第五章 天王星と冥王星①

 宇宙空間にぽつりと浮かんだ人工の月。


 その内部に造られた研究室において、アレクシス・アッカーソンは自身の両手を覆う白手袋を外し、ノヴァ・フォン・ブラウンへと披露した。その指先をじっくりと確認しながら、ノヴァ開発局長は無表情のまま深く息を吐く。


「予想通り、進行しているねぇ」


 机の上に置かれたアッカーソンの両手は、いずれの指も第一関節もしくは第二関節から先が欠損していて、その断面は鈍い色を放つ金属に覆われていた。

 まだ人間らしい肌に覆われたままの彼女の手のひら部分に触れながら、ノヴァ開発局長は尋ねる。


「触感はあるのかい? 痛みは?」

「……手のひらの触感はもうほとんどない。痛みはあるよ。無数の小さな針が手のひらの内部で暴れているような感じさ」

「それは激痛って言うんだよ」


 白衣の内側から取り出した錠剤タイプの鎮痛剤を机に置きながら、ノヴァは告げる。


「核融合っていうのは軽い原子核同士が結合して、より重い原子核に変化することを言うさね。この変化反応の過程で莫大なエネルギーが放出される。より重い原子核への変化を繰り返していくと最終的には鉄に変貌し、それ以上の核融合反応はできなくなる。……お前は能力によって体内で核融合反応を起こせるけれども、永遠に行使できるわけじゃあない」

「ああ、そうだな」

「こう言っちゃあなんだけれど、一期生と二期生は実験体のようなものだからねぇ。長くは生きられないさね。このまま戦い続ければいつかお前の身体は限界を迎えて死を迎える。少しでも長生きしたいなら、今後能力は一切使わず隠居生活することをオススメするさね」

「私が引退するのはBIOSを殲滅したときだけだ。墓標にそう誓ったからね」


 白手袋を装着しながらアッカーソンはそう漏らす。

 そんな彼女へと「ああ、そうかい」と無表情で返答した後に、ノヴァ開発局長はアッカーソンの瞳をじっと見つめた。


「ところで話は変わるけれども。古い友人のよしみで教えておくれよ。宵野鈴蘭だったかい? レベルⅢと一緒にいたっていう若造、今どこにいるんだい?」

「知るわけないだろう。私のほうが知りたいぐらいだ」

「………………」


 感情の読めない無機質な瞳でノヴァ開発局長にじっと見つめられて、アッカーソンは思わず背筋を少しだけ伸ばす。しかし圧には屈しまいと少しだけ声を張って淡々と事実を告げた。


「戦略事務局の伝手を使って、重傷を負わせてしまった彼女を捜しているのは事実だ。しかし結局、彼女がどこにいるのかも、そもそも生きてくれているのかも把握できていない」

「……嘘は言っていないみたいだねぇ。残念だよ」


 ノヴァ局長は無機質な表情のまま、右手に掴んだ杖をぎりぎりと握りしめた。


「レベルⅢの細胞。宵野鈴蘭の身体にはそれが残っているかもしれない。私はそれが欲しくて欲しくて堪らないのさ。アレは可能性の塊だよ。アレがあれば新世代のスペースガールズを造りだすことだって夢じゃあない。人類の新たな未来を切り開けるかも知れないんだからねぇ」


 ノヴァ局長は研究室の奥へと向かって歩きながら、杖で床をコツコツと叩く。


「人類の宇宙進出はBIOSに阻まれて大きく停滞している。それなのに世界人口は増え続けてパンク寸前。食糧危機、環境問題、領土紛争。多くの問題が頻発している。地球はもう人類を支えきれない。何としても人類は新たなステップに進まなきゃならないのさ」


 アッカーソンは一言も発さず、ノヴァ局長の背中を追って研究室の奥へと向かって歩きはじめた。


 知っている。そんなことは当然。

 世界は多くの問題を抱えていて、人類は何としてでも宇宙進出を果たさなければならない。


「各国政府もその問題は重要視していて、早期の月奪還を我々へと要求してきている。そりゃもう、相当な圧力さ。次の事務局会議で、近日中に月面へと調査団を送り込むべきとの方針が示される予定さね」


 ノヴァ局長の話を聞いたアッカーソンは、明確に拒絶の意思を示した。


「私は反対だ。月の悲劇を知る貴女なら分かるだろう? あそこは魔境だ。今の私たちでは太刀打ちできない」

「この間のニュースでもそんなことを言っていたねぇ。……なぜ反対する、アレクシス・アッカーソン? 不愉快なことに、お前は世間への影響度が大きすぎるのさ。ISAが賛成の方針でも、お前が反対派だと月面調査計画が進まない。月が魔境? そんなことは知っているさ。だがそれでも、困難を把握した上で克服し、人類の宇宙繁栄に貢献する。そのためにお前はスペースガールズになったんじゃあなかったのかい?」


 ISA設立当初からの付き合いであるノヴァ局長からの指摘を受けて、アッカーソンは言葉を詰まらせた。そんな彼女へとノヴァ局長は淡々と言葉を浴びせ続ける。


「陰りが見えるぞ、アッカーソン。疲れ、苦悩、後悔が見える。〝太陽〟と祭り上げられているのなら、その役割を全うして輝き続けたらどうだい? それが嫌なら引退するといい。昔のお前は間違いなく英雄だったさ。だけれど最近のお前からは疲れを感じる。やけに保守的で、卑屈さね」

「私はただ、盤石な戦力を揃えてから月へ向かうべきだと主張しているだけだ」

「くく、これ以上仲間を失うのが怖いかい? スペースガールズなんてただの駒さ。どんどん月に送り込んで、足りなくなればまた創りだせばいいさね」


 流石に耐えきれず、アッカーソンは研究室の壁を叩いた。


「撤回しろ、ノヴァ・フォン・ブラウン。スペースガールズは皆、夢や願いのために戦う勇気ある人間だ。断じて、使い捨ての駒ではない」


 しかしアッカーソンの怒りを物ともせず、ノヴァ局長は退屈そうに研究室の奥へと向かって歩き出す。そしてその最奥に飾ってある機体を見つめながら抑揚なく告げる。


「限界なんだよ。一期生のアレクシス・アッカーソン、ゾフィー・グラッツェル。二期生のゼノン・クライシス、そしてシャーロット・エヴァーグリーン。この四人だけが切り札。それ以外は全員雑魚。そしてこのスペースフレームを扱える者も、未だに一人として現れない」


 ノヴァ局長は、目の前に飾られた一つの機体を見つめる。


 かつて旧友に造らせて、無理やりに所有権を奪い去った最強の機体。

 しかし未だに誰もまともに操作できない。


「私たちはもう限界なのさ。次の段階に進まなきゃならない。それを阻むお前はもうISAにとって邪魔でしかないのさ」

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