第四章 Under Dog Howl⑥

 ニーナ博士との対話を終えた鈴蘭はUDHの食堂に向かった。


 シーザーサラダと豚バラ炒めを一キログラムずつ、それからチャーハン三合と特大プリン二キログラム。鈴蘭はそれらを次々に口元へと運んでいく。


 その様子を見ていた職員たちが「おおーっ!」と感嘆の声を漏らした。


「……恥ずかしい」


 UDHで目を覚ましてからというものの食欲が常に収まらず、鈴蘭は大量の食事を繰り返していた。太ったらどうしようという心配はあったが、過酷なトレーニングをしているから大丈夫と自分に言い聞かせて、今日もまた溢れ出る食欲に屈服する。


 もっもっ、とチャーハンを頬張っていたとき、彼女は食堂の一部がざわついているのに気づいた。

 そちらへ視線を向けると、職員たちが食堂に設置されたモニターに集まっていた。そこに映っていたのは、忘れもしない紅い悪魔――アレクシス・アッカーソンの姿だった。


『ではアッカーソンさんは、ISAが月面調査を開始するのは時期尚早であると?』


 どうやらニュース番組にゲスト出演しているらしい。

 赤いスーツを着たアッカーソンが優雅に椅子に腰かけて、インタビューアーの男性と一対一で対談を行っていた。


『ええ、その通りです。かつて月の悲劇に従事した私だから分かります。あそこは魔境です。世界中の皆さんのご期待を裏切るのは心苦しいのですが、現状の戦力では満足に調査することすら叶わず、仲間を失うだけに終わるでしょう』

『なるほど。しかし一方で世界の人口は増え続けており、領土紛争や資源枯渇を解決するための策として一刻も早い宇宙再進出が渇望されています。ISA内部においても月面調査の早期実施を望む派閥が台頭してきていると聞きますが、その点についてはどう思われますか?』

『失礼、質問に答える前に一つだけ補足を。貴方の発言だとISAに内部対立があるかのように聞こえますが、そのようなことはありません。我々は常に前を見て、一刻も早い月の奪還と人類の宇宙再進出を夢見て一致団結し、日々奮闘しています』


 そう前置きした後に、アッカーソンは真摯な瞳をカメラに向けた。


『月面調査はISA並びに世界中の全人類が渇望する最重要任務です。それゆえに確実に成功しなければなりません。一度でも失敗すれば戦力を整えるのに長い時間がかかります。スペースガールズは現状世界にたった五二人しかいません。もし数人でも失われれば、もう一度月面調査を行うことはおろか地球防衛任務にも支障が生じかねません。ですから私は、月面調査計画はスペースガールズの人員が拡充されて戦力が十分に整った後に行うべきだと考えます。……どうか、世界中の皆さん、ご理解を』


 アレクシス・アッカーソンがカメラへと向かって頭を下げる。


 一〇万人余りの人々を救い、今もなお地球を守り続ける世界的英雄。

 そんな彼女が頭を下げる姿を見せるのは初めてのことで、インタビューアーの男は面食らった様子で絶句した後に、慌てて彼女に頭を上げさせて、彼女の意見に賛同する旨をしどろもどろに述べはじめた。


 この映像を見て胸打たれた人も多いだろう。

 しかし、UDHはそうではなかった。


「ふざけんな!」


 そう声を上げたのは、普段、研究棟で兵器開発に勤しんでいる中年男性だった。


「危険な任務はできないって? ふざけんなよッ! なら、何で俺の娘は任務に身を賭して死ななきゃいけなかったッ! どうしてセリーヌを救ってくれなかったんだッッ!」


 涙を流しながらそう叫ぶ男をなだめようと周囲の職員が集まる。

 しかしそれと同じくして、彼に同調するように次々に怒りの声が飛び交い始めた。


「何が危険は冒せないよ! 知ってるのよ、本当は月を奪還するつもりなんてないくせに! アイツらは、私たちを上手いこと言いくるめて、地球に閉じ込めたまま支配することを目論んでるのよ!」


「……い、偽りの月、アレは危険なのです。偽りの月は、人為的に皆既日食を起こせる。も、もしも、ISAが地球に反旗を翻せば、あ、あいつらは、特定の地域の自然環境を破壊できる。あ、アレは、環境破壊兵器なのです」


「スペースガールズを増やすなんて恐ろしい。少女に化け物の細胞を注入するなんて人体実験に他なりません。不浄です。不遜な人間どもには神罰が下るべきです」


 その光景を見て鈴蘭はふと思った。


(……あたし、そういえば自分のことに精一杯で、この組織やメンバーについて知ろうとしてなかった。どうして皆、そこまで憎しみを抱いているんだろう。どうしてISAやスペースガールズに復讐したいって思ってるんだろう)


 知りたい、と鈴蘭は思った。

 ローウェルとの勝負に勝つためのヒントがそこに隠れている気がした。


「あの、どうしてそんなにも憎しみを抱いてるんですか?」


 そう尋ねて回った。

 

 理由は様々だった。

 自分の利益のため、宗教上の理由、英雄視されるスペースガールズへの嫉妬、月の悲劇で親友を失った復讐、ISAには裏の目的があるという都市伝説を信じ切っている人。


「でもUDHって犯罪組織なんですよね? 所属することに抵抗はなかったんですか?」


 その質問を投げかけると、皆、決まって不思議そうに首を傾げた。


「目的のためなら手段は選んでいられないでしょう? 私たちは言ってしまえば悪人よ。己の欲望のため、復讐のため、信念のため。理由はそれぞれ違うけれど、世間一般からすれば私たちが悪であることに変わりはない。だったら、何をしても構わないでしょう?」

「何をしても、構わない」


 その言葉は、鈴蘭の心にすっと染み込んだ。


 ノノを殺したスペースガールズに復讐する。

 その行為はスペースガールズを英雄として崇める世間からすれば悪行に他ならない。


「そうだ、あたしは悪を為そうとしている」


 ニーナ博士も似たようなことを言っていた。


「目的を達するためなら手段は選ばない。――構わないよね、だってあたしは悪なんだから」


 ***

 

 そして数日が経ち、約束の日が訪れた。


 街灯の光だけが頼りになる真夜中の庭園で、ローウェルが月を見上げながら尋ねる。


「……諦める決心はついたか、宵野鈴蘭」

「いいえ、ちっとも」

「そうか。ところでオマエ、それは何だ? ふざけてんのか?」


 彼女は鈴蘭が身に着けているサングラスを見つめながら指摘した。

 ただでさえ視界の悪い深夜にサングラスをかけるなんて異様でしかない。


「いいえ。これは、あなたに勝つための作戦なんだから」

「あ? 何言って――」


 その瞬間、庭園に設置された街灯の灯りが全て消えた。

 一瞬にして世界が何も見えない暗闇で覆われる。ローウェルが息を呑んだ。


「ハッ、そのためのサングラスか!」


 既に暗闇に目を慣れさせていた鈴蘭はサングラスを投げ捨てて、うっすらと見えるローウェルの身体へと照準を定めて拳銃を発砲した。しかし、灯りが消えた瞬間に物陰へと移動し始めていたローウェルには当たらなかった。


「やってくれたな、クソガキ! テメェはそこまでして復讐を果たしてェのか!」

『その通りよ! あたしは絶対に復讐を果たす。そのためなら、どんな卑怯なことも悪辣なこともしてやる!』


 花壇へと身を潜めたローウェルを追い詰めるように鈴蘭は何度も発砲する。


『あたしは絶対に偽りの月へ行く! そしてアレクシス・アッカーソンを殺す! 偽りの月を堕としてスペースガールズとISAの人間を皆殺しにする! そうじゃないとノノが報われない。あたしの心を埋め尽くす泥がなくならない!』


 鈴蘭はあえて一歩も動かずに同じ位置から発砲し続ける。


『パーシヴァル・ローウェル! 貴女に分かる!? 大切な人を奪われた悲しみが、憎悪が、苦しみが! アンタに分かるの!?』

「舐めるなクソガキが。テメェはたった一か月だろうがッ! 一〇年だ! オレはイルミナを失って一〇年間、ずっと渇望してきた! アイツを見殺しにしたISAに復讐するときをッッ! テメェみたいなクソガキに、オレの苦しみがわかるかッ!」

『時間なんて関係ないでしょ! アンタも似たような境遇ならあたしの復讐を手伝えッ!』

「ムーンフォール計画は絶対に失敗できない。オレたちにとって最後の作戦なんだ。だから生半可な野郎は連れて行けねェ! 宵野鈴蘭! 発想は良かったが、喋りすぎだ! 位置が丸わかりだぞ!」


 パーシヴァル・ローウェルが物陰から飛び出し、鈴蘭の声が聞こえる方向へと身を乗り出した。しかしそこに鈴蘭の姿はない。そこにあったのは小さな通信機器だけだった。


「生半可? もうそんなこと言わせない」


 その瞬間、ヘッドマイクを投げ捨てた鈴蘭は模擬刀を引き抜いて、背後からローウェルの背中へと斬りかかった。しかし、流石は元一期生。ローウェルは罠にかかったのを察知するや否やすぐに身を翻した。


「やるじゃねぇか、クソガキ。だが、それでも光よりは遅ェ」


 あと〇.一秒でもローウェルの反応が遅ければ、確実に彼女に一撃を食らわせられていた。しかし、彼女は既に鈴蘭の刀を避けようと身体を動かしている。


 足りなかった、時間が。

 このままでは確実に避けられる。


 その瞬間、鈴蘭の脳裏にノノとの記憶が蘇った。

 彼女と出会った日の記憶。

 星空を一緒に眺めた日の記憶。

 そして彼女と心を通わせ合った日の記憶。


『波長が合った。二人の仲に流れる波が、ノノとスズランを惹き合わせてくれタの』


 かつてノノが告げていた台詞が脳内に蘇る。

 と同時に、鈴蘭の瞳が真紅に輝いた。


「あたしは偽りの月に行って復讐するんだッッ! だから、だから――、こんなところで負けてたまるかぁ――――――――――っっっ!」


 身体が軽くなる。肉体に限界を感じなくなり、握りしめた模擬刀にかかる空気抵抗がなくなる。刀は速く、速く、更に速度をあげて、やがて刀身が何者にも視認できない速度で駆ける。


 強い決意に呼応して発動した、鈴蘭の能力。


 それによって引き起こされた限りなく光速に近い一撃が、ローウェルの首元を掠めていた。


 二人は押し黙り、睨み合う。

 やがてローウェルの首から少量の血が流れ出た。


「ハッ、よりにもよって首を狙うかよ」

「アンタこそ、容赦なさすぎでしょ」


 ローウェルに模擬刀を触れさせる直前、彼女からカウンターとして鈴蘭の顎に蹴りが叩き込まれていた。あまりの衝撃に脳が揺さぶられて立ってはいられず、鈴蘭は崩れ落ちる。


 そんな彼女を見下ろしながら、ローウェルは銃口を突きつけた。


「拙いが合格にしてやる。だがこれが本当の戦いだったら、テメェはこの銃に撃ち抜かれて死んでいる。そもそも、オレが能力を使っていたらテメェはオレに接近すらできてねェ」


 ローウェルは拳銃を懐にしまって、代わりに、地面に倒れたままの鈴蘭へと手を伸ばした。


「約束通り、六ヵ月かけて戦い方をみっちり教育してやる。だが決して忘れるな、たった数か月訓練しただけの一般人にスペースガールズは倒せねェ」


 夜空に輝くこの世界で唯一の人工天体――偽りの月の光が、鈴蘭とローウェルを照らした。


「オレたちはスペースガールズに戦いを挑むんじゃない。復讐を果たしに行くんだ。正面から堂々と戦う必要はない。姑息な手を使え。不意を打て。正々堂々戦うしかなくなったら、逃げて生き延びろ。そして次のチャンスを見計らえ」


 過酷な言葉だった。

 しかしローウェルの真剣な瞳を見て鈴蘭は、この作戦を成功させるために、あるいは身を案じてそう告げてくれているのだと理解した。


 だから鈴蘭は、その忠告を忘れないという意味を込めて彼女の言葉を繰り返しつつ、彼女が差し伸べてくれた手を握り返した。


「あたしは復讐を果たす。正面から戦わない。姑息な手を使い、不意を打ち、それができなくなったら逃げて生き延びる」

「ハッ、お利口じゃねェか」

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