ありがとう、みんな。あとは私に任せてくれ」


 鈴蘭は息を呑んだ。


(残り一基? そんな、嘘でしょ)


 次の瞬間、その場にいる三人は動きを止めた。


 それは一秒にも満たない時間だったが、その僅かな時間で、彼女たちは数十時間分の思考を高速で巡らし、現状の整理とこれから果たすべき内容のシミュレーションを行った。


 思考の整理を終えた後、最初に動いたのはアッカーソンだった。


 三六〇度回転しながら近距離へと無差別に灼熱弾を放ちはじめる。狙いは明確だった。彼女はまず最初に、ローウェルを倒すことを決断した。遠距離に位置する推進装置を爆撃しようにも、ピンポイントで攻撃するためには狙いを研ぎ澄まさなければならない。しかしそのような隙を見せれば、レーザーの集中照射を浴びてスペースフレームを破壊される恐れがある。


 ゆえに遠距離爆撃するためには、まず先にローウェルを倒さなければならない。


 彼女がそう動くだろうことは鈴蘭もローウェルも読んでいた。と同時に、彼女たちはこうも理解していた。時間を消費させるのが最善策。アッカーソンが遠距離爆撃に集中できないように適宜攻撃を加えつつ、逃げ回って一〇分間経過させるのが最良の作戦だろう、と。


 しかしローウェルはそうせず、真正面から灼熱の英雄へとレーザーを放ち続ける。


 このメッセージは明確だった。


 ――オレが囮になるから、テメェはアイツを斬れ。


(師匠は間違いなく、今、この場で決着をつけようとしている)


 彼女の意図を理解した鈴蘭は灼熱の英雄へと更に距離を詰める。


 ローウェルが放つ幾筋ものレーザーが〝エクスプローラー〟へと集中放射される。アッカーソンはそれを食い止めようと灼熱弾の放出を近距離へと集中させていく。アッカーソンもローウェルもお互いのことだけに集中していく。


 やがて、完全に無防備なアッカーソンの背中が鈴蘭の視界に入った。


(――集中しろ)


 鼓膜から音が入らなくなる。感じるのは、獣のように咆哮する自身の鼓動。


(――意識を研ぎ澄ませ)


 視界が狭まって、憎き紅い悪魔の背中以外は見えなくなる。


(――復讐を果たせ)


 脳裏に浮かぶのは、切断されたノノの首と、消し炭となった彼女の身体。


 ずっと続いている腹部の鈍痛が激しさを増す。しかし身体は動く。腕は信じられないぐらい軽い。いける、と鈴蘭は確信した。


「抜刀――『空花乱墜 一花・桔梗』」


 刀が振るわれる。


 誰にも見えず、全てを切り裂く、世界最速の一撃。

 これで確実に復讐を果たすことができる――そのはずだった、のに。


「アッカーソンさん、危ないっ!」


 突如割り込んだその声を受けて、弾かれるようにアッカーソンの身体が跳ねた。そのせいで鈴蘭の刀は彼女の背に切り傷を与えるに留まり、致命傷すら与えられなかった。


「そんな、嘘……」


 信じられない気持ちで鈴蘭は刀を見つめて、その後、復讐を邪魔した声の主を睨みつけた。


「朝日小羽根ッ!」


 焦りを顔に浮かべながらこちらへ向かって飛翔してくる朝日小羽根へと、鈴蘭は叫ぶ。


(こいつは何回、あたしの邪魔をするの? ノノを見つけ出してあたしから奪い、そして今度は念願の復讐の機会を奪った。許せない、許せない、許せない――)


 本当は今すぐにでも小羽根を殺したかったが、しかしそれどころではない。


 アッカーソンの殺害に失敗した。彼女との距離はわずか一メートル程度。

 紅い悪魔は、自身の背中から滲みだす血液に触れながら静かに声を発した。


「私に傷をつけたのは君が初めてだよ。超高温で発熱する私を斬るなんてとても興味深い。惜しいな。本当ならISAでその能力を存分に発揮してほしかったけれど、もはや君を説得する余裕すらない。今、ここで、邪魔者は排除する」


 灼熱の剣が鈴蘭へと迫る。間合いが近くなりすぎたために避ける猶予すらなく、もう一度能力を発動させようにも先ほどの反動で腕が上手く動かない。紅い悪魔から放たれる凄まじい高温を肌でビリビリと感じながら、彼女は死を覚悟する。


「……ごめん、ノノ」


 しかし、何秒待っても身体が焼き斬られる気配はなかった。恐るおそる瞼を開けると、鈴蘭の目の前に灼熱剣の剣先があった。そしてその向こうに、見知った人の背中。


「――っ、師匠!? そんな、どうして!」


 鈴蘭を庇うように両手を広げたローウェルの腹部を灼熱の剣が貫いていた。

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