第五章 天王星と冥王星⑦

 鈴蘭は動揺していた。

 

 彼女の刀は限りなく光速に近く、何物をも寸断する。先ほど戦闘した修道服の女もまったく見切れていなかった。この能力さえあればスペースガールズと互角以上に渡り合えるし、あのアレクシス・アッカーソンさえ倒せると考えていた。


(……だけど、違う。今、あたしの刀は敵にかすりもしていない)


 どれほど速かろうと関係ない。

 それ以前の段階で攻撃が予測されている。


『たった数か月訓練しただけの一般人に、スペースガールズどもは倒せない』

 

 かつて訓練中にローウェルから告げられた言葉が脳内にフラッシュバックする。


 刀を力強く握りしめていると、ゼノンのヘルメットがガパッと左右に大きく開いた。そこから一丁の大きなレーザー砲が現れる。

 咄嗟に鈴蘭はスペースフレームを駆動させて急旋回する。直後、先ほどまで彼女がいた位置を一筋の光が駆け抜けていった。


「ワオ、よく避けられたねっ! 弱っちいけどセンパイの弟子だけあるなー。感服感心」

「……何アンタ、化け物じゃん」

「あははは、オマエに言われたくないなぁ」


 床を這っていたゼノンの左腕が、鈴蘭の身体を指さす。


 先ほど火傷を負った鈴蘭の左腕は既に完治していて、破片が突き刺さっていた箇所も既に塞がっている。明らかに人間を超えた再生能力。そして、戦闘中という興奮状態で心拍数が上がっているからか鈴蘭の瞳は真紅に染まっていた。


「相変わらずカメラには何の映像も映らないけど、その他のセンサーが証明してくれているよ。常軌を逸した体温と並大抵のスペースガールズを超えるMRN値。ははーん、さてはオマエ、レベルⅢの細胞を取り入れたな?」


 ゼノン・クライシスの頭部を覆う湾曲ディスプレイが点滅する。


「ノヴァあたりは喜びそうなデータだけど、まあ、ボクにとってはどうでもいいや。ゼノンちゃんはもっともっと、も――――っっと遊びたいだけだし☆」


 ゼノン・クライシスの頭部と左腕から無数の銃弾が上空へと放たれる。

 スペースフレームで急旋回しながら鈴蘭は銃弾の雨を避け続けるが、しかしそれにも限度があり、複数の銃弾が彼女の肉体やスペースフレームにダメージを与えていく。


「……っ、このままじゃ勝てない」


 そのとき、鈴蘭の脳裏にローウェルと交わした言葉が蘇った。


『正面から堂々と戦う必要はない。姑息な手を使え。不意を打て』


 ああそうだ、と彼女は思い出す。

 つい自分の力に溺れて相手を正面から叩きのめそうとしていた。

 そんな必要は一切ないのに。


「どんな手を使ってでも、相手を排除すればいい」


 冷静さを取り戻した彼女は、宇宙空間をぐるりと旋回しながら状況を確認した。


 今この場にあるのは、巡行ロケット二基とそれに付随する整備機械。

 ゼノンはローウェルの能力で鈴蘭を視認できず、MRN値を測定するセンサーを頼りに動きを追っている。


「もっと、もっと思考を巡らせろ……もっと!」


 これまでのゼノンの台詞を思い返していき、鈴蘭は一つの違和感に気づいた。


(どうして最初にロケットを爆発させたとき、こいつは師匠が乗り込もうとしていたロケットじゃなくて別の機体を攻撃した? 三択を外したって言っていたけど、膨大なデータを駆使してあたしの動きを予測できる奴が、旧知の間柄である師匠の動きを予測できなかった?)


「それなら……」


 KAGUYAを旋回させて鈴蘭は、ローウェルの添乗しているロケットとゼノン・クライシスを結ぶ直線上に移動した。一瞬だけゼノンの攻撃にためらいが生まれる。


 やっぱり予想通りだ、と鈴蘭は確信を得つつ、隙の生まれたゼノンへと一気に肉薄する。


 刀を鞘から抜いて、目にも止まらぬ速度でそれを振るう――。

 と同時に、鈴蘭の動きを予測したゼノンが身体を大きく捻った。


(大丈夫。さっきとは違う。こんな動きをするなんて絶対に予測できないはず)


 ゼノンの身体に刀は当たらなかった。

 しかし刀は鈴蘭の狙い通りの物体を切断していた。


「な――――――っ!」


 ゼノン・クライシスの絶句したような電子音声が鈴蘭の耳へと届く。


 刀は鈴蘭の身体を縦一文字に斬っていた。皮膚が切れて、肉が裂けて、大量の血が溢れ出す。噴水のような血しぶきは地面に落ちることなく、無重力であるために無数の細かい水球となってゼノンの周囲を覆いつくす。


「アハハハハ! これが化け物の戦闘スタイルか! ただのスペースガールズにはとても真似できないね! そして、この状況を制するのにこの上なく効果的だ!」


 狙いに気づいたらしいゼノン・クライシスがヘルメットの画面を青色に点滅させながら喝采を告げる。そんな彼女の首を鈴蘭は切断した。


 胴体から切り離されてぽつりと宇宙に漂うゼノンの頭部を見ながら、鈴蘭は息を吐いた。


「良かった。予想通り、血液があたしの姿を隠してくれたみたい」


 膨大なデータを用いて動きを予測するとは言っても、自分の身体を縦一文字に斬るという行動のデータはないだろう。ゆえに自身を斬るという行為は予測できなかったはずだし、その後の動きについてもゼノンの周りを覆った血液の粒が邪魔をしてMRN値を測定できなかったはずだ。いくら動きを予測するといっても、完全に見失った相手がどのタイミングでどこから攻撃してくるかを完璧に的中できるわけがない。


 戦いに勝利した鈴蘭はふぅと息を吐いた。しかし次の瞬間、視界の隅にピカリとした光が映り、鈴蘭の左腕がレーザーで撃ち抜かれていた。


「っ……!」


 攻撃された方向へと視線を向ける。すると、切断されたはずのゼノンの頭部が宙にぽつんと浮かんでいて、そこに内蔵されたレーザー銃が鈴蘭のほうを向いていた。


「やっぱり経験が浅いね。最後まで油断しちゃ駄目だよ、スズランちゃん♪」

「な、なんで? もう頭しか残ってないのに」

「超人的な回復力を有するのは自分だけだとでも? 実はボクも――なんて、あははは、冗談冗談! ボクはオマエみたいに化け物じゃない、身体能力は平均以下のスペースガールズだからね。じゃあなんで生きているのかって? 答えは――これだよ」


 ゼノン・クライシスの首の切断面が鈴蘭の視界に入る。


 そこにあったのは気管支や血管などではなく、無数のケーブル。


 愉快そうな声音でゼノンは電子音を奏でる。


「ボクはスペースガールズで唯一、人型のスペースフレームを遠隔操作して戦うスペースガールズなんだよ。この機体はボクが所有する一五番目のスペースフレーム。ゼノンちゃん本人は今、冷房の効いた部屋でジュースを飲んでいるよん。ドッキリ大成功って感じ? あははははははっっ!」


 ゼノン・クライシスの頭部から、冷ややかな電子音声が響く。


「だから言ったでしょ? これはただのアソビだって――」


 得体の知れない存在に出くわした薄気味悪い感覚が、鈴蘭の全身を駆け抜けた。


(これが、師匠よりも強いっていう、スペースガールズ最強の一角……)


「それにしても驚いたのは鈴蘭ちゃんの行動だよ。途中、わざとセンパイが乗り込んでるロケットの射線上に移動したでしょ? もしボクがあのまま撃ってたらどうするの?」

「それは、データで動きを予測できるって言ってたのに師匠が乗り込んだロケットを間違えたり、あたしとの戦いの最中もロケットの方向は全然攻撃してなかったから、この人は師匠を殺すつもりないんじゃないかと思って」

「あははは、なるほど。うん、そうだね、殺すつもりはゼロだったよ。ボクは遊びにきただけだし、知り合いを殺すとか後味悪いことはしたくなかったからね、うん。それからどんな結末になろうと、一期生センパイ同士の因縁は一期生センパイ同士で晴らすべきだと思うんだよ」


 そこまで語った後に、切断された頭部は名残惜しそうに宙を眺めた。


「ああ、そろそろバッテリーが切れそう。それじゃ鈴蘭ちゃん、また機会があれば一緒に遊ぼう。そうそう、もし他のスペースガールズに捕まったら、ゼノンは本気で戦ってたって言ってね? くれぐれも遊びで見逃してくれたとか言っちゃ駄目だよ?」


 あははははは、と笑う彼女の電子音声が嫌でも鈴蘭の耳に響く。


 戦いは制した。しかし勝利の余韻は一切なく、鈴蘭は己の弱さと、これから戦いを挑む相手の強大さを再認識していた。


 ***


 一〇年前。


 ゼノン・クライシスがスペースガールズ候補生としてISAに配属されたとき、彼女の先輩である一期生同士は決して仲が良くなかった。太陽ザ・サンことアレクシス・アッカーソンは人類を守護するという目標を重視しすぎて周囲から浮いていたし、水星は一言も話さないし、火星はやる気がなく、地球と海王星は何か企んでいる怪しさがあった。


『だから、どれだけ部屋が汚かろうとテメェには関係ねェだろうが!』

『掃除は衛生面の管理に重要よ! アタシたちは人類を守護しないといけないんだから、いざというときに病気になってちゃ駄目でしょ。小さなところから気を使わないと! さあ、掃除するわよ!』

『ああああああ! だから勝手にオレの部屋に入るんじゃねェ!』


 そして天王星と冥王星――イルミナとローウェルは毎日喧嘩していた。


 ゼノンにとって、一期生は不思議な存在だった。

 個々の個性が強すぎて意見の相違や対立も多く、仲睦まじい姿は一度も見たことがない。しかし彼女たちは過酷な訓練を共に乗り越えてきたからか、いざという時には見事な連携をみせるし、言葉を交わさなくても意思疎通できているかのように振る舞うことがあった。例えるなら、大きさや形の違う一〇個の歯車が奇跡的に嚙み合って動作しているような間柄。


 しかし月の悲劇によって、彼女たちの関係性は変わってしまった。


『……アッカーソン。イルミナは、ここで死んでいい人間じゃなかった。アイツは、この先も、もっともっと輝くべき、存在だった』

『………………』


 月面での任務を終えて衛星軌道基地に帰投した一期生をゼノンが出迎えたとき、ローウェルは見たこともないほど憔悴しきっていて、身体は痣だらけで何箇所も骨折していて、アッカーソンに支えてもらわないと歩くことすらできなかった。


『なァ、アッカーソン。テメェは英雄になるんだろうな。一六万人を救った大英雄だ。だけどアイツは違う。アイツは死んじまった。アイツは、テメェの栄光の影に隠れて、ひっそりと忘れられていく。こんなところで消えていい奴じゃ、なかったのに』

『彼女の意思は、私が引き継いでいく』

『ッ、何が、意思を引き継ぐだッ! テメェはアイツを救わなかった! 一般人と天秤にかけてイルミナを見捨てた! なんでだ。なんで、アイツを救ってくれなかった!?』


『私たちに課せられたのは民衆を救助することだ。彼女を救いに行けば、その間に多くの人々が犠牲になっていた』

『テメェも知ってんだろ? アイツがどれほど過酷な訓練してきたか。人体実験まがいの地獄だ。その結果がこれか? 一人で戦地の奥底に出向いて、仲間に見捨てられて孤独に死ぬ。こんなのが、アイツの最期で許されるのかよ!?』


『私たちはそのために生きている。誰かを守るために訓練に励んで、誰かを守るために死ぬ。楽に死ねるとは限らない。誰かに看取ってもらえるとも限らない。それでも私たちは戦わなければならないんだ。それが、力ある者の使命だ』

『…………ッ! そんなの、間違ってんだろ。そんな組織正しいわけがねェ。この先も、イルミナみたいな奴を出し続けるのか? 必死に人生を捧げて、誰かの為に犠牲になって、報われない、そんな奴らを量産するのか? 使い潰していくのか!?』


『それが人類わたしたちが直面している課題だッ! 正しいわけがない、そんなこと分かっているッ! だがそれでも、そうやって歩み続けるしかないんだッ! 分かれよ、ローウェルッッ!』


 それは、後に灼熱の英雄と呼ばれることになるアレクシス・アッカーソンが初めて発した怒声だった。


 彼女たち二人は殴り合い、取っ組み合いの喧嘩を始める。

 その場にいた職員たちが群がって二人を引き剥がす。床へと押さえつけられながらもローウェルは暴れ続けて、アッカーソンを睨みつけて叫んだ。


『例えそれでも、オレはイルミナを犠牲にしたこの組織を許さないッ! アイツを犠牲にして進んでいくこの世界を許せない。そんな方法でしか進んでいけないのなら、こんな世界、潰れちまえばいいッ!』


 ***


 当時の記憶を思い出しながら、宇宙空間にぽつりと浮遊したゼノンの頭が呟く。


「あのとき一〇代だったセンパイたちが、一〇年の時を経て大人になって、どういう決着をつけるのか。きっと良い結末にはならないんでしょうね。あははは、でも、当事者たちが納得のいく結末になれば、いいなぁ」


 何度も何度も衝突しながら納得のいくまでお互いの意見をぶつけ合う――そんなセンパイたちが好きだったんですよ、とゼノンは心のなかで思った。

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