第五章 天王星と冥王星⑤

 その後も彼女たちは他愛もない話を続けて、やがて、そのときがやってきた。


 二週間に渡って微かに鳴り響いていた駆動音が静止し、『静止軌道衛星、到着です』という電子音声がフロア全体に響き渡った。


「いよいよですね」

「ああ、そうだな」


 鈴蘭とローウェルは互いに頷き合いながら、開かれたゲートをくぐる。


 鈴蘭にとって、初めての宇宙空間。初めての地球外。


 扉の先にあったのは広々とした空間だった。

 ジャンボジェット機を三機は置けそうな広い空間に巨大コンテナが積み上げられていて、数十人に及ぶスタッフたちが慌ただしくそれを右から左へ、上から下へと移動させている。


「ここは備蓄庫だ。今からオレたちはここを抜けて、衛星軌道基地の上部に整備された発射場へと向かい、そこにある巡行ロケットを奪って偽りの月へと向かう。どこかに隠れながら移動する必要はねェ。堂々と歩け。誰かが正面からやってきてもビビるな」


 簡単には頷けない指示をしたのちに、ローウェルが歩き出した。


「ただし、絶対に物音だけは発するな」


 ***


 明らかに異様だった。

 狭い通路を鈴蘭たちが進んでいると、正面から男性職員二名が歩いてきた。刀に手をかけた鈴蘭をローウェルは無言で制する。そのまま廊下の端で静かにしていると、男性職員二人は鈴蘭たちに目もくれず、談笑しながらすぐ横を通り過ぎていった。


(ISAの職員と誤認した? いや違う、明らかに彼らの視界にあたしたちはいなかった)


 周囲に人がいなくなったのちに、ローウェルが鈴蘭へと小声で耳打ちする。


「おい弟子、人が物をどうやって視認するか知っているか?」

「えーっと確かアレでしょ? 物に当たって跳ね返った光が網膜に入ることで、人は物を認識しているんでしょ?」

「正解だ。なら他人の網膜に入る光を操作することで、都合のいい物体だけを見せられると思わねェか? 例えば、オレたちの存在を消した光景だったりな」

「それが師匠の能力ってこと?」

「正確には、能力の一部だ」


 ローウェルは廊下を再び歩き出した。

 鈴蘭は駆け足で彼女を追いかける。もう少し深堀りしたかったが、悠長にお話を続けている暇はなかった。


 やがて彼女たちは職員が大勢いる作戦指令室にたどり着いた。

 堂々と作戦指令室のど真ん中まで歩み寄り、部屋の中央に映し出されたホログラム映像の目の前に立つ。


 投影されていたのは衛星軌道上基地の全体図。

 赤色の小さい丸印がいくつかプロットされていて、そこに引き出し線で少女たちの顔写真が載っている。どうやらスペースガールズの配置場所をリアルタイムで表示するシステムのようだった。


 ローウェルの表情に険しさが浮かぶ。


 彼女は、中央電算室と銘打たれた部屋に配置されている少女――いや、正確にはそれが少女かどうかも分からない、黒いヘルメットで顔を覆った人物の顔写真を見つめながら、そこに書かれた文字を小さな声で読み上げた。


「ゼノン・クライシス。いるのか、奴が」


 そのとき室内の通信装置がプルルルと鳴り響いた。

 役職の高そうな男が受話器に耳を押し当てて、しばらく訝しげに会話したのちにぽつりと言葉を漏らす。


「何? 鼠が紛れ込んでいる?」


 そして男は怪訝な顔をしながら、ゆっくりと鈴蘭たちのほうへと向けて銃口を構えた。


「――――――ッ!」


 鈴蘭はぐいっとローウェルに身体を引き寄せられる。直後、発砲音。

 銃弾が鈴蘭の腕を掠めて少量の血が床へと滴り落ちた。

 その血を見つめて、受話器を握りしめた男が呟く。


「いるな、確かに。鼠が」


 再度、男が銃口を構えるのを見て、ローウェルが鈴蘭の耳元で小さく囁く。


「急ぐぞ、弟子。しっかりついてこい」


 作戦司令室を飛び出して廊下を駆ける。

 警報アラートが鳴り響いているが追っ手の気配はない。雰囲気から察するに、敵の姿が見えないためにISA内で混乱が生じているようだった。


「ニーナ、発射場までのナビゲートを頼む。それから巡行ロケットの解除キー準備も」

『オッケー! し、下準備は全部このニーナちゃんに任せて! 二人は、は、発射場にたどり着くことに専念してね』


 そのとき、目の前の廊下の曲がり角から修道服を纏った長身の女が姿を現した。

 彼女は鈴蘭たちの進路を塞ぐように廊下の中心に立ち止まり、白と黒を基調とするスペースフレームを自身の周囲に展開した。


「ゼノン・クライシス様の仰る通り、姿形は見えないのにスペースフレームの熱源センサーは姿なき敵を検知していますわね。ああ怖い。まるで人に仇為す悪霊のよう」


 そう嘆いた後、彼女は十字架を象ったチェーンソー型の武器を取り出した。

 その刃を高速回転させながら怪しげに瞳を輝かせる。


「師匠、アレもメインウェポンなんですか?」

「らしいな。なかなかイカしたセンスだ。オレの時代にも欲しかった」

「師匠って中学二年生みたいな嗜好してますよね」


 しかし問題はそこではない。

 修道服の女は依然として鈴蘭たちの姿を視認できていないものの、センサーを使って彼女たちの位置を明確に把握している。撒いて逃げることはできない。


 となると、選択肢は一つ。


 白銀のネックレスに触れながら、鈴蘭は小さく囁いた。


「ウェーブ・トランス・マテリアルズ」


 その言葉に呼応して、彼女の周囲に白銀の粒子が集い始める。それらは徐々に兵装を形成していき、やがて白銀のスペースフレーム〝KAGUYA〟が現れる。


 鈴蘭が漆黒の刀を引き抜くと同時、チェーンソーを構えた修道服の女が駆け出した。


「ああ、わたくしは悲しい。人々が争うことを神は望んでおられません。けれど不法侵入は立派な悪。悪は断罪せねばなりません。本来、この刃は人類を救済するために振るうものなれど、今だけはこの罪人を裁くために使用することをお許しください、我が主よ」


 ギィィィンと不快な音を立てて高速回転する刃が鈴蘭へと迫る。後方へ退くことで攻撃を回避するが、床にチェーンソーの刃が接触したことで激しい火花が散り、胞子のように鈴蘭へと降り注いだ。


「くっ……! 邪魔くさい!」


 不可視シールドのおかげで火の粉は鈴蘭まで届かないものの、激しい閃光と煙幕によって視界が覆われる。顔をしかめた瞬間、いつの間にか接近していた修道服の女が煙幕のベールを切り裂きながらチェーンソーを鈴蘭へと振り下ろしてきた。

「ッ……!」と、間一髪のところで回避すると同時、激しい金切り音とともに金属製の床が切断される。


「なァ、弟子。初めてオレ以外と戦った感想はどうだ?」

「思ったより手強いです。でも師匠に比べたら全然弱い。勝てない相手じゃない」

「ハッ、言うじゃねェか。時間は惜しいが訓練代わりだ。テメェ一人でコイツを倒せ」

「言われなくてもそのつもりです」


 ギィィィンと甲高い不協和音を出しながら修道服の女がチェーンソーを振り回す。壁が切断され、天井が傷だらけになり、電灯が砕け散る。ひとたびその攻撃を喰らえば命の保証はない。


 狭い廊下のため左右に避ける隙間はなく、武器を振り回されるたびに鈴蘭は後退するしかなかった。


「無益な殺生は好みません。ですからどうか、この刃を受け止めようなどと考えないでくださいね、名も顔も知らぬ侵入者様。この刃は神羅万象あらゆる物を切断しますので」

「……へぇ、神羅万象? ふふ」

「何が可笑しいのです?」

「いや、あらゆるものを切断するって、そんなチェーンソーごときで本当に何でも斬れるの? 例えば、あのアレクシス・アッカーソンも斬れる?」

「なんておぞましい妄想を……。人類のために戦いつづける尊い先輩を斬るだなんて」

「なに、できないの? ふぅん、あたしはできるよ。そのために地獄を乗り越えたんだから」

「妄言を発するのは現実を知ってからにしなさい! 何者かは存じませんが、貴女のような卑怯な侵入者に、私たちは倒せませんっ!」


 回転する刃が鈴蘭へと差し迫る。

 直撃すれば頭蓋骨は割られて刃の回転とともに脳漿が飛び散るだろう。しかし鈴蘭にはそうならない自信があった。姿勢を低くして、彼女は両脚に力を込める。そして刀を鞘から引き抜いた。


「抜刀――『空花乱墜 一花・桔梗』」


 黒曜石のように美しい漆黒の刀身。

 その周りには、青白い燐光が瞬いている。


 その刀は鈴蘭の特殊能力によって空気抵抗を一切受けることなく光速に限りなく近い速度で軌跡を描く。彼女の腕の動きに従って刀は虚空を舞い、そして、迫りくるチェーンソーの刃をすっとすり抜けた。


 何かを破壊した手ごたえはない。無を斬ったような軽さだけが鈴蘭の五指に伝わる。しかしこれで問題はない。彼女は漆黒の刀身を鞘へと納めた。


「一体、何を……?」


 刀の軌跡は追えずとも、鈴蘭が何かしたことには気づいた修道服の女が怪訝そうに眉を寄せる。と同時に、彼女の握るチェーンソーが真っ二つに折れた。


「なっ――、私のメインウェポンが!?」


 ――絶対切断。


 それが鈴蘭に開花した能力だった。


 全ての物質やエネルギーはそれぞれ特有の波長の中に存在する。

 人間は自分と近しい波長の物体やエネルギーは認識できるが、大きく異なる波長の中に存在する物体は認識できないし、干渉すらできない。彼女の能力は、刀に接触した物体・エネルギーの波長を強制的に変更することで、人間には干渉できない物体に変換するというものだった。


 世界最硬度の合金も核融合中の物質ですら、この刀に接触した部分を未知の物質に変換していくことで真っ二つにできる。どんなに超高温で発熱する物体を斬ったとしても、そこから伝わる熱エネルギーすら変換するためこの刀には一切のダメージが入らない。


 かつて、星空を見上げながら語ったノノの言葉が鈴蘭の脳裏をよぎる。


『――波長が合った。二人の仲に流れる波が、ノノとスズランを惹き合わせてくれタの』


 能力訓練を始めたとき、鈴蘭が渇望したのは二つだった。


 どうせなら、ノノと惹き合わせてくれた波長に関係する能力が欲しい。

 そして、あの灼熱の悪魔を殺せる能力が欲しい。


「この能力は、ノノへの想いとアッカーソンへの復讐心から生まれた。核融合で燃え続けるアイツを斬るための能力なんだから、そんな金属製の武器なんて紙屑も同然よ」


 真っ二つにされたチェーンソーを見下ろして唖然としている修道服の女へとそう吐き捨てると、鈴蘭はローウェルのほうへと向き直って一歩足を進めた。


 そのとき、小さな閃光が瞬いた。


 ローウェルが二丁の拳銃型メインウェポンを構えていた。

 鈴蘭の背後から短い苦悶の声が上がる。振り返ると、いつの間にか鈴蘭の背後に接近していた修道服の女がチェーンソーの折れた刃を握りしめながら、横腹を押さえて床に膝をついていた。どうやら背後から鈴蘭を襲おうとしていたらしい。


「クソ弟子。いつオレが、敵に背を向けてもいいって教えた?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る