第五章 天王星と冥王星④

「本当に何の変装もしなくていいの?」

「ああ、そのまま堂々としてろ」


 どこかに隠れたり変装をすることもなく、鈴蘭たちは人工島へと向かう船に乗り込んでいた。


 遥か先の海上に、細長い塔のようなものが見える。


 ――宇宙エレベーター。


 地球と衛星軌道基地を結ぶそのチューブは、宇宙ロケットの発射が禁止されている現代において地球と宇宙を結ぶ唯一の架け橋だった。


 やがて、宇宙エレベーターの入口となっている人工島へと船が近づいていく。

 港近辺に銃を構えた複数の軍人が配置されているのを見て鈴蘭は息を呑んだ。

 しかし彼女の緊張とは裏腹にローウェルは平然とした顔で軍人へと偽造した身分証と入島許可証を見せる。鈴蘭もそれに続き、いくつかの質問に受け答えするとあっさり上陸できた。


「なんでこんなにも簡単に通れるの? 身分証の顔写真だって全然違うのに。もしかしてUDHのスタッフを事前に紛れ込ませてるとか?」


 こっそり質問すると、顔面を思いっきり殴られた。


「誰に何を聞かれてるか分からねェ、黙ってろ。答えならそのうち教えてやる」

「ほんとマジで最悪、この師匠。殴る必要ないじゃん」


 その後も特に問題は起こらず、すんなりと宇宙エレベーターの昇降機内に侵入することができた。

 通常、スペースガールズが地球から衛星軌道基地に向かうときは人員輸送用の居住空間付きユニットを利用するが、今回二人が忍び込んだのは食糧や生活用品、研究素材が積み込まれている物資輸送用ユニットだった。


『ひひ、無事に潜入できたみたいだにぇ。こっちから一つだけ連絡だよ。BIOSの活動が想定よりも活発化してる。あと二週間もせずに大星団がはじまっちゃうにぇ』

「宇宙エレベーターが衛星軌道基地に到達するのと同時ぐらいだな。基地にたどり着いたら、そこから先は時間との勝負か」

『そうだにぇ。まあ二週間は何もできないわけだし? それまでは二人で宇宙への旅を楽しみなよ。何かあればまた連絡するにぇ。ハバナイスデイ~』


 やがて駆動音が響きはじめて妙な浮遊感が沸き上がった。壁に設置されたディスプレイに昇降機の外の映像が映し出される。海面からどんどんと遠ざかり、雲を抜けて成層圏へと向かっていく光景を眺めて、鈴蘭はぽつりとつぶやいた。


「宇宙、か。……ノノと一緒に行きたかったなぁ」

「そういえばソイツがどんな奴か、オマエからまだ聞いたことなかったな。テメェがそんなにも執着心を抱くほど、ソイツは良い奴だったのか?」

「うーん、どうなんだろ。良い奴……とはちょっと違うかも。凄い変態だったし。でもあの子は誰よりもあたしを愛してくれたし、守ろうとしてくれた。それから、あたしに自由を教えてくれたの」


 そして鈴蘭は語った。

 ノノと共に歩んだ愛おしい日々を。彼女が現れて、いかに生活が輝きだしたか。

 全てを聞き終えたローウェルは、珍しく愉快そうに笑った。


「はっ、面白ェ奴だな。一度会ってみたかったぜ」

「ふふ、でしょ? 本当に面白い子だったんだから。……ねぇ、そっちこそ、聞かせてよ。イルミナさんについて」


 その話題を振るのは初めてだった。

 今まで気にはなっていたが触れることができなかった過去。

 ローウェルの眉がぴくりと動く。怒りだすのではないかと鈴蘭は危惧したが、しかし意に反してローウェルはどこかほっとしたような表情で語り始めた。


「ああそうだな。テメェには話しておこう。共犯者であるオマエにはな」

          

 ***


 ローウェルがBIOSの細胞を受け入れたのは、彼女が一三歳のときだった。


『BIOSから抽出した活性化細胞を君の身体に注入する。これまでの動物実験より女性のほうが適合率は高く、肉体は幼いほど良いことが分かっている。君の幹細胞から造った人工臓器を用いた実験から、君の適合率は87.2%、臓器損傷率は0.082%と推定される。死亡リスクは低いが後遺症が残る可能性はある。それでも君はこの注射を受け入れるかい?』

『ごちゃごちゃうっせーな、説明されてもわかんねェよ。さっさと注射しろ』


 当時はスペースガールズという言葉すらまだなく、BIOSの細胞を人体へ注入する実験は極秘で行われていた。

 公にはできない研究故に、被検体には児童養護施設で暮らす身寄りのない児童たちが選ばれていた。世界各国から適性を有する児童を見つけ次第スカウトし、数週間かけて活性化細胞との相性を検証して、適合率が低そうであれば養護施設へ送り返す。もし相性が良ければ活性化細胞を注入して、研究施設内で容体を確認しながら観察生活を送る。


 ローウェルは望んでこの実験に参加していた。


 彼女は終わりなき紛争を繰り返す泥沼国家の反政府組織内で生まれて、物心ついた頃から銃を握りしめて少女兵として酷使されて、組織壊滅と同時に国際児童保護団体に保護された過去を有していた。

 紛争地で明日の我が身だけを考えて生きてきた彼女にとって養護施設は居心地が悪く、一刻も早く自立したいと考えていた。誰かの力を借りることなく生きていけるようになりたいと。そんなある日、実験に協力すれば多額の謝礼とともに施設を抜け出せると聞いて、彼女は人体実験まがいの注射を受け入れたのだった。


『あああああああああああああっっ!』


 全身の細胞を書き換えられる感覚は名状しがたいものだった。現在は改良されたものの当時は身体への負荷が甚大で、ローウェルは二週間以上も四〇度近い発熱と激痛に悩まされて、二四時間の看視と点滴がなければ絶命しているところだった。


 副反応が収まりようやく一人で歩けるようになった頃、彼女が研究施設の廊下を歩いていると前方で揉めている集団を見かけた。近づいてみると、大声で喚いて暴れる一人の少女を大勢の職員たちが取り囲んでいた。


『……マジかよ』


 ローウェルは当初、嫌がる少女を大人たちが無理やり処置室へ連れて行こうとしているのだと思った。しかし彼らに近づくにつれて事情が違うことが分かった。


『適性が低いから注射はできないってなに!? 死亡リスクが高いから何なの!? アタシは死んでもいいって言ってるのよ! だから注射を打ってよ!』

『いやだから、事前の検査で君の場合は一二%の確率で死んでしまうって判明したんだ。そんな子に処置はできないよ』

『それでもアタシは注射を打たないといけないのよ! 死んでも構わないわ、そうじゃないと妹の治療費が足りないの!』


 ローウェルには彼女の存在が信じられなかった。妹を救いたい気持ちは理解できないでもなかったが、そのためなら死んでも構わないなんて。

 あまりにも驚きすぎて、関わる必要もなかったのにポロっと口を挟んでしまった。


『オマエの想像以上にキツイぞ。妹が死ぬぐらい別にいいだろ。諦めろよ』


 その瞬間、ローウェルは銀髪の少女に右頬を思いっきりぶん殴られた。


『妹が死ぬぐらい!? ふっざけんじゃないわよ、誰よアンタ!』

『痛ってーなッ! テメェのために忠告してやったんだろうが!』


 そして取っ組み合いの喧嘩がはじまる。

 これが、ローウェルとイルミナの出会いだった。


 それから数日後、イルミナはBIOSの活性化細胞を受け入れた。

 後に聞いた話によると適性の低い人間でも活性化細胞を受け入れられるようにするための実験が同時進行していたらしく、彼女はその被験者に選ばれたのだった。


 かくしてこの初期実験に参加した一〇人の少女たちには固有能力が発現した。


 ISAの前身となる組織の監視下にて、彼女たちは対BIOS戦闘における有効性を示すため訓練施設で共同生活を送ることになった。多くの者は目覚ましい成果を上げていくが、しかしイルミナだけは組織の期待に応えられずにいた。


 訓練施設で暮らすようになってから一年後。

 ローウェルは目の前の地面に寝転がったイルミナを見下ろしていた。


『いい加減に諦めろ。それがテメェの能力の限界だ』

『アタシの限界はアタシが決めるわ! これはまだ限界じゃない!』


 荒い息を繰り返しながらイルミナが反論する。


 波を操る能力――それが彼女に発言した能力だった。


『テメェは音や光の波長を変えることしかできない。どう考えても戦闘向きじゃねェ。戦いはオレやアッカーソンに任せて、オマエは裏方に徹したほうが』

『そんなのできない。いつまたBIOSが地球に来襲するか分からないのよ? そんなときに戦えないなんて嫌。アタシだって戦えるようにならないと』


 彼女はふらつきながら立ち上がると増幅装置から伸びるコードを全身に装着した。そして研究員へと向かって合図を出して、再度、能力の限界を超えるための実験を行う。


『う、ぐ、あああああああああっっ!』


 イルミナが叫び声をあげながら両腕を前方へと突き出す。

 その二メートル先にはBIOSを模した的がある。しかし、数秒待っても何も起こらない。やがてイルミナの鼻から血が流れて実験が中断された。再び、彼女が地面に倒れる。


 先ほどから行っているのは、機器から流れ込むエネルギーをイルミナの能力でマイクロ波に変換することで、電子レンジと同じ原理で敵に攻撃できないかという試行だった。


『……やめちまえよ、こんな実験』


 そんな想いが漏れるが、しかし、そんな言葉を投げたところで止まる人物でないことは重々承知している。施設で出会ってからの一年間で、彼女が想像以上の頑固者で自己犠牲を厭わない性格であることは嫌というほど思い知っていた。


『お姉ちゃん!』


 離れた位置からイルミナの妹が駆け寄ってくる。多額の治療費をもとに病気を克服した彼女は、部外者でありながら例外的にイルミナとともにこの施設で暮らすことを許されていた。


『お姉ちゃん、もうこんな実験やめてよ。お姉ちゃんが死んじゃう!』

『でもアタシは、戦えるようにならないと。せっかくこんな能力を貰ったんだから。何か、この能力を活かす方法を――』

『ならわたしが一生懸命考えるから! だから、身体を痛めつける実験はもうやめて!』


 愛する妹の涙には勝てなかったらしく、その日からイルミナは肉体に負荷がかかる実験をやめた。しかしその代わりに、寝る間も惜しんで波を操る能力について様々な視点から研究を行い始めた。発動条件、対象物質、能力によって物質にどのような影響を及ぼせるか。


 その頃には彼女の妹も頭角を現し始めて、姉を守るために必死に勉強をして世界最高峰の頭脳を有する研究員たちにも引けを取らないほど聡明になっていた。

 そしてイルミナと妹は、能力発動時に短時間だけ観測される不可解なデータから、世界は波でできているという波長理論を導き出した。

      

 ***


「……で、そんな努力家なイルミナさんに惚れちゃったわけですか?」


 ローウェルが近くにあった備品を握って鈴蘭へとぶん投げる。とても冗談に思えない剛速球だった。日頃の訓練がなければ避けられていないだろう。


「まあ、そうだ。自分が生きるためにスペースガールズになったオレと違って、アイツは誰かのために過酷な訓練に挑んで戦い続けていた。当時は喧嘩ばかりしていたが、きっとオレは誰かのために一生懸命になれるアイツに惹かれていたんだ」


 ローウェルの口元には、珍しく小さな笑みが浮かんでいた。


 その後も二人はいろんな話をした。

 ノノと一緒に行った温泉地での騒動、部屋が汚いから掃除しなさいとイルミナに説教された話、そしてそれを無視した結果ローウェルとイルミナが本気で殴り合うことになったエピソード。


 そして話は回りに回り、やがて敵についての話になる。


「テメェは、最強のスペースガールズは誰だと思う?」

「アレクシス・アッカーソンじゃないの?」

「ああ、アイツは間違いなく最強の一角だ。能力、知性、肉体、精神……どれをとっても一級品で、非の打ちどころがない。だが、能力だけで言うなら奴は最強じゃない。知性にしても肉体にしても、それ単一でならあの赤いクソ野郎を上回る奴らがいる。能力に関して言うなら〝仮面の守護者〟一期生のゾフィー・グラッツェル、知性なら二期生のゼノン・クライシス、肉体は二期生のシャーロット・エヴァーグリーン。アイツらは一〇年前から化け物だった。この四人だけは絶対に正攻法で倒せない」

「ふーん、そこまで言うなんて珍しい」

「今回の計画、もし潰される可能性があるとしたらこの四人だ。こいつらは不可能を可能にする。こいつらに出会ったら、迷わず逃げろ」

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