第四章 Under Dog Howl③

「っ……! 何なのアイツ!」


 その日から鈴蘭は訓練をはじめた。

 役に立たないというのなら、連れて行かざるを得ないぐらいに成長しようと考えたのだ。リハビリすら十分に終わっていない身体で、彼女は全身に走る痛みに耐えながらトレーニングを行う。


「絶ッ対に、偽りの月に行くッ! そしてスペースガールズどもにッ! アレクシス・アッカーソンに! 朝日小羽根にッ! ノノを奪い去った復讐をしてやるッッ!」


 訓練メニューについてはローウェル専属のトレーナーに教えを乞い、まずは基礎体力と持久力向上を主目的に組んでもらった。アスリートですら耐えられない訓練量。しかしわずか九ヵ月後に宇宙で戦闘できる程度まで鍛えなければならないことを考えると妥協はできなかった。


「ぜぇぜぇ……今度こそ死ぬかも」


 文字通り血反吐を吐きながら鈴蘭はそれでも諦めない。

 訓練メニューを全て終えるのに二十時間以上かかろうとも、彼女は来る日も来る日も訓練を続けた。彼女の中にあるのは復讐心だけだった。


 ***


 それから数日たったある日の夜。

 ニーナ博士は自室のベッドに座り込んで、風呂上がりで湿っている髪を乾かしていた。ドライヤーを当てながら目の前に座る親友へと視線を向ける。


「鈴蘭ちゃん、頑張ってるみたいだね。いい加減、意地張るのやめて偽りの月へ連れて行ってあげたら?」

「これはオレの弱さが招いた復讐劇だ。余計な人間を巻込みたくはない」

「分かってるくせに。このままだとムーンフォール計画は失敗するよ。確かに君の能力は潜入向きだけど、ローウェル単独で計画を成し遂げられるほどISAも甘くない。鈴蘭ちゃんの協力が絶対に必要だよ」


 ローウェルは無言のままサイドテーブルに置いてあったワインを一気に呷った。


「オレは弱いんだ。いつもアイツイルミナの影を探していて、アイツを失ったことを受け止めきれずにISAへ復讐しようとしてる。そのくせして胸の中は不安でいっぱいだ。全部怖いんだよ。復讐を成し遂げられない可能性も、誰かを巻き込んでしまうことも」


 そう吐露しながら彼女は更にアルコールを口に含んだ。そして熱を帯びた息を吐きながら、ニーナの肌に触れる。ニーナはその手を払いのけた。


「不安なのは分かるけど、わたしに触るのはやめてくれないか?」

「すまない。だけどどうしても不安なんだ。だからオレが眠るまで甘えさせてくれ。かつてアイツがそうしてくれたように」

「……っ、またそうやって! 一〇年来の友として、相談に乗るくらいはいくらでもしてあげるさ! だけどわたしをイルミナの代わりにするのはもうやめてくれないか!」

「そんな言葉はいらない」


 そう告げるとローウェルはニーナの華奢な身体をベッドに抑えつけて、嫌がる彼女に覆いかぶさった。無理やり彼女の口の中に舌を入れる。


「……っはぁ、ローウェル、やめて! 嫌なんだ、もうっ! イルミナの代わりにされるのは嫌なんだよ! 君の不安を癒したい気持ちはある。だけどもう……っ!」


 ローウェルはニーナの頬を思いっきり叩いた。

 痛みと悲しみで涙を流すニーナを力強く押さえつけて、彼女の服の中へと手を潜り込ませる。彼女が暴れるたびに何度も背中に傷をつけて彼女の病的なほどに色白な肌を噛んだ。


「オレにはオマエしかいないんだ。ともにイルミナを失ったオマエしか。だからオレの不安を受け止めてくれ。そうじゃないとオレは眠れない。オマエしかいないんだよ、ニーナ」

「そんなのずるい。そんなこと言わないでよ! わたしはただ、ニーナとして見てほしいだけなのに。お願いだよ、一度でいいから、わたしのことを……」


 ワインボトルを手に取るとローウェルはそれを口に含んで、ニーナの口の中に流しこんだ。彼女が酔うまでその行為を何度も繰り返しながら、元英雄は疲れ切った声音で告げる。


「もう少しだけ、アイツの代わりをしてくれ」


 ***


 その日もまた、訓練を開始してから二〇時間が経過し、時刻は深夜真っ只中。

 冷たい風が吹いて虫の鳴き声しか聞こえない夜空の下、鈴蘭は息も絶えた様子で地面に倒れていた。


「その程度の訓練でくたばるなら、偽りの月へは連れていけねェな」


 いつの間にか鈴蘭の傍に立っていたローウェルが辛辣に告げる。涙が出そうなほど努力しているのに一切称賛する気のない彼女に、鈴蘭は苛立たし気に返答した。


「はあ? リハビリ明けの割にはよくやってるほうだと思いますけど?」

「言っておくがその程度の訓練で疲れてるようじゃ、あの赤いクソ野郎は到底倒せねェぞ」


 それを言われて鈴蘭は奥歯を噛みしめた。


 悔しそうに握りしめられた鈴蘭の両手を見つめながら、ローウェルが問いかける。


「あのとき伝え忘れたが、ムーンフォール計画の犠牲者はISAの奴らだけじゃすまねェ。偽りの月に潜入した人間も地球へ落下して死ぬ。テメェはそれでもムーンフォール計画に参加したいのか?」

「この憎しみを晴らすためなら何だってする。復讐を果たすためなら死んでも構わない」


 季節外れの冷たい夜風が、睨み合う二人の間を駆け抜けた。


「ならチャンスをやる。テメェが役立つ証拠を見せろ。オレが納得出来たらムーンフォール計画に参加させてやるし、スペースフレームの操作も能力の使い方も全部教えてやる」

「本当に?」

「ああ。そうだな、明日から毎日、オレと模擬戦をやれ。オレは素手しか使わない。能力も使わない。テメエは何をしてもいい。一時間以内にオレに一撃でも浴びせたら合格だ。それが叶わない限り、テメェは偽りの月へ連れて行かない」

「ふぅん、なら今からやろうよ。明日まで待つなんて時間がもったいない。だって、一撃でも与えたら合格なんでしょ?」


 鈴蘭は立ち上がって土埃を払った。

 そして、ローウェルに向かって拳を構える。


「夢をほざくのは、現実を知ってからにしろ」


 その言葉が耳に届いた直後、鈴蘭は夜空を見つめていた――。


「は?」


(なんであたし、宙に浮かんでるの? いや、違う、まったく認識できないうちにローウェルに放り投げられたんだ。いつの間に攻撃されたのかまったく見えなかった。いやそんなことより、早く受け身をとらないと――)


 宙を舞いながらパニック状態になっている鈴蘭の腹部へと、ローウェルからの鋭い蹴りが叩き込まれた。鈴蘭の身体が地面に叩きつけられる。急いで立ち上がろうとする彼女の顎に掌底を打ち込みながらローウェルは告げた。


「遅すぎるぞ、テメェ」

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