第四章 Under Dog Howl②
それからリハビリの日々が始まった。
培養移植手術とレベルⅢ細胞のおかげで鈴蘭の身体は劇的に回復したが、しかし筋肉や神経は万全の状態には程遠く、元通り動くためには毎日数時間のリハビリが必要だった。
「ぐ、ううううう、うああああああああっっ!」
床に倒れこんでしまった鈴蘭は全身に走る痛みに耐えながら起き上がろうとする。しかし腕に力を込めれば込めるほど、冷や汗が出て意識を失いそうになる。芋虫のように床上でもがく彼女のすぐそばに、青とピンクの髪が特徴的なニーナ博士がしゃがみ込んだ。
薄汚い白衣の下に着込んだタイトスカートが鈴蘭の眼前に寄せられる。
「ひひ、それにしても鈴蘭ちゃんはよくそんなに動けるにぇ。普通なら、あんな重傷を負ったら数年間はベッドから起き上がれないよ? トイレすら一人でできない。レベルⅢの細胞が影響しているのは間違いないけど、それだけじゃない執念を感じるにぇ」
「あいつらに、復讐しないといけないから」
アレクシス・アッカーソンの姿が脳裏をよぎり、鈴蘭の心に憎悪が沸き起こる。
その気持ちの変化を読み取ったのか否か、ニーナ博士が伏し目がちに提案した。
「ひひ、リハビリがてら、研究棟まで歩こっか」
何度も何度も転んで膝を擦りむきながら、簡素で長い廊下をニーナ博士とともに歩きつづける。
廊下の窓からは敷地内が一望できた。
広大な土地にいくつもの建造物が敷設されている様子を眺めながら鈴蘭は疑問を浮かべる。
(……この組織は、一体何なんだろう? UDHとか言ってたけど)
そんなことを考えながら歩きつづけてようやく廊下の最奥にたどり着く。
壁に取り付けられた認証装置にニーナ博士が顔を近づけると、電子音が鳴り、扉が開いた。
二人を出迎えたのは、数えきれないほどの機械とコンピュータが並ぶ工房だった。
数百人にのぼる研究員がコンピュータを操作する傍らで、防音ガラスで区切られた区画の中に鎮座する恐竜ぐらいの背丈の機械が唸り声を上げながら金属パーツを製造している。
「……なにこれ、凄い」
「そうでしょ? 改めて紹介するよぉ、鈴蘭ちゃん! これがUDH! 姫ちゃんたちは、ここで日夜、ISAを滅ぼすための準備をしてるのさ!」
「ISAを、滅ぼす?」
両腕を大きく広げて自慢するニーナ博士へと、鈴蘭は問いかけた。
「ひひひ、その通り。知ってると思うけど、
にやりと笑うニーナ博士へと、鈴蘭は驚いた視線を向ける。
スペースガールズに復讐したいと渇望してはいたが、その一方でISAを滅ぼすという言葉に非現実味を感じるのも事実だった。
ISAといえば世界最高峰の科学技術が結集し、最先端の兵器の数々とともに人類最高戦力であるスペースガールズを五〇人以上有する国際組織。そんな組織を滅ぼすなんて可能なのか、と鈴蘭の心の冷静な部分が疑問を投げかけていた。
「どうして、スペースガールズやISAを滅ぼしたいなんて」
「んー、まあ、大した理由があるわけじゃないにぇ。太陽があるせいで影が生まれるように、英雄を憎む者はどうしたって生まれるんだよ」
ニーナ博士は室内で働く研究員たちを眺めた。
「ISAのせいで経済的不利益を被ってるとか、ISAの真の目的は人類を滅ぼすことだって陰謀論を信じてるやつとか。ひひ、スペースガールズの採用試験に落とされたからって理由の人もいたかな? とにかく、UDHはそれぞれ理由は違えどISAに恨みを持っている人間たちが結集した組織ってわけ」
「ニーナ博士も、ISAに恨みがあるってこと?」
「うん、そうだにぇ。少なからず恨みはあるよ。姫ちゃんも元々はISAに所属してたんだけど、とある奴と言い争いになって追い出されちゃったから。まあもっとも姫ちゃんがUDHに所属しているのは、それとは別の理由が大きいんだけど」
その後も二人はリハビリをかねた視察を続けて、やがて兵装開発室と銘打たれた部屋にたどり着いた。セキュリティを解除して部屋の中に入ると、そこにはスペースフレームを装備したパーシヴァル・ローウェルがいた。
彼女の姿を視界に収めた鈴蘭の脳裏にあの日の記憶が蘇る。
思わず表情に怒りが滲み出た鈴蘭を冷ややかな視線で一瞥した後、ローウェルは再び身に纏った装備へと目線を戻した。
「落ち着け。オレはもうスペースガールズじゃない。説明しただろうが」
「でも、その機体は一体?」
「これはオレが現役の頃に使ってた機体〝スプートニク〟だ。ISAを辞める時、どさくさに紛れて盗んできた」
「さらっと言ってるけど大問題じゃないの?」
「間違いなく大問題だな。まあ、ISAの職員がどんな処遇を受けようとオレの知ったことじゃねェ。で、こんなところに何の用だ、宵野鈴蘭?」
「姫ちゃんが連れてきたんだよ。リハビリがてらUDHの案内をしようと思ってにぇ」
ニーナ博士が庇うように一歩前に歩み出ると、ローウェルは「そうか」と呟き、鈴蘭たちに背を向けて、その場にいた職員とスペースフレームの性能に関する打合せを始めた。
「なにアイツ、くっそ態度悪いじゃん」
ぼそっとそんなことを言っていると、ニーナ博士が鈴蘭の袖を引いた。
「ひひ、そんなことより聞いてよ、鈴蘭ちゃん。UDHは二機のスペースフレームを保有しているんだ。一つはローウェルの愛機〝スプートニク〟。そしてもう一機は、アレ」
ニーナ博士が壁に設置された機体を指さす。
その姿を見て鈴蘭は息を呑んだ。
――純白の機体。
スラリと伸びたフレームと、そこに繋がる天使の羽根のように美しい金属翼。
まるで現代美術のオブジェかと見間違うような美しい機体が壁に飾られていた。
しばらくの間、ぼーっと鈴蘭はその機体を見つめ続けた。
「このスペースフレーム、使う人は決まってるんですか?」
「ううん。造ったは良いものの、UDHにはスペースガールズを生み出す技術がなくてね。ローウェル以外に操作できる人間がいなくて持て余していたんだにぇ」
そんな会話をしていると、別の職員と話していたはずのローウェルが血相を変えてニーナ博士へと歩み寄りその肩を掴んだ。そして眉を寄せながら問いかける。
「おい、まさかこのガキを誘うつもりか? 冗談だろ?」
「ひひ、バレた? 鈴蘭ちゃんは、い、今、UDHが喉から手が出るほど欲している人材だよぉ。君だって分かってるはずだよ、ローウェル一人であの計画を完遂するのは厳しいって」
だが、とローウェルは歯切れ悪く逡巡する。
その隙に、ニーナ博士が鈴蘭へととある計画を説明しはじめた。
「UDHは九ヵ月後に大規模なテロ計画を実行する予定なんだにぇ。通称、ムーンフォール計画。偽りの月へ侵入してその操作システムを強奪し、地球へと堕とすんだ」
衝撃的な言葉を補足するように、ニーナ博士は説明を続ける。
「偽りの月の操作権限を奪うプログラムは完成しているんだけど、これを実行するためには偽りの月に忍び込んで、メインシステムがある場所まで物理的に侵入しなきゃいけないんだ。だけど、今のところそれが可能なのはローウェルしかいなくてにぇ。……せめてもう一人、偽りの月に潜入できる人がいたら心強いのになーって、ずっと思ってたんだ」
「ちょ、ちょっと待って。偽りの月を堕とす? そんなこと可能なの? ていうか、そんなことしたら地球にいる人たちは一体……」
「知るか」
鋭い口調でローウェルが言葉を吐き捨てた。
「地球にいる人間が何人死のうとオレたちの知ったことじゃない。オレたちが為すべきはISAへの復讐だ。そのためならどれほどの犠牲が出ても構わねェ。宵野鈴蘭、この程度で日和るならテメェに復讐は向いてねェ。目障りだから関わるな」
その言葉を受けて、鈴蘭は殺意の籠った瞳でローウェルを睨みつけた。
「はあ? 日和る? あたしには復讐心しかない。それ以外は何もない。帰る場所も、寄り添う人も、何も。元々何も持ってなくて誰も守ってくれなくて、ようやくノノと出会えたのにそれすら奪い去る、こんな世界大っ嫌い。復讐が叶うなら、あたしは喜んで地球すら滅ぼす!」
そして鈴蘭は、壁に掲げられた白銀の機体を指さして叫んだ。
「アレはあたしが使う! あたしも偽りの月へ行ってスペースガールズに復讐する!」
「……ダメだ」
「どうして! 人手が足りてないんでしょ。ならあたしが!」
「ガキは連れて行かねェッ! 目障りだって言ってんだろ!」
ローウェルは鈴蘭の腹部を殴りつけた。
鈍痛に堪え切れず膝をついた鈴蘭が憎しみの籠った瞳でローウェルを睨みつける。その視線を真正面から受け止めながら眼帯の彼女は告げる。
「ムーンフォール計画では、間違いなくスペースガールズどもと戦うことになる。ただの一般人だったテメェが役に立つわけがねェ。雑魚がついてきても足手まといだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます