第六章 星屑になる少女たち②


 その後も、侵入者を排除するために駆けつけてきた軍人やドローンをなぎ倒し、鈴蘭たちは偽りの月の内部へと侵入した。三〇層で構成される各フロアには無機質な廊下が延々と広がり、そこに大小様々な部屋が繋がっている。そんな狭い廊下を低空飛行で駆け抜けていく。


「たった三〇層しかないんですね。中心部はどうなってるんです?」

「偽りの月の中心は空洞だ。中身を埋め尽くすほど建造費がなかったからな」

「地球で見たときはロマンチックだったのに、実物はとことん現実的ですね」

「そういうもんだ、何事もな。……おい止まれ、着いたぞ」


 廊下の奥にあった扉の前で止まり、ローウェルは懐から取り出した機械を認証装置へと接続した。しばらくしてセキュリティが解除され、扉が開く。


 二人を出迎えたのは、見る者を圧倒するような巨大な機械群だった。


 ロケットを遥かに超えるサイズのコンピューターに冷却装置やケーブルがいくつも接続されていて、複数のモニターに偽りの月のリアルタイム情報が写し出されている。


「これが、メインシステムⅥ」


 ニーナ博士から聞いたその単語を、鈴蘭は思い返す。


 ***


 二か月前、UDH会議室。


「偽りの月は、六つのメインシステムによって構成されているんだにぇ」


 図面をプロジェクターに投影しながら、ニーナ博士は鈴蘭へと饒舌に語る。


「偽りの月の大きさは知っての通り、本物の月の約半分にあたる。ひひ、これを一つの制御システムで管理するとあまりにも負荷がかかるし、も、もしも何か異常が発生したときに被害が甚大になりすぎる。だ、だから偽りの月は、六つのメインシステムがそれぞれの担当設備を制御しつつ相互に連動し合う形で運用されているんだにぇ」


 プロジェクターに、それぞれのメインシステムが制御する設備が映し出されていく。


「メインシステムⅠは電力設備。メインシステムⅡは通信、レーダー、生活システム。そしてメインシステムⅢは推進装置とセキュリティを担当している。この三つが偽りの月の表と裏にそれぞれ存在するから計六つ。そして今回の作戦で狙うのは、これだにぇ」


 表示されたのは、偽りの月内部のとある一区画だった。


「メインシステムⅥ。こいつにデータ記憶媒体を物理接続してセキュリティに穴を空ける。そしてその穴を起点に電子的に侵入して、め、メインシステムⅠからⅥの全ての操作権限を奪う。これで偽りの月は姫ちゃんたちのものだよ」

「そんなこと、本当にできるんですか?」


 ニーナ博士の凄さについてはこの数か月間で十分に理解していたが、しかしそれでも世界の技術の粋が結集した偽りの月をそう簡単に支配下におけるなんて想像できなかった。


 しかしその不安を、ニーナ博士は自信満々に胸を張って一蹴した。


「できるよぉ。も、もちろん、偽りの月には強固なセキュリティが搭載されているけど、政府系システムや世界的企業に比べたら大したことない。外部からの不正アクセスには強いけど、データ記録媒体から直接流し込まれる不正ソフトウェアには限りなく脆弱なんだ。そもそも、そんなソフトウェアを持ち込むような悪意ある人間が、偽りの月まで到達することを想定していないからにぇ」


 それに、と彼女は天井を指さしながら珍しく威勢の良い声で告げた。


「偽りの月の設計には姫ちゃんも関わってるからにぇ。どこが脆弱かなんて誰よりも把握しているつもりだにぇ」


 ***


「まさかそんなところまで関わってるなんて、びっくりしたな」

「おい、ぼーっとしてんじゃねェぞ、クソ弟子」


 ローウェルから怒られて、鈴蘭はすぐに手を動かし始めた。

 事前に持ち込んでいた記録媒体を取り出してメインシステムⅥへと接続する。その後、事前に聞いていたコマンドを入力して不正ソフトウェアを起動させる。


 〇%、一%……と浸食が進んでいく様子を確認した後に振り返ると、ローウェルが二丁のメインウェポンを引き抜き、廊下から身を乗り出してレーザーを打ち込んでいた。


「チッ、追っ手がきやがった。まだか、クソ弟子!」

「あとは待つしかないです」


 師匠へと加勢しようとしたとき、突如としてメインシステムⅥから声が響いた。


『ひひ、お困りのようだにぇ、二人とも』

「その声は、ニーナ博士?」

『ご名答! ぶ、無事にプログラムは起動できたみたいだね。おかげで偽りの月の通信システムを乗っ取れたよ。引き続きシステムの支配を進めつつ、姫ちゃんも二人のサポートに回ってしんぜよう。さ、ローウェル、攻撃はやめて部屋に入って入ってー』


 その言葉に従って、ローウェルは扉から乗り出していた身体をひっこめた。


 追っ手が廊下を走りだす音が聞こえる。もう少しで追っ手が部屋にたどり着く――その瞬間、電子音が鳴り響くとともに部屋の扉が閉じられて、天井から幾重もの金属壁が雪崩のように落ちてきた。凄まじい轟音とともに、部屋が完全なる密室空間へと変貌する。


『ひひひ、防護壁を作動させてやったぜ。BIOSの侵入を想定した防護壁だからね、例えスペースガールズでもそう簡単には突破できないよ。さ、今のうちにシステムの乗っ取りを進めよう。二人とも、しばらくは気を抜いてて大丈夫だよー』


 外から攻撃を加える音が響き渡るが、防護壁は相当分厚くて強度も高いらしくびくともしていない。これならしばらくは安心かと鈴蘭は息を吐いた。


『い、今のうちに、これから先の流れをおさらいしておこうか。メインシステムの操作権を乗っ取り次第、偽りの月に設置された推進装置を誤作動させる。地球から見て表側に設置された六〇基は強制停止して、裏側にある六〇基だけフル稼働させる。そうすることで偽りの月は地球へと向かって加速していって、最終的には衝突する』


 鈴蘭は無言で頷いた。


『推進装置を誤作動させた時点で、ISAは姫ちゃんたちの目的に気づくはずだよ。きっとスペースガールズたちは推進装置を破壊してでも止めようとするし、ISA職員たちはメインシステムを奪還するため作業をはじめる。こ、この作戦はISAの抵抗をいかに退けて偽りの月の加速を持続できるかにかかっているよぉ』

「あたしたちは、目標ポイントΩまで推進装置を死守すればいいんですよね?」

『ひひ、その通り。目標ポイントΩまで裏側の推進装置を死守できれば、たとえその後にメインシステムⅥの権限を奪還されて表側の推進装置をフル稼働させられようとも、もう偽りの月を押し返すことはできない。ひひ、目標ポイントΩを超えるまで、姫ちゃんはシステムを妨害し続けてみせるから、そっちも推進装置を守り切ってにぇ』

「はい、任せてください。必ず、偽りの月は堕としてみせます」


 そのとき、防護壁へ攻撃を加える音がピタリと止んだ。


 それまで耳を塞ぎたくなるほど響いていた音が止んで場が静まり返る。数秒間待っても何も起こらない。しかしその後、異変が生じる。


 ローウェルがぽつりと呟いた。


「……来やがったか」


 防護壁の一部が真っ赤に変色していた。その赤みが徐々に広がっていく。


 やがて分厚い防護壁の一部分が完全に溶融して溶岩のようにどろりと落ち、そこから太陽の中心のように光り輝く片腕が現れた。防護壁に空いた小さな穴を起点にして、その腕が分厚い金属の壁をこじ開け始める。やがて人が通れるサイズの穴が空いて、がゆっくりと室内へと入ってきた。


 あまりにも眩しすぎて鈴蘭は彼女を直視できなかったが、その人物が徐々に体温を下げたおかげで、ようやくその姿を視認することができた。


 そこにいたのは、忘れもしない赤い悪魔。


 太陽と称されるスペースガールズ。

 灼熱の英雄――アレクシス・アッカーソンだった。


 彼女は朱い髪を揺らしながら、虚空へと呼びかける。


「見えない侵入者と聞いて真っ先に君の名前が浮かんだよ。いるんだろう、ローウェル? 少しぐらい姿を見せてくれないか? 攻撃なんてしないさ。久しぶりに友人の顔を見たいだけなんだ」

「ああ、いいぜ。テメェに復讐を果たす女の顔を目に焼きつけろ」


 隠蔽能力が解除される。アッカーソンはローウェルを見つめてほんの少しだけ頬を緩ませて、次いで、そのそばに立つ鈴蘭の存在に気がついて驚愕の表情を浮かべた。


「どうして君がここに? いや、それより、生きていてくれて本当に良かった」

 そう告げると、アッカーソンは深々と頭を下げた。

「どうして偽りの月に来たのかは後で問おう。それよりもまずは二人に謝らせて欲しい。ローウェル、あの日、イルミナを救えなくてすまなかった。私がもっと強ければと後悔しなかった日はない。鈴蘭くん、君に重篤な火傷を負わせてしまった。全ては私の不注意が招いた結果だ。本当に、すまない」


 深々と下げられたその頭から、言葉だけではなく心の底から反省してることが伝わる。だからこそ、その行為は鈴蘭の神経を逆撫でした。


「あたしに火傷を負わせたことなんてどうでもいい。それよりも、ノノは! お前が真っ先に謝るべきなのは、ノノを殺したことでしょ!」

「君の友人を奪ったという点では申し訳ないと感じている。しかし彼女はBIOSだった。人に危害を加える可能性があった以上、ああするしかなかった」

「ああするしかなかった? お前は――」


 アッカーソンへと詰め寄ろうとした鈴蘭をローウェルが片手で制した。


「今更謝罪なんて必要ない。どうせすぐにバレるだろうから言ってやる。オレたちはこの偽りの月を地球に落下させて、ISAの奴らを皆殺しにするつもりだ」

「偽りの月を地球に? 正気か? そんなことをすれば、地球で暮らす人々が何億人亡くなることか。それに、偽りの月がなくなればBIOSから地球を守れなくなるんだぞ」

「復讐なんだよ、これは。オマエらへのな」


 そのとき、メインシステムⅥから甲高い機械音が鳴った。


『メインシステムの乗っ取り、完了したよぉ。ひひ、それじゃさっそく偽りの月を地球へと向かって堕とすよぉ。全速前進!』


 推進装置が動作を開始し、鈴蘭たちがいる室内にも凄まじい振動と音が響き渡る。

しかしそのような振動を前にしても三人は微動だにしなかった。ただゆっくりとアッカーソンが額を押さえる。


「今の声、ニーナかな? そうか、彼女も元気そうで何よりだ。しかし彼女も関わっているとなると、偽りの月を堕とすというのはハッタリではないらしい。……ローウェル、どうか考え直してくれ。今ならまだ取り返しはつく。私は君を悪人にしたくはないんだ」

「残念だが、オレたちはもう悪だ。今更引き下がらない」


 その返答を受けて、アッカーソンは苦しそうに顔をしかめた。そんな二人の間を引き裂くように、施設内のスピーカーを通して第三者の声が響く。


『あの臆病な小娘風情がやってくれるじゃあないかい。アッカーソン、聞こえるかい? メインシステム全六基の操作権限が乗っ取られた。システムを復旧して推進装置を正常化するには数時間……いや、技術班の総力をあげたとして最低でも一時間はかかるさね。その間、何もしなければ仮に一時間後にシステムを取り戻したとしても落下速度が速すぎて止められなくなる。心底嫌だけれど背に腹は代えられないねぇ。偽りの月裏側の推進装置を全て破壊してくれるかい? そうすれば偽りの月の加速を抑えられるはずさね』


 承知した、と返答した後に、アッカーソンは鈴蘭とローウェルを一瞥した。


「君たちの思い通りにはさせない。偽りの月は人類を守る希望の星だ。私は人類の英雄として必ずやこの星を守ってみせる」


 次の瞬間、室内の温度が急上昇する。


 灼熱の英雄の体が徐々に輝きを増していき、やがて目標の温度に到達したのか、太陽のように輝く彼女はそのまま勢いよく天井をぶち破り、地表へと向かって飛翔していった。


「っ、師匠、急いでアイツを止めに行きましょう!」

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