第五章 天王星と冥王星②
「大星団のときが近づいている」
本格的な訓練を始めてから五ヵ月が経ち、いよいよムーンフォール計画実施まで一ヵ月を切ったある日、ローウェルは鈴蘭を呼び出してそんな風に切り出した。
「大星団……?」
首を傾げる彼女へと、いつになく目の隈がひどく、何日も風呂に入っていないのか青とピンクの髪が脂っぽいニーナ博士が卑屈そうな笑みを浮かべながら説明してくれた。
「ひ、ひひ、理由は不明だけど、BIOSは周期的にその活動を活発化させて、ときおり大群を形成して地球へと進行してくるんだにぇ。そ、その現象のことを、ISAは〝大星団〟と呼称してて、スペースガールズの大半がその任務に駆り出されるんだ」
「観測データによると今回の大星団は例年になく規模が大きい。おそらくスペースガールズの八割近くがその対処に当たるはずだ。つまり、偽りの月は手薄になる」
静かな決意に満ちたローウェルの瞳を覗いて、鈴蘭はごくりと息を呑んだ。
「明日、ここを二人で出発して赤道直下の人工島へと向かう。そこから宇宙エレベーターを使って衛星軌道基地に侵入し、宇宙船を奪取して偽りの月へ潜入する。人工島も衛星軌道基地も偽りの月も全てISAの管理下だ。戦力が手薄になるとはいえ何があるか分からねェ。気を抜くなよ、鈴蘭」
「戦いは姑息に卑怯に、だもんね」
「はっ、分かってるじゃねェか」
珍しくにやりと笑った後に、ローウェルが告げた。
「今日は休暇にする。荷物の支度だけして、あとは好きに過ごして英気を養え。何をしてもいい。ひたすら飯を食っても、スタッフと会話しても、夜空を見て思いを馳せても」
***
その日の深夜。
ローウェルは礼拝堂へと赴き、自身の首元にかけた漆黒のネックレスを見つめていた。
「……またお前と暴れる日がやってくるな、〝スプートニク〟」
楽しい思い出だけではない。
悲しい過去も、愛おしい青春も。
スペースガールズになったばかりの頃から、月の悲劇まで。
多くの出来事を共に経験してきた相棒と言っても過言ではない機体に触れながら、いつになく感傷に浸っていると古びた音を立てて礼拝堂の扉がゆっくりと開かれた。
現れたのはニーナだった。
「懐かしいね、ローウェルがその機体で戦うなんて何年ぶりだろう」
「ああ、そうだな」
「安心して。メンテナンスはやってたからちゃんと動作するはずだよ。大丈夫、この天才科学者であるニーナ・パヴローヴィチ・コローリョフちゃんが診てたんだから! うん、大丈夫、絶対大丈――――」
「ニーナ」
彼女の頬に指先を優しく触れさせながら、ローウェルは静かに問いかけた。
「どうして泣いている?」
「……っ! ごめん、泣くつもりはなかったのに。そんなつもりは、少しも。姫ちゃんはただ最期に少しだけ君と会話したくて。でも駄目だね。全然、涙が収まらないや」
ぽろぽろと涙をこぼしながらニーナはローウェルに抱き着いた。
「姫ちゃんはやっぱり弱くてずるい子なんだ。本当は君を笑顔で見送るべきなのに、行ってほしくない気持ちが上回っていて。君をこうして引き留めようとしている。ごめんね、ローウェル。だけど、明日出発すれば君はもう帰ってこれない。作戦が成功すれば、君は死ぬ。君に二度と会えなくなる。それが怖くて、怖くて。ごめんなさい、こんな我が儘を言って……」
「今まで散々オマエにはオレの我が儘を聞いてもらった。一緒にISAを脱退しようと提案したのもオレだ。ムーンフォール計画に参加してくれと頼んだのもオレだ。オマエには我が儘を言う権利がある。……だが、その想いだけは受け入れられない」
ローウェルはニーナを引き剝がした。
そして彼女の顔を正面から見つめる。
「オレはイルミナを見捨てた奴らに復讐を果たす。オレはその瞬間のためだけに生き続けてきた。それを果たせないなら、生きる意味がないんだ」
ニーナは知っていた。そう返答されるであろうことは。
ローウェルがどれほど過去に囚われて苦しんできたのか知っている。
どれほどISAを憎んでいるのか知っている。
どれほどこの復讐を懇願してきたのか知っている。
その目標達成を眼前に控えて、今更止まるなどありえないと理解していた。
「……じゃあ、この我が儘だけは受け入れて」
そう言いながら、ニーナはローウェルを長椅子の座面へと押し倒した。
そしてローウェルに馬乗りになりながら口づけした。
「最期に一回でいいから、ニーナを愛して」
そして夜は更けていき、やがて時間を忘れて無我夢中になっていた二人は礼拝堂の外から聞こえてくる夜風の音を聞いてふと冷静さを取り戻した。長椅子に寝転がって身体を重ね合わせることで暖をとりながら、二人は数時間後に迫っている出発について話し合う。
「鈴蘭ちゃんも、連れて行くんだよね?」
「ああ、もちろん」
「……実は本人にも言ってないんだけど、この前の身体検査の結果に問題が見つかって。あの子の身体――」
ニーナが検査結果を告げるとローウェルは大きく顔をしかめた。
そして思案するように額を押さえる。そんな彼女へとニーナは告げた。
「鈴蘭ちゃんを連れていくかどうか、最終判断は君に任せるよ」
***
翌日の朝、鈴蘭が庭園で荷物を持ちながら待っているとローウェルが姿を現した。
彼女の顔を見て鈴蘭は思わずぎょっと目を見張る。
「え、どうしたんですか、その傷」
「……子猫に襲われてな」
頬や首筋に刻まれたひっかき傷と痣に触れながら、彼女が気まずそうに視線を外す。そんな態度は初めてだったのでそれ以上追及することができず狼狽えていると、遅れて研究棟からニーナ博士と数百名に及ぶスタッフが現れた。
「いよいよだね、ふ、二人とも。ここから先は二人だけの行動になる。だけど大丈夫、二人の行動はここにいるスタッフ総出で常にモニターするし、何かあればすぐに連絡するからにぇ! そっちも、何か問題があればネックレスを介して通信してね」
鈴蘭は自身の首元にかけた白銀のネックレスに触れた。
どうやらこれにはスペースフレームを展開するだけでなく、UDHへと通信する機能も備わっているらしい。
「ひひ、気を付けてね、鈴蘭ちゃん。こいつ、結構DVしてくるから。人間関係に困っても連絡してくれていいよ!」
「それはもう、今までの経験で嫌というほど知ってます」
「何だ、テメェら二人とも殴られたいのか?」
ふふ、とその場にいた者たちで小さく笑みをこぼした後、ニーナ博士が少しだけ心配そうな顔をローウェルへと向けた。
「……連れて行くんだね、ローウェル」
「今更、作戦を変えるつもりはない。もし問題が生じればそのとき対処する」
「了解。君の考えを尊重するよ」
一体何の話だろうと鈴蘭が思っていると、ローウェルが話を切り替えた。
「ところで、だ。ここから先はしばらく極秘の潜入ミッションになる。ときには身分を偽り、偽造パスポートを使う場面もある。絶対に正体が露見しちゃならねェ。だからしばらくオレの名を呼ぶな。オレもテメェを名前で呼ばない」
「え、じゃあなんて呼べば……? ミセス・バイオレンスとか?」
「オレのことは〝師匠〟と呼べ」
あまりにもキャラと違う提案をうけて、周囲のスタッフを含めてみんなが目を丸くして戸惑っている中、ローウェルたった一人だけが満足そうに微笑んだ。
「良いだろ、カッコよくて。頼んだぞ、弟子」
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